国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   専門家   PINK

 現在子供の問題が捉えにくくなっているのは、社会の中での或る一定の共通了解事項が成り立たなくなったからである。様々な領域での専門家は役に立たず、なによりも専門的知識の質あるいは在り様が問われているのだ。子供や教育の専門家らによるレッテル貼りがますます子供を囲い込み、それは極めて剥がしづらいものとして定着してしまうのである。非行少年を救うのは、専門知識豊富な人ではなく一般の人たちなのだ。人間的な関わりよりも、専門的な知識を過大評価する社会に問題がある。
 第一にその原因として考えられるのは、専門分野が細分化されすぎたためだ。例えば、小学校の頃は生活科という総合のような理科のような家庭科のような、総合的科目が存在していた。町探検に行ったり、実験をしてみたり、昔の遊びに触れてみたり、本当に多種多様のジャンルを一挙に学ぶのである。高校生にもなると理科だけでも生物・物理・化学など細かく分けられ、一つ一つが独立して授業が展開していくため、横の繋がりが全く見えない状況なのだ。どこかで人間的要素と繋がっていることさえも忘れてしまいそうな縦割り方式は、専門家を増やすばかりで生身の人間を育てることは出来ないのである。
 第二の原因としては、権威や肩書きを重んじる日本の伝統にある。修行を積んだ僧でなければいくら才能があってもランクアップすることはなく、一段一段上り詰めていくしかないのだ。
 確かに医学や法律などを扱う専門家がいなければ、我々は生きていく上で困難が生じるだろう。勉強もしていない素人に手術してもらいたい患者はいない。だがしかし、現実問題は講義の授業内で起きているのではなく、生身の人間に起きているのだ。専門知識がもてはやされる現代の社会には、問題があるのである。

   講評   kira

 PINKさん、こんにちは。「非行少年を救うのは、専門知識豊富な人ではなく一般の人たちなのだ」に集約される文章でしたね。専門家や批評家の意見だけがひとり歩きして、問題は相変らず深刻度を増しているのが現状ではないでしょうか。
 学問の細分化は、縦に深くなるだけで留まらず、横の繋がりを断ち切ってしまいました。大学の学際化が必要だと言われます。学部学科を超えた研究テーマを謳っているのをよく見かけますが、入試は相変らずの五教科八科目では変化は難しいでしょうね。
 肩書きを重んじる伝統のほうは、ちょっとピンとこなかったでしょうか。「修行を積んだ僧でなければ」は「層」かな? 一段一段上り詰めて、なんとか発言権を得て改革するんだという志を持っていても、上るうちに初心を忘れさせられてしまうのかもしれません。完璧な専門家になって周囲が見えなくなるのです。
 自作名言は、あの有名なフレーズにちなんだのですね。現場と研究塔との風通しがよくなるといいのですが・・・。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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