国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   日本人の美徳   さくら

花便りの言葉も、微笑感覚を表し分けて、まこと風情に富んでいる。だが、一ひらまた一ひらと、自分の重みだけで木を離れ、○○○てゆく花びらのありさまを言う動詞は、簡単には見つからない。桜の花びらと、からまつの葉と、自然はついに言語の及びえないものなのだろうか。
四年程前に、中学の修学旅行で古都・京都を訪れた。他の中学校は大抵、初夏に訪れるらしいのだが、私たちは二月だった。身を切るような寒さだったのをよく覚えている。雪がぱらぱらと舞い散る中、私は鹿苑寺金閣を訪れた。鏡湖池という名の通り、まるで鏡のように静まり返った水面に映る、雪化粧をした金閣はまさに言葉では表現することのできない美しいものであった。表現できたとしても、すべてを言い尽くすことはできないのではないのだろうかと、思わせるほどその金閣は優雅さや、威厳、風格に満ち溢れていた。言葉にすることができないというよりも、言葉という形式にして外部化してしまうことが、もったいなく、惜しい気さえした。
本当に日本語は貧弱な言語なのだろうか。日本の随筆文学の最初の作品である『枕草子』には「えもいはず」や「いふべきかたなし」、「いふべきにもあらず」、「いふもおろかなり」などといった文が多く見受けられる。どれも「言葉にできないほど素晴らしい」という意味である。鋭い感覚を持ち、機知に富んだ女性であった清少納言でさえも山紫水明の情景を表現できなかったのであろうか。私は、そうは思わない。清少納言はあえて言葉にして表現しなかったのではないだろうか。古来より日本は直接的に表現することを嫌い、間接的に表現することを美徳としてきた。「以心伝心」や「拈華微笑」という言葉もそれをよく表している。あえて全てを表現しないところに余韻が生まれ、そこから「美」を見出すのが日本人なのであろう。
人間にとって言葉とは相手に何かを伝達するための媒体である。つまり、言葉は出力するためのものだ。あまりにも美しき情景を見たとき人は、「言葉にできない。」というよりもむしろ、「言葉にしてしまうのはもったいない。」と思うのではないのだろうか。言葉にしてしまえば、情景は何らかの形で定められ、類型化される。自分を感動させた情景をその情景が持つ独自性を保ったまま表現するには「言葉にできない」とするのが最も適切であろう。あえて表現しないことで、その情景のまま心に留めておくことができるのだ。

   講評   takeko

 いい清書になりましたね!
 インターネットで送られてよかったです。体験実例と意見のバランスはなかなかむずかしいですよね。今回は詩情あふれる文、ということで意見が少ないのもいたしかたないと^^)。

 この絵はパソコンで見てください、動いています。

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