国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   言葉とは   さきか

 桜の散り初めの頃のある日、枝を離れた花びらを見ていて、これが地面に達するまでのあいだの状態を、ぴたりと表す言葉がないのに気がついた。桜の花びらと、からまつの葉と、自然はついに言語の及びえないものなのであろうか。花便りの色々の言葉を作り出し、育ててきた日本語だから、筆者のまだ知らない所に、ひらひらと落ちる桜にぴったりな言葉があるかもしれない。もし日本語にそれがなければ、それは日本語の語彙の貧弱を意味する。
 私は以前にNHKの合唱コンクールをテレビで見て作者と同じような体験をした事がある。テレビで見ていたにも関わらず、ただ圧倒されて、「すごい」の一言しかでなっかた。次の日、学校で友人にその事を話すと
 「すごい、すごいって他にもうちょっと言い方ないの?全然どんな感じだったかわからないよ。」
と怒られた。その時、私は自分の語彙の少なさに恥ずかしくなった。しかし、それを見た時、私は何がきれいだったとかそういったものも分からずに「すごい」と思った。
 また、私ならば筆者の言い表せなかった言葉に「舞い落ちる」という言葉をいれる。桜やからまつの葉が浮かんだりしながら落ちていくのは、まるで躍りながら落ちているようだと私は思う。特に桜は見た目も美しく、落ちている時には永遠に続くわけではない儚さのようなものが、舞とよく似ている。しかし、筆者の言うように、一枚一枚の花びらが散り行くのを「舞い落ちる」と言うの
だろうか。一枚の花びらが「舞い落ちて」いても、それが自分の重みで枝から離れたのかは定かでない。従って、一枚一枚花が落ちるのを「舞い落ちる」と言えるが自分の重みで枝から離れる言葉がないのではないか。もしその言葉が見つかれば後ろに「舞い落ちる」をつけてこの言葉は完成である。
 日本語は、「ひらひら」や「ざーざー」などの擬声語や擬態語を使うが、これらはその土地に密着していないと使われない。例えば日本には梅雨があるがアメリカにはないので、アメリカ人には「雨がたくさん降る」程度の事しか言えない。それはアメリカ人の雨の捕らえ方がおおざっぱだからである。同じように北極圏に住む人は雪の種類をとても細分化している。しかし私達には「雪」「雹」「霙」くらいにしか区別できないのだ。このように、言語というのはその土地に深く関係があり、文化にも大きく影響している。これらの言語が失われれば文化にどれだけ多くの影響があるだろう。私達人間にとって言語というものは単なる情報交換や意思疎通の手段ではなく、私達のアイデンティティを見つけるのに役立ったり、またそのアイデンティティの大切な一部である。 

   講評   kira

 さきかさん、こんにちは。6月4日は進級テストです。頑張ろう。


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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