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 森の自習記録
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 あえたやさんの自習
1世界を分かりきったものだと思っていることはいいこととは言えない。子供がお父さんが飛んでいても驚きはするがすごいと思うだけであり、お母さんの場合だと人間は飛ばないということを当たり前のように思ってしまう。それは週間の問題だ。私たちは子供のうちに、この世界に驚く能力を失ってしまうのだ、それによって、私たちは大切な何かを失う。
2私はごんぎつねという絵本を読んだことがある。ごんぎつねというのは、『ごんぎつね』は、いたずら好きな子ぎつねのごんと、村に住む兵十という男の人の話である。ごんはある日、兵十が川でとったうなぎを、いたずらのつもりでこっそりぬすんでしまう。しかし、そのうなぎは病気のお母さんのためのもので、お母さんはそのあとすぐに死んでしまう。ごんは自分のせいで兵十が悲しんでいることを知り、ひどく後悔する。そこでごんは、少しでも兵十の気持ちが明るくなるようにと、栗や松茸をこっそり家に届けるようになる。兵十は最初、だれが持ってくるのか分からずふしぎに思っていたが、だんだん「もしかして、ごんぎつねではないか」と気づき始める。ある日、ごんがまた栗を届けに来たとき、兵十は物音に気づき、敵だと思って鉄砲を撃ってしまう。ごんは倒れ、兵十はその姿を見て、栗や松茸を届けていたのがごんだったと知るのである。物語は、ごんが倒れ、兵十がそのことに気づいたところで終わるというお話だ。いつ読んだかと言うと、4年生のときに、国語の授業で、ごんぎつねの話が出てきて、そのことを親に話したら、ごんぎつねの本を買ってもらって、親と一緒にその本を読んでいて、読み終わったあとに親に、1つ質問をされた。それは、兵十のお母さんが亡くなって、お葬式をしている場面があるのだが、そのときの絵に、親戚の人が何かを煮ていて、それが何だと思う?と聞かれて、僕は、お母さんだと思うと言ったのですが、普通の大人は、料理だと思うらしいが、僕は、お母さんだと思った。翌日友達に聞いてみると、やっぱりお母さんと答える。まるで、大人はお母さんは葬式のときに煮ないことを当たり前のように感じていると思わされる。
3僕はトトロという、ジブリの作品を見たことがある。そのお話は、サツキとメイという姉妹が、お父さんといっしょに田舎の古い家に引っこしてくるところから物語は始まる。お母さんは病気で入院しているので、二人は新しい家で力を合わせて生活しているのである。
ある日、メイは庭で小さな生き物を追いかけていくうちに、大きな森の主みたいな生き物「トトロ」と出会う。トトロはふわふわで大きくて、ちょっとこわいけれど、やさしい感じのする不思議な存在である。サツキも後でトトロに会い、二人はトトロと友だちになるのだ。トトロは、風を起こしたり、巨大なネコバスを呼んだりするなど、ふしぎな力を持っている。サツキとメイは、トトロに助けられたり、楽しい時間をすごしたりして、だんだん元気になっていくのである。しかし、ある日メイが迷子になってしまい、村中が大さわぎになる。サツキは必死で探すが見つからず、最後にトトロに助けを求める。トトロはネコバスを呼び、サツキをメイのところへ連れていってくれるのである。こうして姉妹は無事に再会し、お母さんの病気も少しずつよくなっていく。トトロとの出会いは、二人にとって大切な思い出になったのである。というお話で、大人は、トトロなんていないと当たり前のように思うが、子供はそれを知らないのだ、だから、トトロや、ネコバスなどと言った、通常ではないような、ものを信じれる。逆に大人は、その実物を見るまでそうは思わない。そのことについて僕は、まあ僕も実物を見なければ信じられない。
4人間にとって不思議に思うことは、子供のうちにあることだ。だから、何も間違っていることではないという事がわかった。そして、この文章つまり、ソフィーの世界は難しいと再度認識させられた。喉元過ぎれば熱さ忘れるということわざもあるように、人間はおとなになると、不思議なことも、忘れてしまうのだろう。