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題名:私たちが日常(感)
感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。
課題の長文
【1】私たちが日常、ことばを使っているときは、普通表される内容がまずあって、それを持って運ぶ手段としてことばがあるというふうに考えています。【2】私たちの関心はもっぱらこの内容のほうにあるわけで、それを運ぶ仲介役としてのことばが入っていても、ことばそのものにはあまり注意を払いません。ことばというのはあるようでないようなもの、存在しながら、存在していないような、何か透明になってしまっているような感じがするのではないでしょうか。
【3】ところが、「かっぱ」のような詩を読みますと、俄然ことばが、私たちの前にふさがって、それに私たちが頭をぶつけている――そんな印象を持つのではないかと思います。【4】ことばがそこでは不透明になって、私たちの意識が素通りすることを許してくれないわけです。日常あまり意識してないことばそのものの存在ということを、否応なしに意識させられてしまいます。【5】こういう状況は、詩によく出てきます。詩のことばは日常のことばと同じではありません。そのため私たちはそこで一度立ち止まって、考えなくてはいけないということが起こってきます。【6】つまりことばが不透明なものになってしまい、私たちがことばというものを改めて認識することになるのです。
そういう意味でもう一度「かっぱ」の詩に戻ってみましょう。【7】使われている単語はそんなに多くも難しくもありません。「かっぱ」が出て、それから「かっぱらった」が出てきます。【8】たとえばこの「かっぱ」と「かっぱらった」ということばは、日常のことばとして考えている場合は、私たちはこの両方がよく似た形をしたことばであるという意識を持つようなことはないでしょう。【9】ところが、ことばが不透明になって私たちの前に立ち現れますと、「かっぱ」と「かっぱらった」は、形が非常によく似ているという意識を否応なしに持たされます。【0】そうしますと、ことばについての非常に素朴な感覚として、語形が似ていると語の意味も似ているのではないかというふうな発想が働きはじめます。つまり、「かっぱ」と「かっぱらった」とでは「かっぱ」という所が共通である。そうすると意味のほうでも関係があるのではないか。たとえば、「かっぱ」というのはいたずら好きな生物だから、「かっぱらう」という行為も、何かもともと「かっぱ」のするようなことをいうのではなかったのか。もちろん語源的にはそういうことはないでしょうけれ∵ども、そんな印象をきっと持つでしょう。日常のことば遣いですと、「かっぱ」と「かっぱらう」は私たちの頭の中の全然違う所にしまい込まれていて、相互に連想するなどということもないでしょう。しかし二つ並べられてみますと、語形が互いによく似ている、そうすると語の意味も似ているのではないかと考えたくなるわけです。私の場合ですと、かっぱの口の先の逆みたいな形をしている――そんな類似点を連想します。あるいはまた、かっぱが鳴くとするとらっぱのような音を出すのではないか――そんなことを思ったりもします。(中略)
私たちの日常の生活では、ことばのきまりというものが習慣的に決まっています。そして、私たちはいちおうきまりの範囲内でことばを使うことで満足していて、それを超えるというようなことは比較的まれです。前に言いました二つのことばの使いかた――経験が先行してそれをことばで表すことと、ことばが新しい経験を生み出すこと――これは「伝達」と「創造」ということでとらえることもできますし、あるいはことばの「実用的」な働きと、ことばの「美的」な働きと言われることもあります。この後者のほうは詩のことばに典型的に見られるということで、ことばの「詩的」な働きという言い方をすることもあります。
私たちのことばについての認識は、ふつうその実用的な働きのほうに大変かたよっていて、もう一つの詩的な働きのほうは忘れられがちです。それは、この詩的な働きがよく現れるのは、詩のことばであるとか、子どものことばとかどちらかといいますと、ことばの「中心」でない部分だからでしょう。そういうことばの詩的な働きというものが日常のことばにおいてよりも重要な役割を果たすという意味で、子どものことばと詩のことばとは似ているということができます。(中略)
普通の人が、日常的な経験を日常的なことばで表現して満足しているのに対して、「詩人」と呼ばれるような人たちは、日常的な経験を超える経験をもつでしょう。そして、それを表そうとすると、もはや日常のことばの使い方では不十分なはずです。そこで、どうしても、日常のことばの枠を超えるということが必要になってくるのです。
参考:「かっぱ」の詩(谷川俊太郎作) かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった/とってちってた/かっぱなっぱかった/かっぱなっぱいっぱかった/かってきってくった
項目表
項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。
項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森
項目表 ムベ の苗 中1年 10~12月
目標:意見文の基本的な構成を身につける
★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
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課題のヒント
もしあなたが飛行機でタイムゾーン(同一標準時を用いる地帯)をいくつか飛び越えたことがあるなら、時差ぼけを経験したことがあるだろう。それは、新しいタイムゾーンに着いても、まだあなたの体が前のタイムゾーンの中で生活していたため起こったのだ。(夜になっても)全く眠くならなかったり、真夜中に夕食が欲しくなったり、昼間ずっと眠かったりしたはずである。
