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級:★   山:nnga   年:★   月:05   週:1  苗:nnga
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題名:固有名詞が(感)

感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。

課題の長文
【一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の長文は課題の長文です。】
 【1】文化の発展には民族というものが基礎(きそ)とならねばならぬ。民族的統一を形成するものは風俗(ふうぞく)慣習等種々(しゅじゅ)なる生活様式を挙げることができるであろうが、言語というものがその最大な要素でなければならない。【2】故に優秀(ゆうしゅう)な民族は優秀(ゆうしゅう)な言語を有つ。ギリシャ語は哲学(てつがく)に適し、ラティン語は法律に適するといわれる。日本語は何に適するか。私はなおかかる問題について考えて見たことはないが、一例をいえば、俳句という如き(ごと )ものは、とても外国語には訳のできないものではないかと思う。【3】それは日本語によってのみ表現し得る美であり、大きくいえば日本人の人生観、世界観の特色を示しているともいえる。日本人の物の見方考え方の特色は、現実の中に無限を掴む(つか )にあるのである。【4】しかし我々は単に俳句の如き(ごと )ものの美を誇り(ほこ )とするに安んずることなく、我々の物の見方考え方を深めて、我々の心の底から雄大(ゆうだい)な文学や深遠な哲学(てつがく)を生み出すよう努力せなければならない。【5】我々は腹の底から物事を深く考え大きく組織して行くと共に、我々の国語をして自ら世界歴史において他に類のない人生観、世界観を表現する特色ある言語たらしめねばならない。本当に物事を考えて真に或(ある)物を掴め(つか )ば、自ら他によって表現することのできない言表(げんぴょう)が出て来るものである。
 【6】日本語ほど、他の国語を取り入れてそのまま日本化する言語は少ないであろう。久しい間、我々は漢文をそのままに読み、多くの学者は漢文書き下しによって、否、漢文そのものによって自己の思想を発表して来た。【7】それは一面に純なる生きた日本語の発展を妨げ(さまた )たともいい得るであろう。しかし一面には我々の国語の自在性というものを考えることもできる。私は復古癖(へき)の人のように、徒ら(いたず )に言語の純粋(じゅんすい)性を主張して、強いて古き言語や語法によって今日の思想を言い表そうとするものに同意することはできない。【8】無論、古語というものは我々の言語の源であり、我が民族の成立と共に、我が国語の言語的精神もそこに形成せられたものとして、何処までも深く研究すべきはいうまでもない。しかし言語というものは生きたものということを忘れてはならない。∵【9】『源氏』などの中にも、如何に(いか )多くの漢字がそのまま発音を丸めて用いられていることよ。また蕪村(ぶそん)が俳句の中に漢語を取り入れた如く(ごと )、外国語の語法でも日本化することができるかも知れない。ただ、その消化如何(いかん)にあるのである。【0】

