創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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軽薄短小な社会 月下
あらゆるものがカジュアルになっていき、さまざまな機器の圧倒的な便利さと引きかえに、「傾聴」したり「注視」する面倒な手続きがどんどん失われていく時代のなかで、「真面目」で「傾聴を迫る」クラシック音楽はほんとうに伝統芸能化せずに生きのびられるのか、と心配したのが杞憂だったかのように、それは今ではおしゃれなファッションにさえなることができる。特定の商品を際立たせることをやめ、全般的な生活スタイルのイメージを操作しようとしはじめた企業の文化戦略にとって、それは軽薄短小の次に来る「さらに新しいもの」でありうる。 しかし、「かならず最初から最後までを順序どおりに中断せずに聴きとおし、刹那の快感だけでなく、全体の構造の脈絡を理解すべき」であるような音楽体験の理念が、そこで受け継がれているかどうかは疑わしい。コマーシャルの十五秒のクラシック音楽は、そういう体験にはほど遠い、どころか、その入口でさえないのではないか、と思う。そこで、鳴っているのはたしかに作品の一部には違いないが、その向こうに作品全体を暗示することのない、むしろ作品という根から切り離された、それ自体で味わわれる個的で快楽的な現象である。今日では一曲を有機的統一体として把握する構造的な聴き方のできない人、あるいは秘かな異和を抱いている人がしだいに増えており、十五秒ぽっきりという異端の聴き方がその人たちの心の間隙をついた、という一面があったのではないだろうか。 クラシック音楽の一部分を15秒で流すような軽薄短小の文化に流されるべきではない。
そのためには、物事の原点に目を向けることだ。
第二には、学校教育などでもっとじっくりと物事を考える場を作ることだ。今の学校では、自分で考えることはあまりなく、一人の子供が問題を解いてしまったら、他の子は解けていなくても、解けた子が発表したり、先生が答えを言ったりしてしまうので、ほとんど自分で考えることがなくなってしまっている。
講評 kira
月下さん、こんにちは。世の中知っておかなくては困るような情報がたくさんあり、私たちはそれをまんべんなく知るために、最小限の知識で済ませようとする傾向があるようです。そつなく時代を渡っていこうというわけです。しかし、社会全体がそういったうわべだけの知識や軽薄短小な文化に終始することは避けるべきでしょう。
なんでも原点から始めるようにすると、本物にふれることができます。実例が思いつかなかったようですね。趣味を始めるとしてもまず、基本姿勢や精神を学ぶところからやるといいといった例をあげてみましょう。
学校教育でも、考えることの指導がのぞまれますね。テーマにそって、あるいは関心に沿って、問題を生徒自身が突き止めるような方式で学習が進められると理想です。
まとめは、スピーディーに情報を吸収する力の必要性も認めて、やはりお手軽な知識や方法に流されるべきではないとくくるといいですね。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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