創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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読書 きちこ
本はすべて言葉からできていて、それが何かを意味する。その意味をとらえて、本を読む方、つまり本をよく分かることだ。でも、世の中には難しい本があるが読書において最も大切なことことの一つに『意味の分からない本を読まない』と言うことがある。考えても分からない本は読まない方が賢明だ。これは頭の悪い僕のせいでもないし、説明の仕方が難しい本が悪いわけでもない。これは良く心得ておくべき点で、十分に心得ていれば、無用の努力、無用の虚栄心、無用の劣等感、そして無駄な時間を省くことができる。
前に読んだ本に「転校」〜なずなの場合〜と言うのがある。これは友達に対する考えや、自分の身の回りでも起きてそうなことが出てくる。友達のhappy なできごとを自分のことのように話す友達。僕のクラスでも同じようなことがあった。ぼくのクラスのある子がダンスを習っていて、オーディションなどがあって学校を休んだときに、別の友達が、
「あいつオーディションなんだてよ。昨日聞いたんだ。すげぇだろ!」
などと自分のことのように喋りまくったりする。
またこのストーリーの友達関係も自分の身の回りで起こっていることに似ている。友達がちょとしたことをやっただけなのに、横で見ていた別の友達がけんかをしかけて、なんでささいなことでけんかをするのか不思議に思ったりする。僕の場合、ちょっとしたことでけんかになって友達を仲間はずれにするということわない。このストーリーを読んで分かったこと、一つは、友達というものは心と心がつながっているからけんかをしてもすぐ仲直りできると言うことである。そしてもう一つは、自分の思ってることは我慢して心にとめておかずに、人になんて言われようが思い切って口に出せばよいと言うことである。
僕にとって面白くて懐かしい本の歴史をたどってみると、三、四年生の頃はまった江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズがある。僕にとってその頃はまだわからない漢字もあって難しかったが、何回も何回も読んでいるうちに
読書百意自ら通ず
となった。今でもどのシリーズの内容もすべてはっきりと覚えている。僕にとって江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズは今のところ最初で最後の完全読破したシリーズなのである。
もっと昔にさかのぼってみると、一年生の頃にかいけつゾロリシリーズをよく読んでいた 。しかしこのシリーズは、今でも次々と新しいストーリーが出てきてしっまているため完全に読破したとは言えない。一年生の頃の自分と今の自分を比べてみると成長したなと思う。なぜなら身長や心が成長したと思う。たぶん人間はほとんどの人が、成長に合わせて読む本の変わっていくのだろうと思う。
人間にとって読書とは、自分の世界を広げることである。例えば二十面相シリーズの場合明智探偵になた気分や二十面相になた気分が味わえるのだ。つまり本を読むことで知識が増え、ぎじ体験ができるのである。そして知識を増やし、ぎじ体験をすることのによって、自分の世界を深めていけるのである。
講評 souyo
来週はいよいよ立春です。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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