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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   時計の針と時の速さ   いさせ

 「時について考えるには、時をまずその原初の意味についてとらえ直す必要がある。そうすると、時は『もの』である。手で捕まえらることのできる『もの』、眼で見、耳で聞くことのできる『もの』である。時はタンジブルなものである。桜の花の咲くとき、梅の実の黄ばむ時である。そういう時に逢う時、それが時である。古池や、蛙とびこむバッシャ という音、それが時である。『もの』を離れて時はない。」
 時間、とは何者なのだろうか、この世で唯一全ての人間に対して平等に与えられるもの、絶対に止まることのなく、何人にも止められないものだ。それが解っていても、時間とは何かと聞かれて、すらすら答えられる人は、かなり稀だろう。つまりそれだけ時間というものは、人間の身近にありながら、理解されていない存在なのだろう。
 たいていの人は、時間の話をする時、時計を想像するはずだ。なぜなら、われわれの生活は、このチクタクと進む針によって動かされ管理され、振り回されているからだろう。時間が絶対的だと考える理由はここにあるかもしれない。ところがこの分の著者はそうは思ってはい無いようだ。どういうことなのだろうか。
 「桜の花の咲く時、梅の実の黄ばむ時、それが時である。」この著者は、時間は本来もっと感覚的で感じることのできるものだと考えているらしい。確かに私いたちの感じる時間には緩急がある。楽しんでいるは一時間もあっという間に過ぎ去るし、苦しんでいる時は一瞬が永遠にも感じられる。まぁ当然のことながらそう感じているという心理的な問題であって、本当に時計の針が速く進んだり、遅く進んだりするわけでは無い。
 話題が少し脱線してしまうが、時計とはなんなのだろうか。時計は地球の自転の周期を正確に区切ったものだ。昔々は地面に棒を立ててその影の角度を見る、なんて粗末なものだったが、今や誤差何億分の一なんてレベルの時計すらある。いずれにしてもそれらは人が造ったものだ。と、言うことは、我々が時間、だと思っている概念も、人の手によって造られたといえる。
 つまり、感情の変化と時間の経過という問題は一見何の関係もないように見えて、密接にに関係しているのだろう。そう考えると、時間というものは人が「あぁ、もう夕がただなぁ」と夕日を見て思ったり、寒くなってきたので「もうふゆだな」と思った時、感覚的な時間の針は進むのかもしれない。時計の針は、人間の計測したものであって、現実ではあるが、人の心理とは無関係であり、時計を見て意識するのは時計上の記号だ。計ったものと、感じたものは違うのだということだろう。時計の針はすべての人に平等であるが、それをどう受け取るのかはその人のその時点の感情によってすすむのだ。
 もしこの世から時計をなくしたらどうなるのだろう。どこかの推理小説では、『時計から解放された人は、かえって時計に忠実になる』だそうだ。かつては人間も時計などもっていなかった。もしこの言葉が事実なら、時計を持っている人々が自ら造った時計という物体の針のリズムに踊らされている様は、時計を持たない人々や動物たちには、何とも滑稽に見えるかもしれない。

   講評   nara

 改めて読んでみると、新たな発見があってまたおもしろい。「感覚的な時計の針」は人の中にあるから、個々に異なって当たり前だ。時計の針の進みが同じだと思っていること自体が、人間の幻想なのかもしれぬと考えたときに、「ばかばかしい」と思うか、「それもありかも」と思い実証してみようと思うか。何度もチャレンジして未だ理解できない相対性理論が、ふと頭をよぎってしまった!
 6月1週目は進級テスト。キーワードの確認を忘れずに。

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