 「国語の自在性」(西田幾多郎(きたろう))∵
 【1】固有名詞が、その固有の意味においてはっきりと姿をあらわすのは、かれ/彼女(かのじょ)が、父と母だけでなく(父も母も、そのこどもにとっては一つしかないものだから、太陽や月が固有名詞であるかどうかという、文法学者の古典的な議論と同様に、純粋(じゅんすい)に普通(ふつう)名詞でもなければ固有名詞でもない)、【2】きょうだいや遊び仲間をもち、あるいは保育園や学校のようなところに通って社会生活をはじめたときである。かれ/彼女(かのじょ)は、自分だけでなく、他者も、それぞれが名をもつことを知る。逆説的なようだが、固有名詞があるというそのことが、言葉が本来的に社会的なものであるということの証拠(しょうこ)になるのである。
 【3】現代社会では、人やものが固有名詞で呼ばれるものであり、また呼ばれなければならないということは、経験を通じて徐々に(じょじょ )学ばれるのではなく、たとえばこどもに入学した学校の名をおぼえさせることによって一挙に教えこまれるのである。【4】この過程を通じて、こどもは、自分は一つの制度の中にくり入れられ、ある組織に所属するのだという意識を植えつけられるから、固有名詞はこどもを社会化するための基本的な道具となり、人間は死ぬまで固有名詞の支配下に置かれるのである。【5】言語(ここに言う言語とは、人間はことばを話す動物であるというばあいの一般(いっぱん)的な言語と、人間は何々語という、特定の言語しか話すものではないという意味での言語との二重の意味においてである)が人間に与え(あた )られた宿命であるとするならば、固有名詞は、宿命としての言語の本質的部分を体現していることになる。
 【6】まことに固有名詞こそは、人類が決して一つではなく、さまざまな名前――固有名詞をもって分かれ、それぞれが自分あるいは自分たちに対立するものであるということを思い知らせ、相互(そうご)のちがいをいやが上にもきわ立たせ、それを固定させる道具である。【7】名前、固有名詞こそは、ことばの中でも抜きん出(ぬ  で)た地位を占め(し )ていて、これこそことばの中のことば、名詞の中の名詞だと言ってもいいくらいである。人間は生きている間のほとんどの時間を、名前とともに生き、苦しみ、争ってきたと言えるのである。【8】そのために、どれだけ多くの人が、名前から逃れ(のが )たいと思っただろうか。――自分自身とその家族の名前から、国家や民族の名前、出身地の名前等々から。
 ところが、ことばの科学――たとえば言語学は、名前については∵本気で科学しなかった。はじめから、それは科学できないものとしてとり除いてしまったのである。
 【9】とり除いた理由の一つは、方法論がそうするよう求めたからである。そのことと深いつながりがあるのだが、名前――固有名詞の問題を、ひたすら普通(ふつう)名詞、一般(いっぱん)名詞といかにちがうかを考えるにとどまり、社会のコンテキストに置いて考えることをしなかったためである。【0】ことばや記号は認識論上の問題に限定され、はじめから、社会から切りはなされていたのである。
 また代々の文法家や論理学者たちは、固有名詞の本来の機能は、それが何かあるものを一つしかないものとして孤立(こりつ)させて指し示すところにあると言いつづけてきた。純粋(じゅんすい)の固有性というものをそのようなものとして考えてきたからである。
(中略)
 このように考えてみると、まさに、名前に、アイデンティティというものの二重性がある――自分は自分であって、それ以外のものではあり得ないと主張される自分は、他方ではどこかに所属している(どこにも所属しないことが、すでに所属である。人はこの独得の所属のしかたにもまた名をつけるであろうから)あるいは所属せざるを得ないというこの原理は、名づけ、すなわち、ことばの原理そのものから発しているように思われる。
 人間の名前がその所属を示すように(もう一度強調しておけば、その名前は、ある特定の言語に属すからだ。このことは忘れないでおこう)、山も河も海も、名づけられると同時に、その領有への主張が背後にすべり込む(   こ )。こうして固有名詞は、たちまち緊張(きんちょう)した政治の磁場を作り出すのである。

(田中克彦(かつひこ)「名前と人間」による)

項目表

項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。 項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森 
項目表 ガジュマロ の苗 高2年 4~6月
目標:社会科学のテーマを書く書き方を身につける
 ★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
第 1 段落項目キーワード説明
構成 ○ 題名の工夫題名の工夫 <<構成>>「○○な○○」「○○の○○」のように工夫
構成 ○ 四段落構成 大きく四つぐらいの部分に分けて書く
構成 【】★ 書き出しの工夫書き出しの工夫 <<構成>>会話・色・音・情景で書き出す
主題 【】★ 社会問題の主題問題 社会問題 <<主題>>私はAが問題だと思う
             ↓
第 2 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の原因一原因 背景 <<構成>>…の原因としては第一に
題材 【】★ 体験実例体験 私 わたし 僕 ぼく <<題材>>自分らしい体験実例を書く
表現 ○ たとえまるで みたい よう <<表現>>まるで…のよう
主題 ○ 途中の感想 途中で主題に関連した感想を書く
             ↓
第 3 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の原因二原因 背景 <<構成>>…の原因としては第二に
題材 ◎ 自然科学実例・長文実例自然 科学 長文 <<題材>>自然界の例・長文実例
表現 【】★ ユーモア表現笑 爆 ユーモア <<表現>>ユーモアのある表現(笑)
表現 ◎ ことわざの加工ことわざ <<表現>>ことわざや名言や流行語を加工する
             ↓
第 4 段落項目キーワード説明
主題 【】★ 反対意見への理解確かに <<主題>>確かにBもよいが、しかしAが
表現 【】★ 自作名言ではなく でなく 自作名言 <<表現>>「○○とはAではなくBである。」という形の文
主題 【】★ 社会問題の主題問題 社会問題 <<主題>>私はAが問題だと思う
構成 ◎ 書き出しの結び書き出しの結び <<構成>>書き出しのキーワードを使って結ぶ

