消費者の時代から生産者の時代へ


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書いた人は森川林 on 98/06/14 09:31:45:

 資本主義は膨大な生産力を生み出しました。地球上にはまだ飢えに苦しむ貧しい国々が残っていますが、それは経済の問題というよりももはや政治の問題になりつつあります。現在、この膨大な生産力が生み出した膨大な富は、貧しい人々を潤す方向には向かわず、巨大なマネーゲームの中だけで循環してバブルを準備しています。
 人類がこの富をより人間的にコントロールできるようになったあとにやってくる社会は、消費者の社会ではなく生産者の社会です。
 人間は、消費者であるときには一面的な満足感しか得られません。生産者であるときに初めてトータルな満足感を得ることができます。
 あるモノを買う人と売る人とがいたとき、生き生きとしているのは売る側の人の方です。同様に、あることを教える人と教わる人とがいたとき、生き生きとしているのは教える側の人の方です。講演会でいちばん生き生きとしているのは講演している人であり、講演を聴く人はときどき居眠りをするぐらい退屈しているものです。
 生きがいのある人生とは、作り、売ることが主になった人生であり、決して使い、買うことが主になった人生ではありません。エジソンは、電球を作る研究をしているとき二日間寝ずに仕事をしたことがあったそうですが、これは創造することが喜びであるからできることであって、これがもし二日間寝ずにテレビの娯楽番組を見るということであったら、ギネスブックに載るという目標でもないかぎり決してできはしないでしょう。
 しかし、もちろん今の社会の仕組みのままで、生産が喜びとなるわけではありません。今の社会は、生産者の人間的な成長や喜びを考慮しないむしろ非人間的な努力の上に高い生産性(低いコスト)を実現しており、その高い生産性の恩恵を消費というかたちで社会に還元しているからです。つまり、「仕事は給料のために仕方なくやって、本当の人生は休日の消費にある」という仕組みになっているのです。
 将来実現されるべき理想の社会はこれとは逆の社会です。つまり、「仕事は楽しいからやっており、休日の消費はほかの人の生産を助けるためにやる」という社会です。
 この社会の具体的なイメージはこうです。生活の必需品は機械的な大量生産で人手をかけずに安価に(または無料で)まかなわれており、必需品以外のより個性的で芸術的な消費は、街の多数の小売店や小工房によってまかなわれています。すべての人が自分の店や工場を持ち、人に雇われて不本意な労働を強制される人はいません。この社会での唯一の義務は、自分で作ったり売ったりするばかりでなく、ほかの人の作ったものも買わなければならないということです。これを義務感という感覚なしに行なうために、富は所有している時間が長いほど価値が減少していくという仕組みがデジタルマネーで作られているでしょう。つまり、お金は、野菜や魚と同じ生鮮品として流通しているのです。経済を循環させる血液がお金であることを考えると、現在のお金の性格は循環することよりも滞ることに傾きがちだという弱点を持っています。
 この時代には、教育のかたちも大きく変わります。先生が生徒を一方的に教えるというスタイルはほとんどなくなり、パソコンの中に入った教科書をもとに、生徒どうしが教え合うというかたちが主流になります。このときの学習の雰囲気は、ほとんど遊びと同じような生き生きとした主体的なものになるはずです。もちろんそのころの教科書は、今のように先生が教えることを前提としたうすっぺらで無味乾燥なものでなくもっと充実したものになっています。また教科書そのものがインターネットにつながっているでしょうから、ある教科が苦手な子はいくらでも易しい方へさかのぼることができ、逆にある教科が得意な子はいくらでも難しい方へつきすすむことができるようになっているでしょう。
 こういう時代に大事なことは、「人の上に立つこと」ではなく「自分のしたいものがあること」です。きれいな花を見るためにより見やすい位置に登ることではなく、自分が今いる場所で花として咲くことです。そういう未来がすでに始まりつつあります。
 インターネットの世界では、今、無数のホームページが生まれています。このホームページを利用して自分の好きなことを自由に発信できる環境が整っています。資本や組織がなくても個性とこだわりだけでだれでも自由に商売ができる環境が生まれつつあるのです。アクセス数は、現在一方通行的に表示されるだけですが、このアクセス数を投票権と見なすようなデジタルマネーの仕組みができれば、情報のやりとりにマネーの流れが対応するようになり、情報の質と量は加速度的に高まるでしょう。このマネーの流れが定着すれば、それを現実社会のお金と対応させる仕組みももちろんできるようになります。それは、商品券や図書券やパチンコの賞品がお金と換金できることと同じにです。この流れが更に広がれば、やがて、現実社会のお金よりもインターネットでのマネーの方が主になる逆転現象も起きてきます。やがて、お金の本質が紙幣や小銭などの外観にあるのではなく、その投票権としての性格にあるのだという理解が定着してくれば、政治の世界もマネーの世界に取り込まれるようになるでしょう。
 現在の政治は、数年に一回の選挙だけで、その間の有権者の声はほとんど無視されています。選挙のときだけぺこぺこして選挙が終わればふんぞり返るという今の政治家の姿勢と同じことを街の小売店がやれば、間違いなくその店は衰退していきます。それは、小売店は日々モノを買ってもらうというかたちで日々投票されているからです。政治における投票が、日常的にお店でキャベツや大根を買うように手間をかけずに日々行なわれるようになれば、言葉の真の意味での民主主義が実現するようになります。そうなれば、政治も本当に政治にふさわしい人によって担われるようになり、社会の進歩はここでも飛躍的に加速されるでしょう。
 いま、私たちはこういう激変の前夜に生きているのです。
 




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