| 普段私達は... |
| アジサイ | の | 滝 | の広場 |
| AE86 | / | えや | 中3 |
| 私達は、コインを丸いものと見なしている。そして、百円玉、十円玉などと |
| 言う。もちろん、『丸い』とか『玉』と言っても、それは決してビー玉のよう |
| な球形ではなく、つまり、正確には円盤形のことだと、誰でも承知している。 |
| けれども、もちろんコインは、年じゅう円形に見えるとは限らない。水平方向 |
| から見れば、あきらかに、薄い長方形に見える。短い棒状に見えるはずだ。 |
| 私達は日常において、いつもある視点からある光景を見る。文学作品などに |
| おいても、同じ一つの事実をきわめて異なる言葉で言い表すことがある。例え |
| ば、枝から離れた果実が地面に落ちるという事態を目撃したとき、単に「リン |
| ゴが地面に落ちた」というより、むしろ、「リンゴと地面は互いに引きつけ合 |
| った」と考えるべきではないか。 |
| このように考えてみると、レトリック感覚は発見的な認識には欠くことので |
| きない上に、人をできるだけよく理解するためにこそ必要なのだ。 |
| 人間の生き方もそうだ。今の人はある一定の角度でしか人間を見ていないよ |
| うな気がする。そのような人は、本当の人間の姿を知らない人だと思う。人間 |
| には必ず良い面と悪い面がある。その両方を見て、初めて本当の人間が見えて |
| くるのだ。だから、これからは、人間を色々な角度で見てほしい。 |
| そのためにも、まず、生活を見直すことだと思う。 |