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題名:人は二足歩行で(感)
感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。
課題の長文
【1】人は二足歩行で手を解放し、その手に道具を扱う役割を持たせ、それを発達した大脳で制御するという方法によって、急速に強い優勢な動物になった。【2】それが言葉とならぶ異常な加速進化のもう一つの理由であったのだが、それはともかく、強くなったために狩る立場に立つことはあっても狩られる側にまわることはほとんどなくなった。【3】そして、最近では事故や病気で死ぬことさえ最小限に抑えられ、現にわが国などは、平均寿命において世界一の数字を誇っている。【4】医学という蓄積可能な知識の体系によって死亡率を下げることが比較的容易であることはあきらかで、それに対して伸びた寿命の中身を充実させて幸福な老後を送ることは大変に困難らしいが、ここではそういう面には触れないでおこう。【5】いずれにしても、われわれは狩られる感覚をすっかり忘れてしまった。だから自分より強くて速い相手に狩られることはそのまま極端な不幸であるという単純な認識にこりかたまってしまっている。
【6】喰われることは不幸である。それは生命というものが個体にのみ宿り、あらゆる努力を払って個体の存続をはかることが生命の第一原理である以上は当然のことだ。【7】しかし、追われる立場で動物としての知恵をしぼって相手をまくこと、いやもっと危なくぎりぎりまで追いすがられて、自分の脚力だけをたよりにからくも逃げきること、相手の存在に一瞬早く気付いて巧みに回避することにさえ、大いなる喜びが込められているのかもしれない。【8】そういう時にこそ弱い動物は自分が生きているという実感を改めて感じて幸福感を味わうのかもしれない。
動物の場合、われわれとは死の概念自体がずいぶん違うのではないかと思うのだ。【9】この場合の動物という言葉には、現代文明の中で生きるわれわれのような人間以外のすべての哺乳類を含める。つまり、先ほど書いたような、動物たちとの交感関係にある狩人たち、動物と同種の知恵によって生を維持している人々もわれわれの側ではなくそちら側に入れたいのだ。【0】彼らにとって死とは、∵衰弱した精神が描く単純で強烈な恐怖の源ではない。われわれの精神は死という言葉を聞いただけで毛を逆立てる。想像力は自分たちのみじめな姿を求めて暴走をはじめる。だが死とは、本来、一つの成就、一つの完成、一つの回帰である。自然から遠く離れて個の概念を立てすぎたために、個体の意識を離れてはすべてが無であるという考えがすべてを圧倒し、ひたすら個体にしがみつくことが至上命令となった。死はエゴの駆動装置になりさがってしまった。果たして、生きることではなくただ死なないことに、それほどの意義があるのだろうか。(中略)
肉食獣に追われて逃げきるか喰われるかは一つのゲームである。何度勝った者も最後には敗れる。自然界には自然死という言葉はない。老衰もない。動物はみな捕食者であると同時に獲物であり、絶対の優位にたって喰うだけという動物はいない。そして、彼らにあるのは事故死と病死だけだ。それがそのまま不幸でないのは、そのことが生そのものの基本条件だから、生というものが最初から死をその中に含んでいるから、生きるものはそれを承知しているからである。死は常に目前にあり、誰もそれを忘れたふりをしたりはしない。動物はみなこの危険なゲームに参加し、興奮と高揚を味わい、常に危機を予想し警戒しながら、さしあたり目前の若い青い草の味を楽しむ。(中略)そういう濃密な時間の内にこそ死は正しい形で用意されている。それを承知の生命ではないのか。(中略)
動物は愚かだから悩みがないと言うのは間違いだ。動物たちはお互いに大きな知恵を共有することで個体のエゴを制限し、そこにちゃんと安心立命を見出している。その場その場で力を尽くすだけで、それを超える不安があることに気付きもしない。本当はそんな不安などないのではないか、と考えることができたら人間もまた彼らの境地にもう一歩なのだが、それは容易なことではないらしい。近代の宗教がまことしやかに語るやすらかな最期や大往生の準備とは、実は失われた野生動物と狩猟民族の精神の回復ということではないのか。
項目表
項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。
項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森
項目表 ムベ の苗 中1年 10~12月
目標:意見文の基本的な構成を身につける
★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
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課題のヒント
人間は言葉をもつ唯一の動物であると言われることがある。はたして本当だろうか?
