創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   道   闇の女帝

近年は都市化が進んだせいでアスファルトで舗装された道が増え、古き良き土の道はいつしか、時代の流れにのみ込まれて消えてしまった。そのくせ、夏の日のアスファルトの道路は、太陽の照り返しが強いからと、無理やり土を道路になじませてその上に街路樹を植えている道が増えた。同じ人間としてやっていることがよく分からない。土かアスファルトか。それだけのことなのに。
 道。はたしてそれは人や車のためのものだろうか。ただ、人が歩くためだけに、車が走るために存在するのだろうか。そのためだけに、犠牲にするものがあることを知っているのだろうか。道。塵一つなく色のついたブロックで動物の絵が模られている大通り。歩いているとふと感じるこの違和感。なんだろう。この味気なさ。なんだろう。この侘しさ。人と人とが殺気立ってすれちがい、なんの挨拶もなく、そこに生まれるかもしれない新たな物語を無視して歩いている。話題を誘うかもしれない、鼻をくすぐるかもしれない、心の支えになるのかもしれない、名もない小さな植物もここにはいない。あくまでも、人のために過ぎないアスファルトの道。堅苦しい道。息苦しい道。単調な道。アスファルトの道に文句をつける私は、きっと世間という組織からみれば、変人なのに違いない。
 道。それはどうあるべきなのであろうか。道。人と自然が結びつく身近な場所であるべきなのだ、本来は。それがどこでどう間違えたか知らないが、いつしか人と人をむすびつけるものに変化してしまった。それは違う。道は人と自然が共存するためのちいさな憩いの場なのだ。土の感触を靴の裏に感じて、晴れの日は空を見上げて、口笛を吹きながらゆっくりまったり歩く。時には植物や虫を見つけて、自然の神秘に感動したり、疑問に思ったりする。そこに流れる時間は川の流れのように非常に穏やかで、何事も母のように受け入れてくれる。雨の日はびちゃびちゃになって靴底が泥んこになってしまうけれど、その日は子供たちの恰好の遊び場なのに違いない。
 父が子供の時は、大通りはコンクリートだったものの、小道はまだ土の道だったらしい。雨の日は、底がぎざぎざした長靴を履いてあるいたらしい。私は長靴など持っていない。だから、羨ましいと思った。今はどこを見渡してもアスファルト。それに無理やり植物を植えようとするから、ちぐはぐな光景が生まれる。道の観念を変えなければ、このちぐはぐさは拭われない。さもなければ、昔のような光景は幻となってしまうのに違いない。
今の人間にとって道とは、人と人をつなぐものである。でも何十年後、未来の人間にとって道が人と自然をつなぐ憩いの場になっていることを心から願っている。
 道。今日も違和感と味気なさと侘しさを胸に、人とすれ違いながら、生まれるかもしれない物語を無視しながら、名もない草花に心で呼びかけながら、靴底に感じる固い感触を不快に思いながら、堅苦しく、息苦しく、単調な道を歩いている。

   講評   inoko

 闇の女帝さん、こんにちは。
土の道を見つけようと思っても、そう簡単には見つからない時代。確かに便利な時代である。しかし、味気ない。私たちは快適さと引き換えに、多くのものを失ったのである。技術の進歩から得る快適さを取るか、はたまた自然から得る心地よさを取るか。人間というのは欲張りだから、どちらを選んだとしても、ない物ねだりをすることは、容易に想像できる。では、どうすればいいのか。快適さと心地よさをいかにして共存させるか。21世紀の人間が考えなければならないのはまさにそのことだろう。これは、地球環境の保護と回復につながる話である。いろいろな取り組みが考えられているが、大きな効果を生むことができるだろうか。一人ひとりが考えなければならないことだ。



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