国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   水清ければ魚住まず   はるかぜ

 筆者が市場へ行く道は自然発生的なやさしい道だ。ところが、その道はアスファルトが敷かれてしまった。石ころも無くて歩きやすいようではあるがこんな一メートル足らずの細道がべたっと黒くアスファルトを塗られているのは、いたましくさえある。道には色々なものがあった。しゃれた石、虫の死骸、雑草の可れんな花、ラムネびんの破片、石炭のかけら、鳥の羽。楽しみながら歩いたが、舗装された道には、そんな手に取りたいようなものはどこにも無い。もちろん舗装された道も、場合によっては大切である。しかし、道が一番道らしいのは人間の暮らしをあたたかに支え、色々なものを発見することの出来る、踏みしめられた道である。
 私は、「土の道」を踏みしめたことがあまり無い。私が生まれたころは、すでに舗装された道ばかりだったからだ。しかし、幼いころから私は、大のアウトドア好きな父に連れられて、色々な山道を歩く経験をした。山道は普段歩く舗装された道とは全く違い、ごつごつと石がむき出しになっていたり、大きく足を開いてもまたげないような水たまりがあった。最初は歩きにくいと感じて大変だと思っていたが、次第にそれが真の道の姿なのだと考えるようになった。道のすそに生える山野草は、花屋に売っているような人目を引くようなものではないが、淡い色の小さく咲き乱れる花にはひかれるものがある。また細い道なので、すれちがう人に道を譲ることもある。そんな中で見ず知らずの人ともコミュニケーションをとったりと、一期一会の出会いを大切にしようという思いもうまれた。
自然に包まれた中で、とても温かい気持ちになれる。それが山道であった。
 しかし、最近は中学入学などの準備でいそがしくなり、私はアスファルトの舗装された道ばかり歩いている。でもどうしても、アスファルトの道は好きになれない。車に乗っていても、それはそれは乗り心地が良いし、歩いていても歩きやすいが、何か不快感を覚える。車が行きかうアスファルトの道は、殺風景で夏場はむんむん蒸される感じで、まるでサウナ状態だ。植物の姿はどこにも見当たらなくて、「人工の道」からは温かい心も生まれない。車に乗って運転する者はただ急ぐだけで、道を歩く人はだれもかれもが知らんぷりだ。心の安らぎのかけらも感じられないさみしい道だ。
 人間にとって自然とは、人々に心の温かみや安らぎを与えてくれるものなのだと分かった。「水清ければ魚すまず」という事はことわざ通り、きれい過ぎるアスファルトの道では人々の心に温かさが宿らないのだ。私もたまには山道に入り、自然を感じ心を浄化させたいと思った。

   講評   harako


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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