国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   疑問を持つことの大切さ   いすも

 インターネットやテレビが普及してきた今、いつでもどこでもどこにいても情報が入ってくる。これらメディアのニュースは正確であり、若い者から年寄りの耳にまで入ってくる。このように、あまりにも情報が入ってくるため、疑問を持つものが少なくなってしまった。現代の社会は、小さな子供でさえ疑問を持つことが少なくなってきたことに問題がある。
 その原因として考えられる第一は、メディアの影響であると思う。今の時代、インターネットやテレビなどの電子機器が急激に生産増加してきている。これらの電子機能は情報普及に欠かせないものであり、我々は情報を求めていると、真っ先にインターネットやテレビで情報収集するだろう。このような便利な機能があるおかげで私たちはすぐに情報を吸収できてしまうわけだ。だから、私たちが疑問の答えを求めていても、何分かでわかってしまう。わざわざ答えを知っているものとコミュニケーションをとらなくても、インターネットやテレビさえあれば一人でわかってしまう時代なのだ。子供でもインターネットを使える人が急激に増えていっているので、子供が疑問を口に出さないことが現代の問題となっている。
 原因として考えられる第二は、日本の社会に問題があると思う。例えば、教室などで疑問が浮かび、先生に質問するとする。そうすると、周りから冷たい視線を浴びることになることが多い。何でこんなこともわからないの、と思われているような視線を向けてくる生徒がたくさんいる。日本では、他人と異なった動作をすることによって「変わり者扱い」されることが多い。集団行動を好み、他人と同じことをするのが当たり前と見なされている。クラスの中で疑問をすることは、他人と異なった動作をすること。だから皆の前で疑問することは恥ずかしいし冷たい視線で見られるし嫌だ、という生徒が増えてきている。せっかく答えを教えてくださる先生がいるのに、日本の社会の成り立ちのせいで、疑問をすることさえ恥ずかしいこととなってきている。
 確かに、自分で持った疑問の答えを自分で探すのも良いかもしれない。人に聞かなくても今はインターネットやテレビですぐに情報収集することができるし、そのほうが聞くよりも正確で早い。だが、疑問を持つことは、決して悪いことではなく、むしろ良いことである。恥ずかしいなんて思う必要はないのだ。年配の方々は若者の疑問を心温かく教えてくれるだろう。現代、せめて小さな子供はもっと疑問を持つ必要があると思う。

   講評   ogi


 いすもさん、こんにちは。
 ピアノもがんばっていますか?
 今月も大変な中、とてもよく努力しましたね。

       

 5.1週は、日本の祝日のため、お休みです。
 課題とヒントをよく読み、いつも通りの項目を入れて作文を書いてください。


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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