字数 ★ 600字以上
表記 ○ 決めてくる、読みかえす書くことを決めてくる、書いたあと読み返す
表記 ★ 制限時間75分書き始めから書き終わりまで75分で
表記 ○ 構成メモ作文を書く前に構成メモを書く
表記 ○ 漢字を使う、ていねいに書く習った漢字を使いていねいに書く
表記 ○ 段落三文段落の目安は三文ぐらい
表記 ○ 一文一点読点は1文に1〜2点を目安に
表記 ○ 常体で書くした・だった・であるなどで書く練習
表記 ○ 誤字一ヶ所以内一つの作品に誤字は一つまで


課題のヒント

input-buffer overflow. The line is split. use -b #SIZE option. 「医師は告知すべきか」という、しばしば議論される問いは、患者(かんじゃ)が死に近づいていることについて医師はすべて知っているが患者(かんじゃ)は何も知らない、という誤った含み(ふくみ)を伝えてしまいやすい。したがってその結果生じる討論や論争は、ピントがずれていたり現実の問題には少ししか触れ(ふれ)ていない場合が多い。医師が何でも知っているなんてとんでもない。患者(かんじゃ)の容体は死を待つばかりだと確信していても、間近にならないかぎり、死亡時期を正確に予想できることはめったにない。その上、患者(かんじゃ)も何が起ころうとしているのか気づいていないわけではない。多くの患者(かんじゃ)が、自分の死が近いことをはっきりとわかっているのである。
 告知をするかしないかを選ぶというよりもむしろ、ほかのことを問いかける方が有益だろう。われわれは患者(かんじゃ)を励ます(はげます)べきか、それとも死についての話題に至るような事柄(ことがら)を話し始めた患者(かんじゃ)から真実を隠す(かくす)べきなのか。死についてどの程度率直に話すべきなのか。患者(かんじゃ)は万事順調にいっているということだけを言ってもらいたいのじゃないかとわれわれが感づいたならば、嘘をつくべきだろうか。病気が致命(ちめい)的なものなのかそうでないのかを真剣(しんけん)に知りたがっている場合、患者(かんじゃ)の推測が間違い(まちがい)ないことをはっきりさせるべきなのか。単刀直入な質問がない場合、真実を語る義務がわれわれにあるのか。問いかけてくる者たちに、死が近いことを否定するのは正しいことなのか、あるいは知りたいという意向を示さない者に告知するのは間違っ(まちがっ)ていることなのか。死の自覚が徐々に(じょじょに)増すようにすべきなのか、あるいは死の病に冒さ(おかさ)れているものは、死をより甘んじ(あまんじ)て受け入れられるように、このことを早期に知るべきなのか。もっと率直に告げるというのなら、それをどう知らせたらいいのか。知らされたらどんな反応をするだろうか。これらの問いはすべて、「医師は告知すべきか」という簡略化しすぎた冒頭(ぼうとう)の問いの一部なのだが、こうした問いに対し万人に受け入れられる回答はあり得ない。人はそれぞれ異なるし、道徳的信条や通説が判断に影響(えいきょう)を及ぼす(およぼす)からである。
 助かる見込み(みこみ)のない患者(かんじゃ)たちに死の可能性について率直に話す十分な理由がある。死が近づいていると強く疑っているのだが、そのことを問いかけたり話し合ったりする機会を全く与え(あたえ)られない病人は、周りの者が口をつぐんだままであればひどい孤立(こりつ)感を味わうことがある。こうした患者(かんじゃ)は、死が近いという事実を患者(かんじゃ)から隠し(かくし)たり、事実に触れ(ふれ)ないでおこうという意図のもと、すべて見せかけの言動をする人たちに囲まれているかもしれない。その結果患者(かんじゃ)は、だまされているという意識をもつのだ。もしみんなが、患者(かんじゃ)の間近に迫っ(せまっ)た生からの旅立ち、つまり、自分たちにとっての永遠の別れが絶対に起こらないというふりを続ければ、患者(かんじゃ)は他人との全く心からの会話から生じる精神的な安らぎをどうして得ることができようか。