国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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受け身による喜び いへゆ
全体性からの離脱する危機を感じるとき、人は自己と対象の違和感を消滅しようとする。路傍の花をみて喜びを感じるのは、花を通じて、季節うちに、自然のうちに、全体のうちに復帰しうるを喜んでいるのである。しかし、それは逃避なのだ。
今の社会には、喜びや楽しさを感じる対象がテレビやラジオのような、私たちが受け身側になるものが多い。その対象が増えていくと、将来、自分で喜びや楽しさを見つけることができなくなってしまうことが問題だと思う。
そうならないための対策として第一に、常に受け身による喜びを求めなくてはいけないような、過酷な生活を改善することだ。自分の喜びにならない仕事や勉強はしすぎず、ゆとりを持った生活するべきだ。「不況になると音楽がはやる」という話を聞いたことがある。これは、大変な生活を忘れさせてくれる音楽に癒しを求める人が多いからだと思う。しかし、生活にゆとりがあれば、喜びはその生活の中で見つけること出来る。常にゆとりを持った生活をすることが大切だ。
第二の対策として、機械からではなく、人との関わりのなかで喜びを探してみることだ。機械はボタンさえ押せば、勝手に喜びを与えてくれる。しかし、人との関わりの中では、人からの働きかけがなければ、喜びを作りだすことは出来ない。人にほめられるということ嬉しい。この喜びは、相手が意図的に与えてくるくれたものだ。その喜びを相手にも分けてあげたくて、ほめかえす。ほめられ、ほめて、またほめられる。人との関わりの中でつくる喜びは、時に受け身だけの喜びの二倍になることもある。
たしかに、受け身による喜びは簡単に手に入るし、誰の協力も必要ない。手間をかけず簡単に出来るということは、今の忙しい社会で生活している人にとって、とても便利だ。しかし、「簡単に与えられるよりも、苦労して得るほうが、喜びはおおきい。」。私は、将来、自分で喜びを見つけられない人がいないようにするために、受け身の喜びに頼り過ぎないことが大切だと思う。
講評 huzi
難解な長文です。何度も読んだと思います(わたしはそうでした)。要は…劇や映画、小説、自然美、華々しくあるいは感動的に語られる物語。これら非日常の体験と自分がどう向き合っていくのかというところがポイントでしょうか。
最近よく目に付くのが、映画や本の評に「いつまでも涙が止まりません」「自分の生きかたを変えられそうです」述べた文言。ほんまかいな?と疑問を持ったことはある?
【社会問題の主題】には、与えられる感動に受け身になっている姿勢を疑問視した意見を置いたね。これでいいです。
【対策】の1、そうですね、喜びや感動がなければしんどくなるような生活自体を見直さなければならないという意見には共感できます。そちらでは「癒し」ブームはないでしょうか。日本は今でも大流行です。
【対策】2、「機械から」がやや唐突な感じがするなあ。「機械」と限定せずに、「既製のもの」「与えられるもの」としてみてはどうでしょう。たとえば、この評の冒頭に述べたように、身の回りには「超感動的」「号泣」商品やサービスが目白押しですが、自ら探し歩いて見つけたモノや人との関わり、小さくても心が動く瞬間は貴重ですね。
【反対意見理解】は明確に主張できています。結局私たちは、感動すら便利で効率的に手に入れようとしているのかもね。
【自作名言】は、ストレートな文言になったね。英語にしてみてもいいかな。たとえば「Easy Come Easy Go」という言葉がありますね。
末文は整理してみよう。パッと見て意図が伝わるように。
……
5.2週(12日)はお留守だったかな?
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