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|   | 人間の死と動物の死 | 
|    | イチゴ | の | 池 | の広場
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|    | ひろりん | / | あしゆ | 中1 | 
   人は進歩によって「死」と隣り合わせになることを忘れてしまっている。それによってひたすら自分の死におびえ、死の恐怖が行き着くところは | 
| やはり不幸な死しかない。しかし動物たちは死は常に目前にあり、生というものが死を含んでいることを知っている。しかも狩るか、狩られるかと | 
| いう危険なゲームにみな参加しているのだ。しかし、だから目の前の若い青い草の味を楽しみ、仔が無事に生まれたことを喜び、その時そのときを | 
| 懸命に楽しんでいるのである。 | 
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   私たちはいつも動物の死体を食べている。牛や豚や鳥、それらは私たちに必ずかかせない栄養源である。しかしそれを食べるのに自分たちの誰か | 
| が死ぬわけでもないし、またその動物が殺されるところを見るわけでもない。私たちはいつも狩る側で、狩られる経験があまりにないので「死」に | 
| 恐怖を感じてしまうのである。私もそうだ。今まで自分に近い人が死んだことがないのでその感覚がわからないのだが、人間が一人生まれたという | 
| ことは必ずいつか死ぬのだ。それでただおびえて暮らすのではなく、「死」を理解した上で充実した暮らしを送るべきだ。私も死ぬときは太っても | 
| いいから御菓子をたくさん食べて、その頃の世界一のジェットコースターに10回以上乗ろうと思っている。(その時ばーちゃんになっているとし | 
| て年寄りにそんなもんが乗れるんだろうか?) | 
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   死と隣り合わせにいる動物も、やっぱり死ぬのは怖いと思う。死ぬのがいやだから食べられそうになったとき必死で逃げるのだ。それでも動物た | 
| ちはその日を一生懸命生きている。その点私たちはどうだろうか。なんとなく過ごす日もあるし、「死にたいなあ」と思う人もいるだろう。そこは | 
| やはり動物達を見習うべきである。 | 
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