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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   Mr、ゴミ   おむふ

 まさにこれは宇宙の摂理である。無から生まれ出でるものはない。無から甘美なる風が現れることはなく、無から豊潤なる海が湧き出すことはない。今ある物質とは原始から今このときまで、太古の歴史から織り成されてきたものなのだ。古代の記憶が今の我々の心であるのとなんら変わらない。 これは私が宇宙の摂理と信ずることの一つだ。これは宗教的なことや思想的なことではなく紛れもない事実と認めざるをえないことである。この摂理とは具体的にこういうものだ。先でも述べたように無から物が生まれ出でることはない(ここでは量子力学や宇宙論は考慮しない)。宇宙にある古来の物質もしくはエネルギーは複雑な化学反応や、エネルギー転換を経て現在のこの世にあるものを構成している。例えれば、こういったものだ。ある辺鄙なのどかな農村が、開拓され小さな町となりさらにはその町が発展を遂げ都となる。こういったように物質とは歴史の中でなされてゆくものであり急に湧き出るものではない。それと同様に物質とは急に消えることはないということも忘れてはならない。ものがこの宇宙から消え行くということはないのだ。屍もいずれ豊かな土となり、風がやめばどこかでまた風が吹く。だが我々はこのことをしばし忘れているような気がする。特に人という生物においては。そうともこの摂理を忘れたが故に一つの問題が生じている。あるものを永久に世界から消え行くと認識してしまっているのだ。なんとも愚かな幻覚である。消えたように見えるものもなんらかの残影を残すことを忘れてしまっているのだ。あるものとはそう、“ゴミ”である。 今述べた誤った認識ゆえにゴミ問題を主として多くの問題が生じている。「なにをいうか。まるで人類がなにも分かっていないといわんばかりのことを説いているが、ゴミが埋立地にいくかリサイクルされることぐらい分かっている」という意見もあるだろうが私がここでいいたいのはそういうことではない。もちろん知識として多くのひとがゴミの行く末を知っているだろうが、そのことが頭に入っているだけであってしっかりと認識しているわけではないだろう。人々はゴミを捨てるときにゴミを消えるものと一時的に思い込んでしまっている傾向にある。捨てるということは形を変えて自然に物質を返すことなのだ。自然の一部を切り取りさらにそれから物を作りついにはそれがゴミとなる。すなわちゴミが一つ出るたびにどこかでなにかが失われるということ。もちろん私もそれを忘れてしまった一人だ。私たちはこの古代の記憶を忘れてはならない。世界を彩る全てが今までしてきたことを忘れてはならない。めくるめく雲海、目にみえぬ風紋を宿した大地、彼らの記憶を今ここで失ってはなるまい。あらん限りの力をもとに生きねばならぬ。世界の営みを忘れぬ賢者として。これが私の思う生き方だ。しかし生き方といっても残念なことに私はそう生きていない。ニーチェはいった「君は一つの新しい力であるか。新しい権利であるか。始原の運動であるか。自分の力で回る車輪であるか。君は星たちにも支配の力を及ぼして君の周囲を回らせることができるか。」いま私は始原の運動ではない。では世界の営みを忘れぬ賢者であるためにはどうすべきかそれを考えていきたい。
 いってみれば私の思う生き方とはどういったものであっても愛で思うということに直結しているようだ。故に私が今無価値と思い込んでいるものをここに挙げたいと思う。それらになんらかの価値が見出せればなにかを得られかもしれぬ。一つに、広告紙。また、炭酸飲料、酒、など。広告紙は量が膨大であることや多くはすぐに捨てられてしまう観点からしても紙の無駄遣いといわざるをえない。炭酸飲料、あれに含まれる二酸化炭素は直接的には体に必要とされるわけでもなく多くがゲップとして出てしまう。これを無価値といわずしてなんといおう。酒、一時は心地よさを得られるかもしれぬが多くの病をまねく死神ともいえよう。肝臓をいためたりアルコール依存を招くことはあまりに有名だ。ではこういったもの果たして価値があるのだろうか。