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潤之介 |
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かな |
中2 |
日本人は、淡泊であるかわりに持続力に欠けていると言われる。そういう淡泊好みの通人たちが考えだした詩型が和歌であり俳句であって、短いことでは |
| 世界に類がすくない。そういう和歌と俳句の相違はありながらも、実によく似ているのは、言葉のいわゆる論理に背をむけていることである。感覚的に全体 |
| を直感で把握する。 |
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目に青葉 山ほととぎす はつ鰹 |
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この句の表現しようとしているものを理屈で説明しようとすればおそらく何十枚もの文章を必要とする。それでも言い表わせぬものを、凝縮させている。 |
| 論理を超える論理があるからだ。 |
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私は、理屈でこってりしているものより、淡白であっさりしている方がいいと思う。その理由はふたつある。一つは、淡白であっさりしている方が、感受 |
| 性が敏感になるからである。アメリカと日本を例にあげてみよう。アメリカは、脂や肉を使ったギトギトした料理が多いが、日本人は、ご飯や、おひたし、 |
| 味噌汁など、あっさりしていて脂を使っている料理は少ない。あぶらをとってるとしても魚などにもともと含まれている「油」である。こういう食文化の違 |
| いは関係ないかもしれないが、アメリカ人はもと元しっかりとした内容の文章を好む。だから日本人が短歌などで「痩せガエル 負けるな一茶 ここにあり |
| 。」というとたいていの日本人は、痩せてる蛙が太っている蛙と戦っている光景を思い浮かべたりするものである。しかしアメリカ人がこの歌を聞いたとし |
| ても、全く何を言いたいのかわからなくて、「何に負けるななのか?なんで蛙なのか?あなたは審判なのか?」などと思ったりすると思う。だからやはり語 |
| 彙を豊富にしたり、その時の情景を思い浮かべるような神経を養うためには、あっさりした短歌などを読むのがいいと思う。 |
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第二の理由に、理屈ではなく直観で物事を考えると、人をきずかう思いやりの心ができるからだ。例えば告白してフラれて落ち込んでいる人がいたとしよ |
| う。その人を慰めるときに、なぜフラれたのか、どうして告白したのか、誰にフラれたのか、どうしたら立ち直れるかなどを理屈で判断して、 |
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「ここが悪かったと思うから、今度からはここをこうやってこうすればいいと思うよ。」 |
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などと言ったらそれは慰めではなくて助言になってしまう、やはりここは、直観で判断して、なにか一言適当な言葉を投げてやった方が慰めになると思う |
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確かに、ときには適切な助言が必要だが、「限られた人生で大事なことは「なにをするか」ではなく「なにをしないか」である。」という名言のあるよう |
| に、私たちに大切なことは、「なにをいうか」ではなく、「なにをいわないか」なのではないだろうか。 |
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