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【utiからのデータ】
相手: ihasa
自分: ihasa
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おそらく、これをそのまま外来語に翻訳したら、まったく意味のなさがないだろう。だから、日本人のノーは、けっして絶対的な否定ではなく、その一部にイエスを含み、イエスは、そのなかにノーの要素をあわせ持っている。けれど、さらに視点を移してみると、それはある種の「自由」であり「寛容」であり「希望」ですらあるといえよう。(要約) 私がこの話を読んで一番ハッキリした方が言いと思ったのは日本人です。私もだけれど、聞かれたことにハッキリとこたえない。これは答えじゃないと私は思う。 私にも似た話がある。それは、友達とのハッキリしないはなしだ。 「ねぇねぇ、ちえ〜。○○みのことすき?」 と、ゆうがよくきく。○○みのことはきらいだが私はばれると大変なので 「う〜んわかんない。」「すきなときもあるし、きらいなこともある。」 これは、答えじゃない。聞いていることは、好き・嫌いかだ。それなのに上のような答えを出すなんておかしいと思う。 最近、若い人たちが、 (例)「テストできた?」 「う〜ん、ビミョウ……」 このいいかたは失礼だと思う。だいたいこれは言葉ではないと思う。答えるのがめんどくさいからたんにそういっているだけだ。私の母は『ビミョウ』という言葉を使うとおこる。なぜかというと『ビミョウ』というのは言葉じゃないからである。私のいとこもそいうふうにいう。今、言ったことが日本人のハッキリしないところだ。 外国の人はとてもハッキリしている。だって、イエス・ノーしかだいたい答えない。(つづく)
上のutiの本文が、下のhyoukaの本文にも上書きされる。
その他:
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/email:
/nitiji:2003-07-09 17:05:03
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