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| 講評 | 
| 題名: | 学問の意義 | 
| 名前: | 杉田大岳 | さん( | うい | ) | 高2 | アジサイ | の | 峰 | の広場
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| 内容 | ◎ | 字数 | 500 | 字 | 構成 | ◎ | 題材 | ◎ | 表現: | ○ | 主題: | ◎ | 表記: | ◎ | 
| "☆" 現在の日本で行われている学問は、「短絡的な見通し」で「今の便利社会を増長すようなもの」ばかり、と | 
| いうかなり否定的な意見をぶつけているね。これは「実用」という点から考えるとどうだろう? おそらく、うい | 
| 君の考えとしては、「本質的な点が非常にレベルの低いもの」=「目先の実用性」というイメージではないかと思 | 
| うけれど、どうかなぁ。この「本質的な点が非常にレベルの低いもの」という部分を具体例で示しておくと、読み | 
| 手には親切だね。"☆" 大きな視野・大局的な考え方できなくなったのは、「個性を嫌う日本の教育」が原因であ | 
| るというのが、うい君の主張だね。ここは前段落で指摘されているけれど、もう少し言葉を費やして現状分析して | 
| もおもしろそうだ。 日本のような管理社会では、個性が摘まれてしまい、大きな視野のもとで個を活かすことが | 
| できなくなってしまう。  ↓ その結果、逆に狭い範囲での個の主張を、極度に重視する傾向が強くなる。(こ | 
| こはぜひ指摘しておきたい)  ↓ このことにより、社会という大きな視点でのニーズではなく、ごく身の周り | 
| でのニーズを満足させるということに、力点が置かれてしまっている。 社会・人間本来という大きな視点であっ | 
| ても、ニーズとして実感できれば、それを得るための動きが取れるという可能性は、今の日本人に残されているの | 
| だろうか。それすらも残されていないのであれば、かなりの重症だと言えそうだ。「残されている」という立場に | 
| たつのと、「(ほぼ)残されていない」という立場にたつのとでは、ずいぶん論調が変化しそうだね。うい君はど | 
|    | けいこ | 先生( | なら | ) | 
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