まず広告紙。確かに常軌を逸する量の紙を利用するが産業、商業の発展を主たる狙いとしてできたものであるだろうし、紙の量にふさわしいだけのものをもたらしている。また、メモ帳など広告紙以外の用途でも知恵を絞れば多くのことに使えるはずだ。次に炭酸飲料。人々は生きるためだけに水分を摂取しているわけでもなかろう。炭酸飲料の与えるほどよいストレスは精神安定、いわゆる爽快感といったようなものも生む。コーラなどにしてもただ炭酸を注入、味付けしたわけではなく西アフリカを原産とする常緑高木の種子からとったエキスをもとにつくっているのだ。古くアフリカでなされてきた伝統でもある。酒、これも過度の摂取を避け適度に呑めば、酒は百薬の長とされるように健康面でも食欲の増加、気分がほっこりするなどの効能がみられる。人々の関係を円滑にする糸口となるのもまた酒である。 こうしたように心を練磨しその研ぎ澄まされた目をもってしてものを見ればゴミと思ってしまうものは随分と減るはずだ。
 もう少し視点をマクロにして社会的なことをかんがえてゆこうと思うではゴミという本来の意義を忘れずものごとに価値を見出すためには世界はどうすべきなのだろうか。 「モナリザ」「アンギリーの戦い」描いた天賦の才をもつイタリア人。そう聞いて何一つ思わない人はいるまい。そう、彼の芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチである。彼の稼業は画家のみならず光学や幾何学の研究ならびに解剖学、人体、空を飛ぶ機械装置や潜水艦の設計をてがけていた(製造はされていない)。まさに天才である。かれは幼い時分こうした習慣があったとのこと。左手にペンを持ち鏡に映った字のごとく左右逆向きに文字をかいていたのだ。手稿はしばしば右ページから左ページに進められていた。これは読み書きを苦手とし、彼が文書にたずさわる仕事に就く道を閉ざす原因となってしまった。こう考えるとこの習慣は無価値に思われてくる。だがこのことは彼のデッサンの能力の発達の手助けとなったのだ。彼は父の紙についての記述や地形図の作成の際には通常の書体で書いた。デッサンもまた左右両手で行った。こうした能力は彼の視覚的な才能を伸ばすこととなったのだ。 今の社会の中では彼の習慣はまたたくまに否定されてしまうことだろう。豊穣なる萌芽を今の社会は摘んでしまうやもしれないのだ。左右逆にものを描けというわけではないが無価値なものとみられたものをすぐに弾圧してしまう考えはいかなるものなのだろうか。万物になにかしらの意義を見出すことのできる社会。それを確立できれば“社会のゴミ”とされてしまうものもなくなるのではなかろうか。
 効率化などを求めて無駄を省くという考え方も当然一理あるだろう。だが生きとし生けるものはもちろん、浮世の多くを愛でることも心がふくよかとなるだろう。やはりわたしはこうありたい。ゴミなど本来はこの世にないのかもしれぬ。埋立地の奥底に眠る空き瓶にも優雅な灯があるのだ。忘れてなるものか。そうともものを愛でる心からはじめなくては。

   講評   koni


今学期は、「自分の生き方に結び付ける書き方」を学びます。

【第一段落】 実例を挙げて、生き方の主題を導き出すことができました。

【第二段落】 最初に方法を挙げると説明に強弱がつくよ。例「〜愛で思うということに直結しているようだ。」の後に、「そういう生き方をするためには、まず価値がないと評価されているものからも価値を見出す目を持つことだ。」
その後の具体例を挙げた説明はわかりやすくていいね。

【第三段落】 ここで対策を説明することができました。個人でできることと社会全体で考えていくことと両方の視点で方法や対策を考えることができましたね。

【第四段落】 反対意見への理解をして、生き方の主題でまとめることができました。ゴミについての一文を入れて、テーマに戻ったところがすばらしい。結びで自分の意見を強く主張できています。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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