国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
自分勝手な人間 マーブルチョコレート
3年前まで路地はさまざまな人や動物の散歩道となっていた。道ばたには草が生えていたが、子供の溜まり場所でもあった。ここで、彼らはと急のカケラを発見していたのだ。秋、エノコログサをながめているとおばあちゃんが近づいて路地に関心ぢていた。私はすっかり仲間意識を持った。しかし、人間は矛盾した生き物であることが証明される。ハル、家の前にスミレが咲き、私は楽しみだった。ところが、外出から帰ってくると、おばあちゃんがていねいに草むしりをしていたのだ。
6年生になりたての春、学校生徒全員で外の草むしりをすることがあった。私たち6年生が担当する草むしりの場所は
、校舎の陰のの裏庭だった。6年生が担当することがあった。そこは滅多に日光も照らされない暗く湿ったところだった。そのせいか裏庭一帯はまるで、ジャングルのようで深緑色一色だった。早速草むしりが始まった。みんな軍手をはめて雑草を抜き始めた。私も雑草をたくさん抜こうと少し張り切ってバンバン抜いていった。そんな中、私がいた場所に花のようなものが咲いていた。とてもかわいいので抜かないでおこうとしたら、
「ここは全て雑草が生えているところなので、抜いて、きれいにしましょう。」
と先生が言った。こんなにけなげできれいに生きている草なのに、ただ雑草だからという理由で引っこ抜かれるのはおかしい。しかし、私もそんなことは言えないかもしれない。なぜなら、私は外見できれいな草を残そうとして、普通の草は平気で引っこ抜いたのだ。それは、ココロの中でひいきしていることになる。草むしりをする前は自然があり、元気に源だった。ところが、草が取られてからはかなり殺風景になってしまい、悲しくなった。人間は誰だって自分の意思を持っているため、自分勝手に物事を進めてしまう、という事がある。自分の利益のために何かを犠牲にしてしまう。例えば、社会の授業の時に習った「焼畑」。今ではもう行われてはいないらしいが1960年代にピークだったようだ。焼畑というのは、山野や森で雑草を焼き払って、焼き後を農地として利用する農業のことである。ところが、焼いた後の肺を材料にするため地力の消耗が激しくすぐに弱ってしまう。そのため再び焼畑をしなくてはいけなかった。人口が増加していく程、焼畑は自然を燃やすということになってしまう。それは、つまり自然が破壊されていく、ということになってしまうという事でその原因をつくっているのは私たち人間だ。
人にとって、自然保護とは自然を中心にして守るということである。しかし前までは人間が自分のわがままで、自然を壊したりしている。その報いが環境破壊としてやってきたのだろう。人間は今までやってきた自分勝手で失ってしまったものを、少しでも取り戻さなくてはいけない。
講評 onopi
自然保護についてしっかりとまとめられている感想文でした。よく書けています。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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