| うっふーん |
| アジサイ | の | 滝 | の広場 |
| JIRO | / | あすな | 中3 |
| 人は、じぶんがだれかということがよくわからなくなるとき、じぶんのなか |
| になんの根拠もないまま、じぶんの同一性を確保しようとし、~ではないとい |
| うかたちで、ネガティブにじぶんを規定するしかなくなってしまう。そして自 |
| 分がある他人にとって意味のある存在として確認できて、初めて「他者の他者 |
| 」として自分を経験できる。しかし、人間は皮膚感覚という即物的な境界にこ |
| だわりすぎて、自分の最後の防壁を過剰に防衛してしまうということが、異物 |
| との接触を徹底して回避しようとするいわゆる清潔シンドロームなのだ。 |
| 私たちは普段「学校」という枠の中に入れられ、束ねられてしまっているた |
| め、我を失ってしまいがちである。同じ制服を着て、同じ鞄を持ち、同じ道を |
| 歩いて学校へ行けば、その中で一体自分とは何者なのだろうと考えてしまうの |
| は当然なのかもしれない。だから他の人より自分のほうがかわいいとか、足が |
| 細いとか背が高いとか、容姿にこだわってしまうのも無理もないだろう。そう |
| いうことにも自分の良さを見出せなかったとき、じぶんは人に必要な存在なの |
| かと考え、その結果が清潔症候群というものになってしまうのだろう。けれど |
| そこまで行くもでになぜ人は自分が思っているほど自分のことを意識して見て |
| はいないのだ、ということに気づかないのか。つまり清潔症候群というものに |
| なってしまう人たちというのは自意識過剰なのだといえるだろう。 |
| 「シンデレラ」というお話は、意地悪な継母やお姉さん達にこき使われてい |
| たシンデレラがお城から来た舞踏会の招待に着て行く服がないという理由で継 |
| 母らに置いて行かれてしまい、シンデレラもそれに納得して泣いていたところ |
| に、やさしいお婆さんが杖をふってドレスや靴や馬車を用意してくれて、お城 |
| に行けた。というものだが、もしかしたらシンデレラの優しいハートで王子様 |
| のハートをGETできたかもしれないのに、シンデレラはネズミや犬などの励 |
| ましだけでは自分に自信が持てなかったのだろう(ネズミや犬が人間と会話で |
| きるだけでも驚きだが…)。人間も自分に自信が持てるようになれば我を無く |
| すまでにはいかないと思う。ただシンデレラはその自信がお婆さんの杖によっ |
| て与えられたというだけなのだ。 |
| 「不幸な人は、どのような考えのなかにも不幸の理由を見出す」とあるが、 |
| もしこの名言(?)が正しいのならば、何事にもプラス思考で取り組めば、考 |
| えの中にも自然と明るい未来の思考が増えるのではないかと思うのである。 |