国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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道 みんと
私が、こどもはいていた皮靴は、たいていどれもこれも爪さきがけばだっていた。石けりをしながら歩くせいだ。これときめた小石を、小さくけり続けながら学校へゆき帰える。車の心配などせず、けとばした石のゆくてのままに、よろけながら歩くのである。いまこんなことしたら、それはもういっぺんに車にひかれてしまうが、昔はそんなことをしながらにぎやかにこどもは道を歩いた。ただおもしろいのは、全体にキララが入っていることで、光を受けて小さく一せいにまたたく。太陽にあてると楽しいですと言われて、私は日の光にも、月の光にも照らしてみた。チカチカとかわいらしくきらめくのをみると、いわゆる童話の世界のおもむきがある。その人は、道で拾いましたとい言った。舗装された道も場合によっては大切である。ほこりをあびせかけられる街道筋の家などは気の毒で見られない。一刻も早く舗装しなければ、道すじの家は窓も開けられない。だが、道が一番道らしいのは、人間のくらしを発見することのできるふみしめられた道である。この事だけは忘れてはならないのだ。 私は、よく自転車を4・5分走らせれば行ける公園に行っていた。行きと帰りでは違う道を通るのだが、私にとって思い出深いのは、「帰りの道」だ。私の家は門限が17時30分。ギリギリまで友達と思いっきり遊んでいたいから、いつも17時27分か、28分に余裕を持たずに公園を飛び出していた。その時に便利だったのが「帰りの道」だった。帰りの道は、公園から見て下り坂だった。だから自転車のギアを「6」にすると加速がものすごく加わるのですぐに家についた。私と友達はこの道のことを「うちらの生命線」と呼んでいた。生命線をつかって帰る時は、まるで、リレーのように前に出たり後ろに下がったりしながら自転車をこいで一刻でも早く家につこうとした。 6年前、ちょうど1年前の時の事。当時の私は水たまりが大好きで、大雨が降った次の日は長靴をはいて登校していた。通学路の途中の道に、大きな穴があいている。その穴に雨水がたまり、入りたくなってしまう。なので友達と一緒に穴の中へと前進すると・・・・・・「バッシャーン!!!」雨水がまるで噴水のようにとびちり、洋服がビショビショになって情けない気持ちになるが、全てが水と一緒に吹っ飛んだ気持ちにもなれる。 人間にとって道とは、生きていく上でなくてはならない必要な物、そして、楽しむためにも欠かせない物ではないだろうか。
講評 souyo
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