われわれは死を迎え(むかえ)つつある者たちに告知する義務があるという意見には、物質的根拠(こんきょ)と精神的根拠(こんきょ)がある。医師が患者(かんじゃ)に死が近いという事実を隠せ(かくせ)ば、患者(かんじゃ)は家庭の身辺整理をしそびれるだろうし、死が近いかもしれないとわかっていれば考えもしないような投機的事業を始めるかもしれない。死が近い人物には警告しなければならないという医師の法的責任は、討論の問題となりそうだ。しかしたいていの医師は、死が間近な人に何を告げるべきかを考えるときに、人がどれほど先まで身辺整理をする必要があるのかを心に留めているだろう。死に対して準備をしておくのはよい考えです、と助言することは、この効用に役立つだけではない。慎重(しんちょう)にいえばそれは、もっと知りたければ病人は医師とさらに話し合いができるというほのめかしでもあるし、あるいは、それはただ額面通りに受け入れてもよい助言なのである。
 人が自分の死が近いことを知る精神的必要は、末期段階では物質的問題よりも重要だろう。死が近い人は、突然(とつぜん)、宗教信仰(しんこう)に走ったり、信仰(しんこう)を取り戻し(とりもどし)たりすることが多い。死が近い人は重病の中、ひょっとしたらいつもとはずいぶん違う(ちがう)声で、助けを求めて祈っ(いのっ)たかもしれない。回復が望めそうになければ、宗教界の大多数の人たちは、患者(かんじゃ)が永遠の生命の準備ができるようにこのことを知るべきだと強く感じている。
 時には、病気の結末に関する予想をめぐって、患者(かんじゃ)に率直に物を言う必要が増大する。というのも、興奮状態の短い希望の時期に続いて、絶望的にみじめな長い期間があるからである。患者(かんじゃ)は、不当な全く望みのない治療(ちりょう)に努力とお金を浪費(ろうひ)し、結局、有名な数々の万能薬が効かないときにひどく失望することになるだろう。患者(かんじゃ)が重病で、病状が悪化していると思われるのに、医師は効果のない治療(ちりょう)に満足しているように見えるときは、治癒(ちゆ)の機会が失われていくように感じられるかもしれない。このため患者(かんじゃ)は挫折(ざせつ)感を抱い(だい)たり、必死になってほかの医者巡り(めぐり)をするかもしれない。もちろん、評判の高い人物からのまた違っ(ちがっ)た意見(セカンドオピニオン)は、関係者全員に大いに役立つだろう。これによって、重要な可能性が無視されていないという確信が得られるだろう。むなしく治療(ちりょう)を求めている、悩み(なやみ)をかかえた患者(かんじゃ)が、病気の性質とどれくらいの希望が望めるのかということについて、医師とともによりよい理解に達すると、自信を取り戻し(とりもどし)、さらに大きな安らぎが得られるだろう。
 死が近い者には率直に物を言うほうがよいということを裏づけるこれらの主張にもかかわらず、死について患者(かんじゃ)と話したがらない医師は多い。そういった医師は、患者(かんじゃ)の大部分は安心を得るため以外ではその話題を出すことを望んでいないと感じているし、真実はおそらく患者(かんじゃ)の心を傷つけることになるだろうとも感じている。この一般(いっぱん)によく見受けられる医師の態度は、たとえ苦悩(くのう)を避ける(さける)ために「罪のない嘘」が意図された場合でも、意識的にその話題を避け(さけ)たり、医師に信をおいている患者(かんじゃ)をだましたりするのをかなりためらうということと、あまり愉快(ゆかい)なことではないが、結びついている。しかし率直に物を言う医師の中にも、死が近いと告げられることは患者(かんじゃ)にとってなんの役にも立たないという信念を明らかにしている者がいる。それは理論的根拠(こんきょ)により簡単に論破できる見解である。しかし、真実がかなりの苦痛を生む可能性があるとき、また、思いやりから出る一部分だけ真実の言葉が死に至る進行を実質的に変えないとき、そして死が近い人間が自分は回復するだろうということを聞きたいときには、嘘をつくことや時々だけでも作り事を教えることについて反対するのには、かなりの信念が必要となる。死が近い人たちの世話をする正直な人の多くも、そうするのは避け(さけ)たいと常に思っているやり方で、患者(かんじゃ)から真実を隠し(かくし)ていることに気づくのである。
