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食事の文化はそれぞれ違う |
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俊輔 |
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あやゆ |
小5 |
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食事というものは、いろいろな条件に規約された文化と言う構造体の重要な部分である。文化の単位をなしている個々の項目というものは、一つ一つが、 |
| 他の項目から独立したそれ自体で完結した存在ではなく、他のさまざまな項目との間で、一種の引っ張り合い、押し合いの対立をしながら、相対的に価値が |
| 決まっていくものなのである。自分の文化にある文化項目が、他の文化の中に見出されたからといって、直ちにそれを同じものだと考えることが誤りなのは |
| 、その項目に価値を与える全体の構造が、多くの場合違っているからで、したがっていろいろと食い違いが生じてくるのも当然である。 |
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僕は昔、よくひとつのものに集中的に食べる、つまり『ばっかり食い』というのをしていて、お母さんに叱られた。「ご飯とおかずを交互に食べなさい。 |
| 」と。それでも僕の『ばっかり食い』は治らず、お母さん、お父さんは困っている。よく3歳までの教育は大事だというが、僕はこの『ばっかり食い』を3歳 |
| 以上のとしになって燃していたために、この『ばっかり食い』が治らなかったのだろうと思った。僕は、この坂本家のなかで、まるで、僕が外国人のような |
| 気がした。なぜなら、外国人は、ひとつの食物を、一気に食べるという、日本人と異なった食べ方を僕がしているからである。しかし、現在は、きちんと日 |
| 本人の食べ方、つまりいろいろな食べ物を交互に食べるやり方をしている。今にして思えば、現在の食べ方の方が、『ばっかり食い』をするのよりも、食べ |
| 物がおいしく感じられる。『ばっかり食い』を治して僕は得をしたという体験をした。 |
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また、こんな体験もした。レストランに行き、食べるもの(メニュー)を決め、それが来るまで、隣の人を見ていた。するとその人は、口を開けて、クチ |
| ャクチャ食べていて、それを見て、僕は少し面白い人だと思った。そして、真似をしてみたくなった。僕は、自分にとって相手が面白いことなどをしていた |
| 場合、真似をしたくなるという、とても変な性格であった。だから、今回も、真似をしてみたくなったのだ。早速真似をした。口を開けて、クチャクチャし |
| て食べる、と自分で思い返しながら食べた。ところが、それをしたとたん、お母さんに叱られた。(当たり前のことだが。)そして、僕は、決してこういう |
| ことをしてはいけないということをその時はじめて知った。 |
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僕は、食事のマナーの決まりが、日本であり、外国でもある、つまり、それぞれの国にマナーがあるということが分かった。また、それぞれの国にも食事 |
| の文化があり、そうであると、誤解を生むということも分かった。 |
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