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| | 助けて!アインシュタインじいさん! |
| | エンジュ | の | 森 | の広場
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| | キティ | / | いぬこ | 小4 |
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親愛なるアインシュタインじいさんへ |
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二00一年九月十一日。アメリカの世界貿易センタービルが崩れ去りました。 |
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私はテレビの映像を見て、最初はただの飛行機事故だと思っていました。しかし同時テロだと分かり、だんだんテロ対アメリカ(とアメリカを応 |
| えんする国々)という戦いがはっきり見えてきました。「戦争になるかもしれない。」と、私はとても不安な気持ちでいっぱいになりました。 |
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そして、ブッシッュ大統領が戦争を宣言しました。数日後、彼はテレビで10才の女の子が書いた作文を誇らしげに読んでいました。その女の子 |
| はこう書いていました。 |
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「私のお父さんは、戦争に行かなければならない。行ってほしくないけれど、国のために行かなければならない。私はお父さんを心から尊敬しま |
| す。」それを横で聞いていたお母さんは、まるでこれは約60年前の日本のようだ、となげいていました。約60年前の日本でも、戦争で死ぬこと |
| はすばらしい、と子供たちにまで教えていたそうです。 |
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私がもしニューヨークに住んでいて、同じことになっていたら、私もあの女の子のように考えると思います。行ってほしくないけど、行かなけれ |
| ばならない。けれども、国のために戦って死ぬことはすばらしいとは思いません。私のお父さんがアメリカ人じゃなくてよかったです。 |
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アインシュタインじいさん、人間っていうのは、いつの時代も戦争を繰り返して、本当におろかですね。このテロが、もしアインシュタインじい |
| さんが心配していた核爆弾を使っていたら、世界は破滅していて、私は今ごろ宇宙のちりとなっていたことでしょう。 |
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私はアインシュタインじいさんのことがもっと知りたくて、伝記をたくさん読みました。もちろん写真ものっていました。じいさんの顔はとっ |
| ても丸くて優しそうだったね。頭が良さそうで、学者みたいな目をしていたからとってもかわいかったよ。初めて会っても信用できそうな顔でした |
| 。 そして一九二二年には、日本に行ったのですね。えらい日本人に招待されて行ったと書いてありました。日本のご飯おいしかったですか?ほっ |
| かほっかのご飯にうめぼしにたくあん!おいしかったでしょ!最高だよね。私もうめぼしが大好きです。 |
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日本に原爆が落とされてからアインシュタインじいさん、人間が暗くなったって書いてありました。つらかったんだな。 「……原子力が将来 |
| の、人類に大きな恵みをもたらすとは、いまのわたしには、考えにくいのです。」と、1945年の終戦直後はそう言っていたけど、でも二〇〇一 |
| 年の今、ちゃんとIAEA(国際原子力機関)が、目を光らせてみはっているから大丈夫。武器とか、悪いことに利用されていないかどうか、この機関が |
| 各国へ行って検査をしています。平和利用も確実に実現されているからね。IAEAはオーストリアのウィーンに本部があって、日本もさんかしていま |
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でも、じいさんの予言どおり、原子力は脅威です。二年前、日本で原子力の燃料工場が、 爆発して何人かが死んでしまいました。もし私が科学 |
| 者だったら、回りの地域に住む人たちに迷惑がかからないように、工場の回りにバリアを取りつけます。工場の中で仕事をしている人たちには、特 |
| 別に放射能をあびても大丈夫なスーツを着せます。そして、放射能がもしもれても、さっとボールのように固まる特別な空気を、工場全体に作って |
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不可能を可能にできるのが人間だと思います。でも、いろいろな物は勝ち取ることはできても、平和だけはなかなか勝ち取れません。もうあのア |
| メリカの十才の女の子のような悲しい子供を増やしたくありません。 私はじいさんのような科学者にはなれないかもしれないけれど、核廃絶戦争 |
| 反対のことを勉強して努力していきたいと思います。これからも地球人として平和に、そして幸せに生きていきたいからです。 これからも天国か |
| ら私たちを見守っていてね。アインシュタインじいさん! |
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二〇〇一年十二月二十日 |
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マリアより |
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