| ローカルな考え方 | 
| イチゴ | の | 滝 | の広場 | 
| ひまわり | / | あなつ | 中3 | 
| 私には京都弁を話す親戚がいる。時々しか会うことはないが、毎回うらやま | 
| しくなる。自分と違う、独自の言葉をしゃべることができるなんて…。と、感 | 
| 動するのだ。このような独特な考え方をローカルというなら標準語はグローバ | 
| ルといえるだろう。私はローカルな考え方の方が好きだ。その方が個性的な考 | 
| えに近い。上記のことをまた例にあげれば、標準語というのはみんな一緒だか | 
| らつまらない。これは私がその標準語を話す地域に住んでいるからだが、もし | 
| ほうげんがすべてなくなり標準語だけしか使ってはならない、ということにな | 
| ったら、どんなにつまらないだろう。このさきしっかりと方言は残していって | 
| ほしい。 | 
| 比較的日本はこのローカル的考え方をするほうが多い。これはアメリカの社 | 
| 会に比べても良く分かる。アメリカの自由競争の社会に比べ保護社会の日本は | 
| 競争がなく平和である。今の時代はいろいろと難しいみたいだが、みな平等に | 
| 国から守られる。これはやはり日本独特の方法なのかもしれない。 | 
| しかしこのような考え方だけでは生き延びていけない場面もあるはずである | 
| 。標準語というのはやはり共通語としてつながりをもつのに必要で、なくては | 
| 困る時がある。また、保護社会の形をとる日本だって遅れをとってしまうこと | 
| だってありうる。グローバル的な考え方もときには必要であり、大切なのであ | 
| る。 | 
| とてもこれは難しいが、やはり私はローカルな考え方をいつまでもなくして | 
| ほしくない。日本がアメリカのようなくにじゃなくてよかったと思う。しかし | 
| それだと時代についていけない。グローバルな考え方がやはり中心となってい | 
| る。それはそれで、のんびりと、独特の国をつくりあげていけばいいとは思う | 
| が、そうはいかない。そこのあたりはうまくつりあわせて、時代についていけ | 
| てなおかつ独特のくにになれれ一番いいのである。 |