創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   大人と子供の抱く「不思議」   きとみ

 世の中には不思議なことがたくさんある。その不思議は人によって違う。どうして花が咲くのか不思議に思う人もいれば、宇宙がどのようにしてつくられたのかを考える人もいる。私は今、とても身近なところで「人間の気持ち」について考えている。人間には考える頭と感じる心がある。人間の気持ちはみな同じというわけではなく、それこそ十人十色、星の数より存在するのである。私は今中学二年生。十四歳を迎えた。私も、私の周りの友達も思春期に入りとても複雑な時期である。気持ちが不安定になり、反抗期に入っている人も少なくない。私は友達と会話するのがとても好きだ。しかし時には会話しているのがつらいと思うときがある。それは友達が人の悪口を言い始めたとき。その対象は様々だ。あまり目立たなくておとなしい子や、つい最近まで仲良くしていた子。皆、日々変化する感情に押し流されて、つい悪口を言ってしまうようだった。ある日のことだが、私はいつものように友達との会話を楽しんでいた。しかし友達の顔が一気に暗くなったかと思うと、いきなり悪口に話題を変えてしまった。悪口はあまり聞いていて気持ちの良いものではない。友達の口から次から次へとでてくる悪口を聞いていると、「こんな風に自分のことも言われているのではないか」「自分は言っていなくても、一緒に話をしているだけで自分も言っていると思われないか」など、だんだん不安になってくるのだ。どうしてみんな最近まで仲良くしていた子の悪口をいうのだろう。一言でも嫌なことをいわれたら、嫌いになってしまうのだろうか。このときに、そんな不思議が浮かんだのだった。子供はわからないことがあると何でも不思議に思うが、大人の抱く不思議という感情については二つの見方がある。
 まず第一の意見は、大人は不思議なことがあっても、そこで考えようと立ち止まらないほうが良いという意見だ。大人はこの社会を創っている重要な人間だ。もちろん仕事もたくさんある。幾千もある不思議に一回一回立ち止まって不思議の解明に明け暮れていては、仕事がはかどらなくなってしまう。さらに大人は子供を育てなければならない、教育しなければならないという仕事もある。子供は見つけた不思議は何でも知りたいと思うものだ。しかし大人が「不思議だ、不思議だ。これはどうしてだと思う?」と子供や周りに聞いたり、ずっと考え込んでいては子供が大人に不思議の真相を聞けなくなってしまう。私も以前そんなことがあった。私の学校の理科の先生はとてもおもしろく、研究心が旺盛で学校内で人がある。自分が過去にしたおもしろい研究や実験のことを話してくれたりする。しかしその先生はいつも何かに不思議を抱いていて、生徒たち「子供」の豊かな発想を必要としているらしい。いつも授業の終わりに、「これは、どうしてだと思う?」と意見を求めてくる。何人かの生徒がわからないところ、不思議に思ったところを先生にきこうと机の前に並んでいるのに、おかまいなしなのだ。このように、子供が不思議を抱いていても、本来は答えを導いてくれる大人に聞けないという状況になってしまうのだ。
 しかし、大人が不思議をもつことは決して悪いことではない。なぜならこの時代は、大人の「不思議」から始まる研究心によって発展してきたからだ。はっきり言えば、この時代に、大人になっても様々なことに疑問を持つ人というのは数少ないと思う。だが、よく考えてみると、不思議を抱いてすぐに研究などができるのは大人だけなのだ。子供はいくら「どうしてだろう」と思っても、十分な設備や環境が整わず、納得のいくまで調べるのはとても難しい。しかし大人になれば、研究施設を借りられたり、図書館に行っていろいろな資料を見ることもなんなくできる。新しいことを発見、発明できるのも大人だけということだ。つまりこの時代を支えているのは、大人の純粋な「不思議に思う心」なのだ。これが無ければ私たちが普段使っている便利な電子機器や薬などはなかったかもしれないのだ。
 ここまで二つの意見を述べてきたが、この二つの意見をまとめると、最も大事なのは「考える」ことであるとわかる。不思議と思うことは無意識にもある。自分が知らないことに出会うと無意識にも、不思議だなと感じることがあるのだ。しかしこれだけでは自分が不思議に思っているとわからない。自分の気持ちを考えて、「今、自分はこのことについて不思議に思っている」と自覚することが大切なのだ。「才能とは自分を信じる能力である」という名言もあるように、なにかに出会ったとき、何かを見たときに、しっかり自分の気持ちを考えることがなにより大事なのだ。そしてその考えのもとに行動をすることで、目の前の世界をもっと広げることができるのだ。私もこれからいくつもの不思議に出会うと思う。そのたびに立ち止まって考えたり、深く悩んだりすることがあると思う。しかしどんなときでも自分を信じてしっかりと自分の気持ちを考え、受け入れながら生きていきたいと思う。

   講評   inoko

 きとみさん、こんにちは。
不思議に思う心は、大人になるとともにだんだんと薄れてしまうものです。大人になれば、いちいち不思議なことを解明していられないのも事実。また、不思議なことをそのままにしていても、生きていく上では何ら支障のないことを知ってしまった大人は、不思議に思うことをやめてしまうとも言えます。
きとみさんがまず書いている近頃不思議に思うこと。ちょうど不安定な時期にさしかかっている中学2年生。いろいろなことに対するもやもやが、ややもすると周囲の友だちに向かってしまうということなのかもしれません。しかし、きとみさんがその状況に危惧を抱いている気持ちはとてもよくわかります。
今回の感想文でさすがと思わせるのは、二つ目の意見です。大人こそ、不思議を解明しさらに発展させることができるという意見。発見できるのも発明できるのも大人だけだ。確かにそうですね。幼いころから抱いていた不思議を大人になってから解明する。伝記などでもよく読むことのできる話ですね。
そして、総合化の主題でキーワードとなっているのは、考えること。同感です。考えることをやめてしまっては、人間として生まれたのにもったいないことですから。



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