創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

昨日1312 今日1674 合計37923
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   自分を使って、自然を感じて   ハーマイオニー

 科学文明の発達により、人間の日常から手間が省かれるようになった。便利さや快適さを求める人間の欲求が文明を発展させてきたことは確かである。しかし、生きる喜びとは、本来の感性を研ぎ澄まし、自然の大きさと人間の魅力を日々発見することにある。
 私は、たとえそれが面倒であり、時に辛苦を伴うことであっても、自分で実際に手足を使って行動していく中で、自然と触れ合い、多くの人間と交流しながら生きていきたいと思う。そのための方法は、大きく2つ考えられる。
 第一に、自分で実際に行動を起こしてみて、その楽しみを味わうことである。私は先日、長年続けた後1年半程中断していたバレエのレッスンを再開した。再開するにあたって数週間入念にストレッチなどの準備をしたが、実際に行ってみると、足は上がらないし、まだまだ体が硬くて、2時間程のレッスンが終わった後にはくたくたになっていた。翌日も酷い筋肉痛に悩まされたが、それでも次のレッスンに通った。今度は早くもポアントレッスンが再開され、またもや体がガタガタになった。(笑)
 だがやはり、踊ることは面白い。気持ちが良い。私はバレエの舞台を観ることも、バレエ漫画を読むことも、バレエ雑誌を見ることも大好きだが、自分で踊る喜びはそれらとは比較にならない。プロのように美しく踊れなくても、漫画のようにドラマティックな展開が無くても、ただ踊るだけで楽しい。ダンスとは、肉体と精神を繋げるものだ。太古の昔から人間と共にあり、根源的に魂を揺さぶるものらしいのである。恐らく人間にはそもそも、そのような感動や苦痛さえも、バーチャルだけでなく、リアルに体験することを欲する本能のようなものがあるのだろう。
 第二に、社会や学校教育の中で、自然に触れる機会を増やすことが挙げられる。私の通う中学では、自然教室などの、いささか多すぎるほどの体験学習の機会がある。しかし、そのおかげで、普段の便利な、むしろ怠惰な生活の中では体験できないこともしなければならない。いや、させてもらえるのだ。
 中1のとき、それまでは見たこともなかった大きなダッチオーブンを使った料理をした。材料のキャベツは、数時間前に自分たちで収穫したものだ。少し焦げたが、まさに「食べたことのないおいしさ」だった。
 中2のときには、白根山の登山、尾瀬沼のハイキング、ととにかく歩かされた。登山の「健脚コース」は相当苦しかったが、専門の補助員の方にも助けてもらい、頂上に着いたときの達成感は忘れられない。このような機会にさえ恵まれれば、ひ弱な現代人、都会っ子も、案外自ら「楽しんで苦労する」ことを思い出すのではなかろうか。
 確かに、科学文明の恩恵無しに生活することは、もはや考えられない。多くの仕事や遊びや勉強がある中で、朝、火をおこすことから始めていては、一日が何十時間あっても足りないだろう。しかし、「寒さにふるえた者ほど、太陽の暖かさを感じる。」という名言もある。暖房の効いた部屋から出て、寒さに震えることも、経験してみなければわからないだろうし、その経験がなければ、太陽のありがたさもまた本当に理解することは出来ないに違いない。私たちは、もっと泥臭く、たとえ遠回りであっても自分の体を使い、自然と関わり、様々な人間と実際の関わりを持つ体験を大事にしていくべきではないだろうか。そこにはきっと、そうしなければ得られない大きな喜びがあるばずである。

   講評   nara

 体を動かすことに関しては、私自身もこの年になって「本能だ」と実感できるようになったよ。マラソン関係の本を読んでいて、この作文の主張と重なることが書いてあった。ハーマイオニーさんは中学生にして、そう実感する体験があるということだから、素晴らしいことだと思うよ。バレエ、また楽しめるといいね。
【構成・題材】第一方法:バレエが題材になると、いつも以上にいい意見が書けるのは、それだけ思いがあり行動もしてきたからだな。「ダンスとは……。〜本能のようなもの」という意見は秀逸。現代日本人は、頭の中だけ・バーチャルな部分が肥大しすぎていて、本能、つまり生きている実感を持てずにいるということになるかもね。第二方法:学校行事のようなお膳立てがないと、なかなか体験できないことが増えてきたね。それだけ、現代社会が便利に効率的なことを目標として進んできたというわけだ。人間が求めたものが人間性を欠く結果を生んでしまったのは、どうしてだろう。その答えをまだ私たちは見つけられずにいるようだ。
【表現・主題】寒さを知る人は暖かさをも知る人なのだね。つまり、「寒さ知らず」は生き物として胸を張って威張れることではないということだ。言い換えれば、生き物としての実感を手放してしまっているということね。体の痛みというのは、生き物としてのリアルである。体を動かした・動かせるというリアル、痛みが軽減した・回復したというリアル、リアルな体験は感情を呼び起こす。そこにはつらさも喜びも存在するね。まさに人間そのもの。今年度もいい作品を期待しているよ。

★また本に夢中で夜更かしかな(笑)。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)