| アイデンティティー(?) | 
| イチゴ | の | 谷 | の広場 | 
| 拓馬 | / | ねき | 中2 | 
| 縄文土器は、「日本」の美術史から除外されている。それはいわゆる「日本風 | 
| 」とはまったく正反対で異質であるためである。が、弥生以来の陰湿なパター | 
| ンに対して、それは根源的感動をぶつける。よりナマに近い人物像を突きつけ | 
| 、現代の惰性を打ち破ることにもつながる。 | 
| 現代の芸術とされているものと過去の遺物として葬り去られた美術の二つの | 
| 糸の上を異様なバランスで渡っていく。一本の糸に二本の足を立てれば、ある | 
| いは軽業師のように安定するかもしれないが、二本の足で、二本の違った筋を | 
| わたるのは絶望的である。 | 
| 魂に純粋にふれあう筋で走るべきか、現実的であるが故に絶望的な因果の筋 | 
| を矛盾に耐えながら走るべきか、いずれにしても、その二本の糸を微妙なバラ | 
| ンスで進んでいく。 | 
| 我々はどうも、一般常識の道から極力外れないように生きていく習性がある | 
| ようだ。他人の批判を浴びると、すぐにその道を諦めてしまう。そして、自分 | 
| が異質にならないように他のものにあわせようとする。確かにそれは否めない | 
| ことである。だれでも自分が一人で孤立するのはいやなものだ。なんとなく、 | 
| 自分が否定されている感じがあり、間違っているような気がする。何かの機会 | 
| に聞いたのだが、仕掛け人49人と実験台(?)1人がスクリーンに映った色を何色 | 
| かいっていく、という実験で、スクリーンにあからさまな「青」を映し出した | 
| とき、仕掛け人が全員「赤」と答えると、その人も、「赤」と答えたという。その | 
| 後、仕掛け人のうち、一人だけ「青」というようにすると、その人も今度は「青」 | 
| と言ったという。このように、人は自分一人という状況ではこんな簡単なこと | 
| も他人に合わせようとしてしまうのだ。それが、最良のこととして定着してい | 
| るし、別に悪いことでもないと思う。 | 
| が、それでは自分の意見が通ることはなくなる。みんながみんな付和雷同に | 
| 「俺も」「私も」といっていては、一個人的に見ても世界的に見ても進歩はみられ | 
| ないし、成長することもない。みんなが一つの意見に賛成と言う結果は端から | 
| 見れば素晴らしいことかもしれないが、実は実質的には適当だったり、面倒だ | 
| から、ということだったりするのである。すべての人が心から「これが正しい | 
| 」と思っていることは、まずないと思う。そんなことは、宇宙人がやってきて | 
| 、みんなをキャトルミューティレーションして洗脳したなど、特殊な場合のみ | 
| だろう。だから、自分の意見にまっとうにそれだけを信じていくのも良いだろ | 
| う。自分の気持ちにうそをつく必要はない。正直に生きろ。 | 
| みんなの意見にそって、自分の考えを作るのは楽である。しかし、自分のそ | 
| のものの意見をまっとうするのは、素晴らしいことである。また、現実社会を | 
| 生きていくうえでは、前者は不可欠であるし、理想(自分の意見)をかなえるた | 
| めに努力するのは誇れる生き方である。結局は、自分が決めることなのである | 
| 。力を抜く所で抜いておかないと、最後まで持たない。かといって、楽をしす | 
| ぎても意味がない。そこの所が難しい。だから、最終的に理想をかなえるよう | 
| に、ところどころで力を抜くことが必要である。「自分が考えるとおりに生き | 
| なければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるよう | 
| になってしまう。」と誰かが言っていたように、自分の道は自分で作れ、とい | 
| うことである。目的地に到着するための道を先に作らなければ、自分の理想に | 
| かなわない人生を送ることになる。夢をもて。そして、その夢に向かってはば | 
| たくための翼を造れ。 |