| 「ものより思い出」 | 
| アジサイ | の | 滝 | の広場 | 
| 馬のしっぽ | / | はり | 中3 | 
| 幼稚園でのお歌やお遊戯は、他人への身体に起こっていることを生き生きと | 
| 感じる練習だ。今の学校は、養育・教育という共同生活のルールを教えること | 
| の前に、むしろルールがなりたつための前提がなんであるかを理解させるを教 | 
| える事が必要ではないか。 | 
| 幼稚園のころ、私は外で友達と鬼ごっこをしたり、かくれんぼをした。また | 
| 、幼稚園全体の行事も多く、運動会は幼稚園のグラウンドではなく、別の場所 | 
| に行って行った。また、私の家の近くの、公園まで遠足に行ったり、芋掘りや | 
| 、キャベツの収穫と言った畑仕事とかもした。冬には、クラス対抗でサッカー | 
| 大会もした。当たり前かもしれないけど、毎日がお遊びで、毎日が楽しかった | 
| 。幼稚園のころの記憶は少ないが、覚えている限りの思い出はすべて、当たり | 
| 前かもしれないが、毎日お遊びで楽しかった。結構、何にも考えなく過ごして | 
| いた毎日だけど、今考えてみると、いろんな人と仲良くすること、みんなで協 | 
| 力して1つのものを楽しいものに仕上げること(例えば運動会)という、毎日 | 
| を生活していく上で大切なことを、私は教わった。 | 
| 最近車のCMで、「ものより思い出」というものがあるのを知っているだろう | 
| か。不良の道へと走ってしまい、親を困らすような子が出てくるドラマもある | 
| 。車のCMでは、一人の少年が、富士山に上った時、下界のものがまるで自分の | 
| 持っているおもちゃのように見え、楽しかったと言っている。また、不良少年 | 
| のドラマでは、最後には、親の優しさや、周りの人たちの暖かみを思い出し、 | 
| 自分は悪かったと、反省し更正する。最後に彼らを動かすのはこういった思い | 
| 出だった。 | 
| 確かに、勉強して、良い中学、良い大学、良い会社に入ること。社会におい | 
| てのルールをしっかりと認識し、それに沿って行動すること、これらは生活し | 
| ていく上で必要なことだ。しかし、「人は食べるために生きるのではなく、生 | 
| きるために食べるのだ」とのように、毎日を過ごすのに必要なのは、自分の中 | 
| にある生きる目的であり、勉強することよりも生きる目的を見つけるために生 | 
| きていく方が、何か嫌なことがあった時、どうしようもなく落ち込んだ時、死 | 
| のうとか思わずに、前向きに生きてくことができるのではないだろうか。 |