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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   新しい可能性   闇の女帝

今日も体育館に響く、縄が床にこすりつける音。真っ赤な顔、あきらめかけた顔、疲労困憊している顔、平気な顔。いろいろな表情が見える。
 学校では冬になると縄跳びが始まる。縄跳びは、チャレンジカードと達成カードに分かれていて、専らやるのはチャレンジカードだ。これは、クラスの友達とペアを組んで取り組むもので、前半は二重とびや後ろ二重などの難易技、後半は前とび、左右とび、ジャンケンとびなどの、いわば縄跳びの基本である。このチャレンジカードは、先生が学年ごとに定めた目標を達成すると景品と賞状が貰える。私は、いつも基本で景品をもらっているが難易技はもらったことがない。だから、小学校最後の今年こそ景品をもらおうと意気込んでいた。 ところが、私は根っこからの運動音痴。難易技でできるのは、マリーナ、サイドクロス、二重とびだけ。マリーナとサイドクロスは、80回以上。二重とびは50回以上。どちらも、体力のない私にとって、夢のまた夢の先の話だったが、先生が二重とびは30回以上の人もOKとおっしゃったので、私にも一筋の光がさしたような気がした。
 そこから、体育の授業で地道な努力が始まった。元々、体育は苦手な私。その45分間を呪っていた私。でも、たった景品のためにこんなに劇的に変化してしまった。自分でも信じられない。元々、私は二重とびを26回できる。後4回。そのブランクが埋められない。最初の10回は難なくクリアできるものの、そこから体力が消耗して23回ぐらいからは、意思の力で頑張っている。休み時間も利用して練習したけれど、以降にうまくならなかったので、昼休みに友達に教わることにした。
 その友達は、二重とび187回という驚異的な記録を持つ、縄跳び万能スーパー少女である。まず、私はその子の飛び方を見て、うまいなと思った。余計なところに力を入れずにリズミカルにとんでいたからだ。私の二重とびの癖は、飛んでいるときにどうしても蝦型の鳩とびになってしまうところだ。蝦型とは、体が蝦のように反ってしまうこと。鳩とびとは、鳩のように首が前後に動いてしまうこと。どちらも無駄なエネルギーを使っているから、体がもたない。と友達に指摘された。自分でも自覚していた原因を、友達に普通に指摘され、面喰った私だけど、これで原因がはっきりしたから後は対策だけだと割り切った。
 フォームを意識して、練習をかさねた私に朗報がやってきた。三日坊主な私がいつも練習していることに驚いた先生が、特別に教えてくださることになったのだ。その日に、私がうきうきして縄跳び片手に体育館へ向かうと、先生はもう待っていらして、笑っていた。さっそく私が飛んでみると
「練習は役に立ったみたいね。鳩とびがなおっているじゃないの」
と感心された。それに、素直に喜んでいると
「まだ喜ぶのは早い。足がおかしいでしょう」
と今度はあきつい一言を頂いた。そして先生は、足がなおる方法をそっと教えてくださった。
「二重とびの足は、後ろ飛びの足と同じなの。あなたは後ろ飛びがうまいから、すぐに上達するにちがいないわ」
「腕はなるべく動かさないで。ドラムのばちのようにグリップを優しくたたく感じで持っていればいいのよ」
特別授業は延々と続いた。しかし、私は確実に自分が上達しているのを感じた。
「今日はこれくらいでいいわ。きっと明日飛んだらびっくりするはずよ。しかも、明日は最後の縄跳びの授業。がんばって景品GETするのよ」
帰り際にねぎらいの言葉をかけてくださった。私はその言葉をありがたく頂戴すると、先
生に一礼して帰路に就いた。
 次の日。一時間目が体育だというのに朝休みでは練習できず、ぶっつけ本番となってしまった。いよいよ私の番だ。先生とちらりと視線を合わせると少し笑って、また元の厳しい顔に戻ってしまった。
「1,2,3,4、」
足を意識して飛んだ。疲れはまだ来なかった。あんまり緊張して、手に汗をかいて、グリップを落としそうになった。
「23,24,25」
この辺が山場だ。私は歯をくいしばると、なにも考えずに、ただ先生の顔だけを思い浮かべて飛んだ。
「45,46,47,48,49」
もう限界だ。でも、あともう一回、もう一回・・・。
「56、57」
もう無理。勢いよくグリップを放し、その場にしゃがみこむ。やった、62回。当初の26回を大幅に塗り替えた。心には、ただ満足する気持ちだけがあふれていた。 
 努力が実らないこともあるけれど、努力していることが大事なんだと思った。人間にとって努力は、自分の新しい可能性を見せてくれる。
 今日も私は余裕で50回以上を飛ぶ。

   講評   inoko

闇の女帝さん、こんにちは。
人間というのは、一年三百六十五日、頑張っているというわけにはいかない。しかし、誰でも必ず頑張らなければならないとき、頑張るべきときがあるのだ。ただ、スタートラインになかなかつけるかというと、そうでないときももちろんある。重い腰を上げさせてくれるきっかけ、モチベーションが持てるかそれが問題となってくる。体育の45分を呪っていた女帝さんにも、きっかけがあったようだ。そして、熱心に縄跳びの練習にいそしむ。その姿は、先生をも動かしたというのだからなかなかすごい。頑張っている姿というのは、やはり人の心を揺さぶる力があるのだろう。頑張りが実を結び、得たこと。努力は新しい可能性を見せてくれる。生きるというのは、自分の可能性を見つける旅とも言えるのだから、充実した人生を送ろうとするなら、やはり頑張り時には頑張らなければならないということだろう。




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