| 人間以外の動物は |
| アジサイ | の | 道 | の広場 |
| さやか | / | あおべ | 高1 |
| 人間以外の動物は普通「本能」の赴くままに行動するが、人間は「進化」の |
| 道を歩んで文化を創りあげた。文化という装置はもともと自然の混鈍に秩序を |
| 与えるために人間が集団としてある意味では恣意的に創り出した記号体系であ |
| るが、一旦できあがるとそれは自立性を獲得し、逆にその創造者を呪縛するよ |
| うになる。そうすれば、各文化間の相違が現れてきて、文化の行う秩序化から |
| はみ出してくるものが現れるがそれは秩序の破壊につながってくるため、文化 |
| はそのはみだした部分を見えないものとして抑圧するのだ。 |
| 確かに私たちは理解しがたいものや秩序の破壊になりかねないものを排除し |
| ようとする。人間にはいろんな趣味の人がたくさんといるはずなのに、私の学 |
| 校は、決められた、先生が「良し」と判断する人以外の人はなるべく避け、「 |
| 不良」扱いをするのだ。もちろん私のクラスにもいろんなタイプの人がいるの |
| だが、そのなかでも先生が「不良」と決め付けているグループがある。つまり |
| 学校という秩序のなかからはみでてしまった人を理解しようともせずに一種違 |
| った人間としてその人たちを抑圧しているのだ。それは一種の学校の心の狭さ |
| である。 |
| また、昔テレビでも話題になっていておじさん達が「理解できん!!」とい |
| わんばかりに眉をひそめていたルーズソックスも社会の秩序からはみ出た、理 |
| 解しがたいものとして、排除されようとしていた。もちろんそのおじさん達も |
| 若かったときには流行はあり、現在でも時代遅れな洋服を着ているわけでもな |
| く、やはり、はやりというものを捨て切れているわけでもないのに、自分達が |
| 理解できないものをすべて排除しようとするのだ。もちろん流行というのはだ |
| れもいままでに考えださなかったものがはやるのだし、いままで登場してきた |
| すべてのものも、最初は理解しがたいものなのだから、そんなことを言ってい |
| ては人間は発達していかないのだが、それを理解していてもなお、自分の理解 |
| しがたいものを排除しようとするのは、やはり人間の心の狭さにあるのだ。 |
| 確かに、あまり秩序を乱すようなことがあればそれはそれで人間が社会のな |
| かで生きていく為には抑圧することはたいせつであると思う。しかし、「でき |
| あがった規則をなんとか守ろうとすることよりも、実態に合わせて規則を変え |
| ていくことが、真に規則を生かす道である。」という言葉があるように、秩序 |
| という器をきちっと決めて、それからもれそうなものを抑圧するのではなく、 |
| それをすべてを受け入れられるように、理解する努力をして、秩序の器の形を |
| 変えていくことが大切であると思う。 |