人間が時差ぼけを経験するのは、(人間を含めて)すべての生物に体内時計というものがあるからである。植物や動物はみな、自然の時間区分、つまり昼と夜、季節などにリズムを合わせているのだ。
日の出と同時に植物は葉を開いて、栄養分を生産し始める。夜には休む。地球上の温帯では、秋に昼が徐々に短くなって日照が減るにつれ、木々がその葉を落とす。春には、昼が徐々に長くなるにつれ、葉や花が成長し始めるのだ。
(一方、)砂漠の植物のリズムを決めるのは雨である。砂漠の植物は、何か月、ときには何年も、まるで枯れているように見えることがある。しかしひとたび雨が降り始めると、それらの植物は突然息を吹き返したように元気になるのだ。葉は緑色になり、花が咲く。雨がやむ前に、植物はすばやく種をつける。こうした種は、何年も土の上で、雨がもう一度生命のサイクルをスタートさせるのを待つのである。この一連の現象が起きるのは、それらの植物の体内時計が合図を出すからなのだ。
夜が明けると、ほとんどの鳥は目を覚まし、さえずり始める。日が沈むと、眠りにつく。春が来ると、鳥はつがいの相手を探し始める。冬が来ると、より温暖な気候の場所に渡る鳥もいる。鳥の体内時計が、彼らにこうしたことをするべき時間、時期を教えるのだ。
海の近くに住み、陸と海の両方から食物を得ている動物は、潮の満ち干に合わせた体内時計をもっている。潮が引くと、こうした動物たちはそこに残された食物を探す時間だとわかるのである。
ミツバチのような昆虫にも、非常に鋭い時間の感覚をもつものがいる。何人かのフランスの科学者がミツバチで実験を行ったことがある。まず彼らは、毎朝10時に砂糖水を外に置いた。すると、ハチはその時間に合わせて砂糖水を飲みに来るようになった。次に科学者たちは、午後8時に砂糖水を外に置くようにした。その水が違った時間に置かれていることに気付くのにハチたちは1週間かかったが、それ以降は朝ではなく夜に食べに来るようになったのである。
その後、科学者たちはそれらのミツバチをニューヨークに運んだ。ニューヨーク時間では夕方の3時であったにもかかわらず、ミツバチたちは彼らの体が教える時間に食べ物を求めてやって来た。彼らの体はまだパリの時間であったのだ。
他の動物たちと同様、人間にも眠る時間と食べる時間を教えてくれる体内時計がある。体内時計は、ほかにもさまざまな変化を引き起こす。夜間には、血圧が低下して、心拍数も減り、体温が若干下がる。睡眠にも数段階の変化、つまり深い眠りと浅い眠りの周期が生じるのである。
周期的に起こることはほかにもある。真夜中から日の出までの時間帯に生まれる新生児の数は、ほかの時間帯に生まれる新生児の数より多い。自然死も夜の方が多い。しかし心臓発作は早朝の方が多い。病院での病死は真夜中から朝の6時の間に多い。満月の夜には凶悪犯罪や交通事故が起こりやすいと言う警察関係者もいる。
実験に使われたミツバチは、変更された食事時間に自分の体内時計を合わせ直したのだ。人間もこれを行うのである。夜中働く人は、昼の間眠り、夜に食べるようになる。外国で勉強するために世界を渡る学生は、2、3日で新しいタイムゾーンに慣れる。そして帰国すると、再びもとに戻るのだ。私たちの体は体内時計に支配されているが、それを違う時間に合わせ直すこともできるのである。 ( n )
詩的な言葉の大切さというのは例を見つけにくいかもしれません。詩を読んで「ああ、いい言葉だなあ」と思ったような例があればぴったり。もっと身近な例で言うと、「ふとんがふっとんだー」のようなダジャレは実用的な点から言えば無意味なものですが、学校の先生が授業の合間にそういう受けないダジャレを言うと勉強の雰囲気が楽しくなるなどの効果もあります。詩的な言葉にも、もっと目を向けようという主題で書いていきましょう。名言は、「雑草とはまだその美点が……」、言葉は伝達の手段ではなくそれ自体が生きた目的だという意味で「人は食べるために生きるのではなく……」(ちょっとむずかしいけど)、「存在するものには、良いとか悪いとかを言う前に……」など。 ( n )
第一段落は要約。その要約に続けて、「私は、詩的な言葉を大切にするべきだと思う。」という意見。
第二段落はその理由。「その理由は第一に、実用的な言葉ばかりではつまらないからだ。学校の授業でもただ事実だけを伝える授業はおもしろくない。私の学校の○○先生は……」
第三段落にもう一つの理由。「第二の理由としては、詩的な言葉は言いたいことを印象強く伝えることができるから。データによると、宣伝にかける費用の第一位はトヨタ自動車で、その費用は70,000百万円以上にもなっているが、宣伝にも詩的な言葉が多く使われている。たとえば……」
第四段落は、反対意見への理解と名言の引用。「確かに、事実をありのままに正確に伝える言葉も大切だ。しかし、詩的な言葉の良さにも目を向けるべきだ。『人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのである。』という名言があるように言葉は事実を伝達するためにあるのではなく、その存在自体に意味があるものなのだ。」
( n )
本文中に出てくる「ことばの『実用的な』はたらき」と「ことばの『美的な』はたらき」を比較しながら主題を考えていきましょう。たしかに私たちの日常生活では「実用的な」はたらきばかりを重視しているかもしれませんが、実はみんな「美的な」はたらきをすることばが大好きなのではありませんか?
たとえば、だじゃれやなぞなぞなどは楽しいことばあそびですね。九九や歴史の年号を語呂合わせで覚えたりするのもことばあそびが好きだからかもしれません。
また、自分の好きな歌やついつい口ずさんでしまうコマーシャルソングなども思い出してください。
「美的なはたらきのことば」のよさがイメージできそうですね。 ( m )
言葉の例に限らず、科学技術や芸術の話に結び付けてふくらませてもよい。
例えば、落書きのような遊びの中に、ただ実物を模写するのとは違う新しい発見が生まれることがある。 ( n )

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