しかし、徳とは引用ではなく、自分に染みついた一部である、という名言のあるように、人間の本質というものは、人生をかけて完成させるレポートなのであり、それは死という仮の期限がもたらす、人間の物事への理解の痕跡だ。 (104字)
「スマホを落としただけなのに」。これが表すように、今私たちにスマートフォンがもたらす影響は計り知れない。それは、人の知識が全て集約され、Googleが知らないことなどないのではないか、と豪語される時代なら当たり前とも言えるかもしれない。しかし、それがもたらすのは良いものばかりでなく、人々の思考力や耐久性、物事への知的探究心などを削ぐ原因になる。何事も指一本でわかってしまう現代だからこそ、あえてパラドックス的な、深部への探求を意図的にする必要性が出てくるのだろう。全ての事柄において、早急に理解を求めるべきではない。
第一の方法としては、その物事の本質を知ろうとすることである。例えば、私は小学校の頃、あまり勉強が好きではなかった。新しいことを学ぶ度に、義務のようにただ消化していた記憶がある。しかし、受験をして中学に入ってから、その考え方は180度変わった。学習内容に一気に深みが出て、授業が楽しくて仕方がなかった。特に先生の影響は大きく、その科目への愛や、何しろ好きなことに対して溌剌と取り組む大人の姿は、私にとって多すぎる刺激だったのを覚えている。今もそれは変わらないのだが、同時に深く知れば知るほど、学問というものの核心が自分から遠ざかっていくのも感じている。高校一年生になり、学生でいられる時間も、あと6年ほどで終わってしまう。それなのに、私はまだ社会に転がっている学びのカケラさえ拾えていない。ただ、よく考えればそれは当たり前なことでもある。私より学問に何倍もの愛を抱いている専門家たちが、細分化された多様なジャンルの学びの中で、一生をかけて研究しても、分かることは一雫あるかないか、というところなのだ。私は今、ありがたくその集大成の恩恵を受けているのであり、古今含めた人々の努力と知恵の巨木はそんな容易に把握できるものであるはずがない。ただ、その木の前に立っているだけで、なんとかその根っこに触れたいと、必死で知識を吸収しているだけだ。ただ、だからこそこんなにも奥深くて面白い。どれだけ手を伸ばしても、絶対に届かない深い根っこが、人々を学問に走らせているのだ。その巨木は、人生をかけてその根っこに触れようとした人々に、最期ささやかなご褒美をくれるに違いない。それは、長い期間をかけて育った物ゆえに与えられる、大きな価値ある核なのではないか。そうして一瞬だけ触れた触感には、安易に理解できるものとは違う、独特な触り心地が絶対にある。すなわち、簡単に理解できないもの故に人々が貪欲になることに意味がある。なぜなら、その過程こそ人類の創造性の根源と言え、そのプロセスが今の学問を生み出したと言って過言ではないからである。その中々本性を表さない特質が、何世紀にも渡って人々を虜にする種なのだ。
第二の方法としては、早まらず、長いスパンで物事を見ることである。突然だが、日本人はノーベル賞受賞者の数が多いことで有名だ。私の知人から聞いた話によると、資源の乏しい小さな島国のここまでの発展はそうした技術の高さが要因となっているらしい。しかし、今受賞者や専門家が口にしていうのは、すぐに実用化できる結果を求めるあまり、基礎研究への資金がないということだ。今までの受賞者は皆、基礎研究を丹念にやってきたからこその受賞だ、と口を揃える。そんな中、短期的な視点のみで政府などが援助をする場合、これから日本の技術は衰退の一途を辿ることになってしまう。さらに、それを教育という大きなカテゴリで見れば、日本の学生は創造性のあるような分野に弱く、暗記したものを応用させる力が高いというようなデータもある。それは素晴らしいことであるのだが、そういったものに特化すればするほど、日本人は世界から置いていかれるような気がしてしまう。こんなにグローバルになった世界の中で、井の中の蛙になっている場合ではない。従って、これからの時代に合わせて、人間としての能力を最大限まで引き出す、目先にとらわれない教育が与えられる必要がある。
確かに、結果は大事である。しかし、徳とは引用ではなく、自分に染みついた一部である、という名言のあるように、人間の本質というものは、人生をかけて完成させるレポートなのであり、それは死という仮の期限がもたらす、人間の物事への理解の痕跡だ。全てに白黒期限を求めるのは大いなる過ちで、本当はグレーゾーンの合間を縫いながら、最後の読点まで息を止めてはいけないのである。私は、これからの人生を歩む上で、物事の真核に対して悩むことを大前提に進んでいきたい。自分の頭で悩み続けたその先には、明瞭でなかろうが、なんだろうが、いい色が待っているに違いない。
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