書いた人は森川林 on 98/02/13 20:05:16:
教室で、生徒に英語・数学などを教えている先生を見ていると、私の目
からはどうしても教え過ぎているように見えます。子供を前にして、「ここ
は、こうだから、次はこうでしょ」と念を押して教えていると、子供はその
場では「はい」とうなずいてわかったような気になります。また、先生の方
も、「わかったか」「はい」という返事で安心するのでしょう。しかし、もの
ごとがわかるというのは、もっと自分の内部に根差したものです。
勉強でもスポーツでも、長い練習のある期間は成果の出ない時期があり
ます。その長い潜伏期間のあとに、ある日突然視野が開けたようにわかる、
というのが分かり方の本来の姿です。
しかし、教えることに慣れていないと、こういう潜伏期間に堪えること
ができず、つい今日は1前進して、明日は2前進して……という機械的な進
歩を生徒に当てはめたくなるのだと思います。
小学校や中学校の勉強は、基本的には、先生などがいなくても自力でで
きる内容です。しかし、この時期は、自分の力で計画を立てて進めていくよ
うな勉強の仕方ができないので、それを補うために先生が必要なのです。こ
の時期の勉強は、理屈を教えるよりも何しろ反復して身につけるというやり
方で勉強を進めていくことが必要なようです。
ですから、この時期にできない問題があったら、その日のうちに全部わ
かるまで教えようとせず、その日は軽く説明だけをして、また明日やってみ
ようというかたちにしておくことがいいようです。
そして、勉強の最後には、必ずほめて終わらせるということが必要です。
これは、家庭でもそうですが、よく夜遅く勉強をして、できない問題をさん
ざん説明をして、「もっとちゃんとやらなきゃだめじゃないの」と叱ってか
ら寝させる家庭もあると思います。叱られてふとんに入るというのは、子供
の幸福に生きる力をかなり損ないます。
人生で何がいちばん大事かと言えば、幸福に生きることです。そのあと
に、向上するとか、社会に貢献するとか、何かを創造するとかいう課題が出
てくるのです。勉強ができるようになるということは、人生の目的から考え
れば二次的なものだという大きな視野を持ちながら勉強を教えていくことが
大事だと思います。