 実際、回復の見込み(みこみ)がないと患者(かんじゃ)に言う医師は比較的(ひかくてき)少数なのである。例えば、医師の意見に関してのある調査で、勤務医と開業医の200名を越える(こえる)集団に、致命(ちめい)的だと判定される可能性が非常に高いガンにかかっているとわかった患者(かんじゃ)に告知するのは賛成かどうかと質問した。こう定義された患者(かんじゃ)の中にはもちろん、死はまだ先の話で、全体的にまずまずの健康状態にあった早期に、病気の徴候(ちょうこう)が診察(しんさつ)された者も含ま(ふくま)れているだろう。そういった患者(かんじゃ)は、この段階では自分の病気が致命(ちめい)的でないかと疑う理由はほとんどないだろうから、もし医師が実際に告知したとしたら、何か予期せぬ悪いことを知らせることになるだろう。これらの(調査に協力した)医師の88%は、患者(かんじゃ)に告知しないだろう(と答えた)。もっとも中には例外を設ける(と答えた医師もいる)。患者(かんじゃ)の質問は通常安心を求めてのものだとこれらの医師は感じている。残りの12%は、ガンにかかっていることを患者(かんじゃ)に通常告知する、特にもし患者(かんじゃ)が知的で情緒(じょうちょ)的に安定している場合はそうするだろう(と答えた)。大半の医師が、身内には告知すべきだと感じており、自分が知っていることの負担を分かち合えるとうれしいと答えている。ところで、この同じ医師の60%もが、もし自分が同じ致命(ちめい)的な種類のガンにかかっていたら、告知してもらいたいと言ったのである。情報を与える(あたえる)ことと受け取ることとの間にある意見のこの不一致(ふいっち)は、医師自身のより大きな精神力と責任感に基づくものだ、と医師は説明した。そうかもしれない。しかしその態度は専門外の人たちと医者に同様に見受けられる、感情面からそうすることに決めた態度である可能性の方が高いのである。このことは、これらの医師が他の医師のガンを治療(ちりょう)する際、一般(いっぱん)のガン患者(かんじゃ)の場合と同様、彼ら(かれら)にも率直に告知しないという事実によって示された。
 病気が致命(ちめい)的なものかもしれないことを病人に対して認めたがらないのは、医師に限らない。もしガンにかかっていたら告知してほしいという人々の希望調査によって、自分自身は告知を望むが、同じ状況(じょうきょう)にある他人に知らせるのはあまり勧め(すすめ)られないと思っていることがわかった。英国の末期患者(かんじゃ)治療(ちりょう)に関する詳しい(くわしい)調査によると、死亡した患者(かんじゃ)の親族や友人は、本当の病状について死にゆく本人よりも多くのことを知っているようであり、もっと多くのことを敢えて(あえて)もらうことを期待していた。これらの患者(かんじゃ)のおよそ半数が自分の病状を知っていた。この調査で質問を受けた者の多くが、死の床(ゆか)にある者が、自分の死をある程度知っている、あるいは知らないことを認めたが、患者(かんじゃ)は自分の死に気づくよりも、知らないままの方がよいという意見の方が強かった。結婚(けっこん)した人たちが配偶(はいぐう)者の致命(ちめい)的な病気に対処する方法について調べた最近の調査によると、たとえ暗黙(あんもく)の了解(りょうかい)はあるにせよ、お互い(おたがい)の病状について率直に話し合う者は4分の1もいないようである。 ( n )
 内容:固有名詞は、言語が社会的なものであることを示している。子どもが社会生活を始めると固有名詞を通じて、自分がその社会に所属するという意識を植え付けられる。固有名詞は、自分が自分であるとともに、他方でどこかに所属するものであることを示す原理を持っている。その意味で固有名詞は政治的である。

