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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   探求   おむふ

 私はとりわけ古のものが好きだ。流麗なる古代文字。樹脂の豊かなる芳香のする太古の森。古来、滅びた竜の跡(恐竜の化石)。かくも長大でかくも偉大なるものが他にあるだろうか。 そういった古代の跡の一つに“ストーンヘンジ”がある。イギリス南部、ソールズベリ平野の中央に位置する巨石記念物だ。紀元前2500年〜紀元前1500年頃までの間、制作されたといわれている。ストーンヘンジは周囲に直径約100メートルの堀があり、その内側には一つが二十五トン以上もある三十五個の巨石が並べられている。だがこれは単なる遺跡ではない。考古天文学と呼ばれる古代の技術を垣間見ることのできるものなのだ。巨大な石の配置は天体の運行に合わせてあり、月や太陽の動きは当然のことながら、季節の変わり目・月齢・日食や月食といった天体現象までもを予測できるものである。また不気味ともいえる数学的精度をもつ。その証拠にストーンヘンジの物理的位置は神々の成せる妙技ともいえるほどだ。地球上でストーンヘンジのような石の配置で先述したようなことが予測できる場所は地球上では二つの領域だけであって、その幅は経度にして一度未満である。なんと精密な技術であることか。今日ではストーンヘンジは計算機・天文台・太陽崇拝の遺跡と考える学者が多い。 そしてこのストーンヘンジは古の人々の“時計”でもあるはずだ。優美に正確に時を刻む日時計である。そのことは先述した説明でも分かるはずだ。そうとも、大地が伝説と神々に満ちていたころから人々は“時”という概念を持っていたのだ。それよりおよそ2000年の年月を経た。古代人の末裔である我々は今や自ら時を生み出している。実際に時をつくりだしているわけではないが、時計に従い生活を過ごし、分・秒という規律の中で自らを律している。これは己の心の中に時間を宿しているといえよう。数学はストーンヘンジのように天を流れ行くものを測るためではなく、自らを律するためのものとなったのだ。かつての人々はのどかでほのぼのとしていた。日の出と共に目覚め、日の入りと共に眠る。そうしたものを現代社会の人々は失ってしまったのではなかろうか。時計に縛られかつての“ゆとり”はあらぬ影。だが人とは、私とはそうあっていいのだろうか。我らは全知全能ではない。死すべき定めにある人間という種族である。限りある命とは限りある時間ともいえる。いずれ滅びる我々にとって時間に縛られ、豊麗なるゆとりを感ずることなく死すのはいかなるものか。古来の賢者がそうであったように我らは時をゆるやかに感じ生きるべきなのではなかろうか。時をしかとゆとりの中で過ごす。これが私の思う人のあるべき生き方だ。だが私は今どうすべきなのだろうか。真の流麗なる時を感ずるにはどうすべきか。それを考えていきたい。
 一つの方法としてゆったりとした時間を作るということがある。 あるおもしろい数値がある。生物が生まれてから死ぬまでに息をした数、それとはく動(心臓のドキドキいった数)は哺乳類ではほとんどの種が同じであるそうだ。呼吸は約5億回、拍動は約20億回ほどであり、ねずみにせよ象にせよこの数の呼吸と拍動を行ったらこときれてしまうということである。また、ハツカネズミと象とでは当然寿命は圧倒的に違う。象のほうが長寿である。先述したように、一生のうち哺乳類では呼吸などの生理活動の回数は多くの種で同じである。そのことから考えると、象のほうが長寿であるということは、象の呼吸などの

生理活動のテンポはハツカネズミに比べてゆるやかであるということ意味している。つまり象はゆったりした時間を、ねずみはあわただしい時間を生きているということだ。そしてあわただしく生きているねずみは短命である。これはやんごとなき生物の法則ではなかろうか。あわただしく生きているということはエネルギーの消費量が多いということである。つまり忙しなくエネルギーを消費していると生理的な時間は短くなってしまうのだ。これは人間にも同様のことがいえるはずだ。今述べたこととの関係性は確かでないが、会社などで、多忙、かつ心身に負担をかけている人は病にかかりやすく短命であるというのを耳にしたことがある。そうとも“ゆとり”を失ってしまった故に生に宿る豊潤なる時間を満喫することがなくなってしまったのだ。くどいようであるが再度いう。忙しなくあるがために短命となり、真の時間の恩恵を受ける機会を失ってしまっているのだ。まずは“ゆとり”をもてる機会をしっかりとつくる。それが重要な意義をはらんでいるのではなかろうか。ちょっとした休憩。安息の一時。それこそ今の我々が必要としているものである。
 今、「時をしかと感じ、時間に執拗に縛られない」為の一つの例を提示したがこのほかにも多くの方法があるだろう。好きなことに熱中して有意義に時を過ごす、自然の営みに目を向け彼らの時間の使い方にならう等々。だがこうしたことをかんがえているうちにひとつのことを考えた。今私がしているようによりよく生き我々がよりよくあるためにはどうしたらいいか。それを探求し実行してさらに良くしていくといったサイクルを繰り返して生きていく。これがなにより豊かな生と時の過ごし方ではなかろうか。時間を今一度ゆったりっと感じる。その探求こそ我々のなすべきことだ。

   講評   koni


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