| 勉強 |
| ウグイス | の | 村 | の広場 |
| でこはげ | / | かな | 小6 |
| がんばることが大好きな日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」など |
| という言葉を好んで使う。日本の漢字には音読みと訓読みがある。「べんきょ |
| う」というのは音読みだが、これを訓読みにしてみると「つとめしいる」と読 |
| むことができる。「つとめる」とは一所懸命にはげむこと、「しいる」とは無 |
| 理やりやらせることといった意味だ。日本人は外来文化の表面的な部分ばかり |
| を身につけ、内面的な部分について学ぶことをなおざりにしてきてしまったき |
| らいがある。何のために「勉強」するのかという目的を問う前に、知識をえる |
| ために、がむしゃらに「つとめ、しいる」くせがついてしまったのだ。みなさ |
| んの進む方向がそれそれちがうように、「勉強」の目的も人によってさまざま |
| だろう。大切なのは、何のために学ぶかだ。 |
| 皆さんは勉強と聞いてまたかよ、と思ったことはないだろうか。私はある。 |
| 母が声を裏返して、 |
| 「潤之介、勉強したの?」 |
| 「潤之介、塾に遅れるわよ!」 |
| などと小言を言うたびにうるさいなと思った。これもやはり「つとめ」「し |
| いる」ということなのかもしれない。学校では勉強のことを「指導」「学習」 |
| という。前の先生のときに勉強と学習は違うと教えられた。勉強とは人にやら |
| されることで、学習とは自分でやることである。と、いつものようにいってい |
| た。 |
| 勉強とは使い方を間違えると苦痛になる。だから私たちが勉強の本当の意味 |
| を知って、何のために学ぶかを考えなくてはいけないと思った。 |