答えるのにはとても難しい問題である。様々な種類の動物が研究されなければならない。ある動物にはコミュニケーションのシステムが確かにあると多くの人々が考えている。
ミツバチはえさの発見に関することをほかのミツバチに伝えるために2種類のダンスをする。第一に円を描くダンスである。これは、ハチが巣箱の中で輪を描いて踊るダンスである。このダンスはえさがすぐ近くにあるときに行われる。そのダンスの場合、えさが10メートル以上遠くにあることはない。もしミツバチが戻って来て円を描いて踊るならば、ほかのミツバチたちはすぐ近くのえさを探しにいかなければならないということを知るのである。ミツバチはまた、えさを見つけたハチの匂いによってどんな種類の花を探すべきなのかを知る。円を描くダンスを見ることと、えさを発見したハチの匂いを嗅ぐことによって、ほかのハチはえさのありかを知るのである。
ミツバチによって行われる2番目の種類のダンスが尻振りダンスである。このダンスでは、ハチは真っすぐに直線を描きながらしっぽを振るのである。尻振りダンスは、えさが遠いときに行われる。えさは10メートル以上離れたところになければならない。尻振りダンスのスピードから、ミツバチはえさがどれくらい離れているところにあるのかだけを知るのである。ハチが踊るときに示す線が、えさを見つけるために飛んで行くべき方向を示している。尻振りダンスにおいても、ミツバチは、えさを見つけたハチの匂いを嗅ぐ。その匂いによって探すべき花の種類を知るのである。尻振りダンスを見て、えさを発見したハチの匂いを嗅ぐことによって、ほかのハチは3つのことを知るのである。飛ぶ距離と方向、そして探すべき花の種類である。
ミツバチの情報伝達体系は、とても興味深い。どのハチもほかのハチにえさを探すためにどこに行くべきかを伝えることができる。ミツバチはえさの善し悪しや、量がどの程度かをお互いに教え合うこともできるのである。ある科学者がミツバチを使って実験をしたことがある。彼は巣箱よりはるかに高いところにえさを置き、えさの中にミツバチを入れた。そのミツバチは巣箱に戻り、円を描いて踊った。しかし、ほかのどのミツバチもえさを見つけることはできなかった。このことは実際にはミツバチには言語というものが存在しないということを暗示している。ミツバチはほかのミツバチにえさの高さを伝えることはできなかったのである。ミツバチはこの新しい情報をほかのミツバチに知らせることはできなかったのである。
科学者は、言語の有無を確かめるために、ミツバチと同様にイルカを研究している。ミツバチ研究ほど綿密にイルカを研究してはいないが、科学者たちは興味深い発見をしてきた。イルカを使った2、3の実験が行われた。イルカの一般的行動は人問の行動とよく似ているのでイルカが研究されているのである。しかし、情報伝達としては、イルカのもっているシステムは、人間のそれよりはるかに限られている。イルカは、えさや危険やそのほかのことをほかのイルカに伝えるために3種類の合図や鳴き声を用いる。
ハチとイルカは情報を伝え合うかもしれないが、彼らに言語があるかどうかは定かではない。サルに言葉があるかどうかの結論を出すのは、さらにまた難しい。サルは人間によく似ている。そこで1940年代後半に科学者たちは、ヴィキという名前のサルに、話し方を教えようと試みたのである。1年経ってもヴィキは2、3の単語しか話せなかった。この実験の問題点の一部は、サルと人間は口の仕組みが異なるということである。サルは実際、人間が話す場合の音を出すことができないのである。結果としてヴィキを使った実験はうまくいかなかったのである。
1960年代になって、別の科学者たちがワシューという名前のサルに手話を教えようとした。手話においては言葉は発せられることはなく、手を使って合図が送られる。聾唖者の多くがこの手話を使っている。それはサルを教えるための言葉としてはより良いもののように思えた。2年後には、ワシューは手を使って34の合図を送ることができた。例えば、彼女はワシューという名前を示す合図として、耳のとなりに3本指を置くことができた。また、腕を差し出し、手招きをすることによって「こっちに来い」という合図を送ることもできた。さらにまた、2つのことができた。第一に、彼女は文章を作るために合図を組み合わせることができた。第二に、彼女は同じ種類の事柄すべてを代表するものとして、一つの合図を使った。彼女はその合図を一般化して使ったのである。組み合わせたり、一般化したりする能力は、言語を使うときに重要である。
