| 脳死について |
| アジサイ | の | 道 | の広場 |
| ひまわり | / | あなつ | 高1 |
| 最近では脳死状態の体を「生かして」おくことができる。つまり生き手放し |
| ながらなお死を中断された、ある種の中間的身体が作り出されるのである。脳 |
| 死をめぐる現在の論議の中で問われているのは、向こうから訪れる死を「みな |
| しの死」と置き換えるということなのだ。移植治療にとって訪れる死を確認し |
| ていたのでは遅くその段階で解放することにする。そして役立たない自明の死 |
| を、人間の利益にそくして役立つ死へと転化するのだ。 |
| ある日私の友人がドナーカードというものを見せてくれた。自分もドナーに |
| なったのだと言った。自分がもし脳死になったら臓器を提供する。4,5人で |
| 話していたなかで私以外みなそう言っていた。ただ寝たきりで何も喋れない状 |
| 態を面倒見てもらうなんて親や友人に悲しい思いをさせてしまうばかりだし、 |
| お金だって迷惑かける。それに意識がないのに生きているなんて意味がないし |
| 、それならまだ臓器があれば生きることのできる人に譲ってあげた方が役に立 |
| つ。寝たきりで死んでいるように生きるより、役に立って死んだ方が良い。そ |
| んな事を言い合っていた。私はそんな友人達を素晴らしいと思った。心が優し |
| いのだと思った。私も是非そうできたら良いなあとはおもうのだが、実際のと |
| ころ、私はドナーにはなりたくない。 |
| こういう自分を自分勝手で優しくない奴だと思うが、しかしそれでも、もし |
| 私が脳死になったら本当に心臓が止まるまで生き延びていたい。少しの可能性 |
| でも生き返ることだってあるかもしれない。たとえ自分の臓器で一人の命が助 |
| かるかもしれないといっても、やはり自分が生きていたいと思う。だって死ん |
| でしまったらもう何もないのだ。心をいうものがなくなって「思う」というこ |
| とができなくなるなんて想像つかないが、私は考えるととても怖い。本当に自 |
| 分だけのことしか考えてない自分にも嫌になるが、これが正直な気持ちなので |
| ある |
| 私はここで、自分の考え方が間違ってないなんてとてもじゃないけどいえな |
| い。むしろ友人のような考え方が人のためになっていいとは思う。しかし上手 |
| く言えないが、自分勝手でも、自分は自分のものだから、自分が思うとうりに |
| 決めた考えは決して後悔はないと思う。とにかく、これは本当に難しい問題だ |
| 。EL |