| 誰もが誰ものOne's World | 
| アジサイ | の | 滝 | の広場 | 
| ペー吉 | / | うき | 中3 | 
| 四万十川流域に、トンボ王国と呼ばれる場所がある。トンボの生活環境を見 | 
| て、観察し、さらにトンボ採りに興じることによってトンボの魅力を知っても | 
| らおうという場所だ。トンボ採りを許可する環境というのも珍しいが、美しい | 
| ものを自分のものにしたいという自然の欲求を禁じ、自然をつまらないものと | 
| 感じさせるよりは、ということだ。自然の魅力を様々な人間に感じてもらえれ | 
| ばと思う。 | 
| 私は自然にあまり興味がない。例えば、最近はデパートで買えるようになっ | 
| たそうだが、私はカブトムシというものを見たことがない。わざわざ見るほど | 
| のものでもないと思うからだ。友人はおかしいというが、私は別にカブトムシ | 
| を見たことがないからといって生活に困ったことはない。自然の美しさ、カブ | 
| トムシの美しさを知らないからといって、なにか私が困るわけではないのだ。 | 
| B’zは、この夏に新しいアルバム「Brotherhood」を出した。B’zファンは | 
| いい出来だと考えているが、世間の評判はその前のアルバムと比べてはあまり | 
| いいとは言えない。聞き込めばその良さがでてくるのだが、初めて聞く人には | 
| 少々とっつきづらい曲揃いで、音楽やB’zに興味のない人はわざわざ聞こうと | 
| は思わないのだ。だが、B’zファンはこのアルバムを聞き込む。だから良さを | 
| 感じる。そして、このアルバムのがいかに良いかを知ってもらおうと考える。 | 
| 聞くことを薦める。それは、自然の美しさにあまり興味のない人間へ、様々な | 
| 手段を駆使して美しさを知ってもらおうとする、この長文のような人々の姿に | 
| どこか似ている。 | 
| 自分が美しいと感じるものを、他人にも美しいと感じてもらいたいのは悪い | 
| ことではないと思う。私もB’zがいいと思えばB’zを薦める。トンボを、自然 | 
| を美しいと感じる人間が、自然を誰かに薦めるのもいいだろう。だが忘れては | 
| いけないのは、それに興味のない人間もいるということだ。あまり声高に自分 | 
| の好みを押し付けるのはどうかと思う。他人は他人であり、自分は自分なのだ | 
| 。 | 
| <font | 
| color=midnightblue><i>「止まらないでどうぞこのまま 君にもちょっかいだ | 
| B’z「Drive to my | 
| world」のサビだ。私たちの世界は私たちの世界。他人の世界は他人の世界。 | 
| 人間は「違う」からこそ魅力的で面白いのだ。自分と違う人間、対立する人間 | 
| がいるからこそ、自分をもつ意味があるのだ。違うことにこそ、一人一人が一 | 
| 人一人である意味があるのだ。“自然が美しい”。かまわない。きっと美しい | 
| のだろう。だが、私は興味はない。耳鳴りのする讃美歌はいらない。我々は、 | 
| 他を洗脳するほどに美を薦めるのでなく、自の美をもっと深く読み、より自分 | 
| の中でそれを昇華させることを考えるほうがいいのではないか。もっと偉大な | 
| 自分として、誰でもない素晴らしい自分として生きるべきではないか。 |