 解説:エスキモーは、今はイヌイットと呼ばれています。これは、エスキモーという言葉がもともとアメリカ先住民の間で使われていた「生肉を食べる連中」という蔑称(べっしょう)だったからです。イヌイットは「イヌック(人の意味)」の複数形です。固有名詞を使うとき、どの固有名詞を選ぶかで、おのずから政治的な位置が決まってきます。

 みなさんも自分の名前に誇り(ほこり)を持っているでしょう。ですから「あ、そこのどこのだれだかわからないけど、馬の骨君、ちょっと」と言われるよりも「○○君、ちょっと」と固有名詞で呼ばれたほうが嬉しいのです。

 人間は、始めは自分の名前だけしか固有名詞を持っていませんが、やがて○○市に住む○○会社の社員で○○大学を出て○○さんと結婚(けっこん)した……と多くの固有名詞を持つようになります。それは、自分が所属によって次第に限定されていく過程だとも言えるでしょう。

 「旅の恥(はじ)はかきすて」と言うように、固有名詞を持たないところでは、人は自由な感覚を味わうことができます。しかし、固有名詞を持たない状態を長く続けることは人間にとって耐え難い(たえがたい)ものです。

 現代社会の問題は、固有名詞で管理されることへの問題(学校で生徒に名札をつけさせたり、国民一人ひとりに番号をふるなどの例)として考えてもいいでしょうし、逆に固有名詞を尊重しない社会の問題として考えてもいいでしょう。 ( n )
第一段落は、要約と社会問題の主題。
 「固有名詞で管理されることは問題だ。」


第二段落は、原因1と体験実例。
 「その原因は第一に、管理社会が進み個人が個人として尊重されなくなってきたためだ。」生徒に名札をつけさせない学校でも、担任の先生はもちろん教科担当の先生も、時間がたてば(どのくらいかかるかは、人によってまちまちですが)名前を覚えてくれた、という経験はありませんか。自分の名前を覚えてもらったとわかると、嬉しいし親しみが増したりします。名札があると、そういう信頼(しんらい)関係を作るのにかえって邪魔(じゃま)になりそうです。


第三段落は、原因2と社会実例
 「またもう一つの原因は、犯罪防止を名目として監視(かんし)を強化しようとする社会の風潮だ。」地域を明るく住みやすいところにするには、住人同士が挨拶(あいさつ)を交わし、不審(ふしん)な人や言動に目配りをするような、顔と顔の繋がりがある社会にすることだと言われます。が、「目配り」が「監視(かんし)」になってしまうと、個人のプライバシーが大切にされない息苦しい社会になってしまいます。近年、防犯カメラが至るところに設置されるようになり、それが犯罪防止や犯人の特定に功を奏している一方で、犯罪とは関わりのない個人の私的な生活も、監視(かんし)下に置かれているとはいえないでしょうか。


第四段落は、自作名言と社会問題の主題。
 「○○はAではなくBだ。」という形で書いてみましょう。「固有名詞は、管理のためのものではなく、個人の尊厳を確認するためのものだ。」 ( s )