言語は情報を交換するためのなんらかのシステムであると言うことができるとすれば、ハチやイルカやサルはすべて、言語をもっているといえる。しかし言語とは、符号を新しく組み合わせることによって情報を交換することのできるシステムだと言うことができるとすれば、ミツバチとイルカには言語が存在せず、サルには言語が存在するかもしれない。サルは明らかに科学者が教えた人間の言語の形でシンボルを組み合わせることができる。しかしながら、これはサルの通常の言語ではない。動物に言語があるのか確かめるために、さらに多くの研究が行われねばならない。 ( n )
内容:人は道具と言葉によって強くなり、自分が狩られる側に回ることはなくなった。しかし、野生動物と狩猟民族は日々生きるか死ぬかの生活の中で濃密な生の時間を過ごし、死もまた個体のエゴを超えたより大きな知恵の一部なのだという境地に達している。近代の宗教が目指しているものも、この野生動物や狩猟民族の精神なのではないか。
解説:現代の便利な生活の中では死と直面することはほとんどありません。食卓に並ぶハンバーグにしてもフライドチキンにしても、そこに牛や鶏の生と死を見ることは容易ではありません。そんなことを考えていたら、おいしく食べられないし……^^ ( n )
第一段落は250字くらいで要約。その要約に続けて、「私は、野生動物のように、死を意識して生きることは大切だと思う。」という意見。
第二段落はその理由。たとえば、「その理由は第一に、死のような締め切りがあるからこそ物事に一生懸命に取り組むことができるからだ。例えば、テストという締め切りがなければ集中して勉強することができない。」
第三段落にもう一つの理由。「その理由は第二に、死のような締め切りを自覚しないと計画性のない人生を送ってしまうからだ。」データ実例としては、平均寿命や将来なりたい職業についてのデータが引用できそう。例えば、「平均寿命の国際比較のデータを見ると、日本は男性77歳、女性84歳でいずれも世界1位である。しかし、このような寿命があるということがわかると、それに合わせて老後の計画なども立てられる。」
第四段落は、反対意見への理解と名言の引用。「確かに死を克服しようとして人間の文化は進歩してきた。しかし、「限られた人生で、大事なことは、「何をするか」ではなく「何をしないか」である。」という名言があるように、人間は、「できる」ことを意識するよりも「できない」ことを意識したときに充実した人生を歩きはじめる。つまり、締め切りを意識するからこそ有意義な人生を送ることができるのだ。」
( n )
自分のことにひきつけて考えるのが難しい人は、現代社会のことを問題にするとおもしろいものがかけるでしょう。
例えば、課題文のテーマを「野生動物の濃密な生」とすると、現代社会の人間の生き方はそれとは全く正反対にありますね。
事例を挙げると…… 退屈な毎日 フリーターの増加 平和と豊かさが当たり前の日本 死を実感できない私たち すぐ自殺する現代人
生きるか死ぬか(食うか食われるか)とは遠く離れた現代人の姿を具体的に思い浮かべて、ていねいに説明しましょう。→字数が増えるぞ。
それについて自分が思ったことを自由に書いていきましょう。別に「人間と動物は違うんだから、これでいいのだ」でもいいんですよ(^^)。 ( b )
長文の中の「生きることではなく、ただ死なないことに、それほどの意義があるのだろうか」などをとらえて、「現代人も野生動物のように今生きている喜びを感じることが大切である」とすることもできます。「複数の理由」としては、「そのように考えると、今の生活の中に、感動や感謝を感じて楽しくなるからだ」また、「自分の命も他人の命も大切なものと実感できるからだ」などとすることができます。 ( t )

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