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級:★   山:nnga   年:★   月:05   週:2  苗:nnga
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題名:魏志倭人伝によると(感)

感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。

課題の長文
 【1】魏(ぎ)志倭人(わじん)伝によると、当時、海をわたって中国と交通する際に、必ず持衰()と称する(しょう  )男を一人伴っ(ともな )ていたという。この男は、航海中決して頭を梳(くしけず)らず、のみ、しらみを取らず、衣服を洗わず、肉を食わず、婦人に近づかず、服喪(ふくも)中のひとのようであった。【2】無事に航海が終わって港に着けば数々の財物を与え(あた )られたが、暴風に会ったりして難破すると直ちに殺されてしまった。こういう役割の男を持衰()といったのである。記録に残されているところは以上の通りである。【3】持衰()とよばれるこの男はどうやら一種のシャーマンであって、航海の安全を祈っ(いの )たものであろう。シャーマンというものは、成功してはじめて評価されるもので、失敗すればたちどころに殺されてしまう。殺されることが呪力(じゅりょく)の持続の保証でもあったわけである。
 【4】ところで、いかに呪力(じゅりょく)を持ったシャーマンとはいえ、航海中に一定の禁忌(きんき)を守りさえすれば、船が目的地に安着するというのはどういうことなのであろうか。それは時の持続、出発地の時間が目的地まで持続すること、そういう流れない時のシンボルなのではなかったろうか。【5】】あるいは、そういう時の演劇的表現が持衰()だったといってもよい。そして、そういった場合には、演劇的表現を生む以前のある時期には、流れない時のリアリティーがすべての人々に実感されていたに違い(ちが )ないのである。
 【6】流れない時、時間をこえた時、そういう時はたしかにあった。創造というのは、そういう時に出逢う(であ )ことである。竜(りゅう)宮城の浦島(うらしま)太郎(たろう)はこういう時を日常の時として不老不死であったが、故郷に帰って玉手箱を開けたとたんに、一挙に時間が流れ去ったのであった。【7】山川の流れにも、淀む(よど )ときがあり、早瀬(はやせ)となって走るときがある。表層の水は白く泡立っ(あわだ )て流れていても、深層の水は静かにたたえている。そういうことがある。時間も同じことである。
 時について考えるには、時をまずその原初の意味においてとらえ直す必要がある。【8】そうすると、時は『もの』である。手でつかまえることのできる『もの』、眼で見、耳で聞くことのできる『もの』である。時はタンジブルなものである。桜の花の咲く(さ )時、梅の実の黄ばむ時である。そういう時に逢う(あ )時、それが時である。古池∵や蛙(かえる)とびこむバシャッという音、それが時である。【9】『もの』を離れ(はな )て時はない。
 かつて北部ラオスの村で調査していたときのことである。毎日、村の家々を訪ねて家族のあり方を聞いてまわっていた。ラオ語がよくできなかったから、簡単な質問ですむ調査を手始めにえらんだのである。【0】「あなたは今年、何歳(さい)ですか」「あなたの奥さん(おく  )はどの村で生まれましたか」「長男の名前は……、年齢(ねんれい)は……」といった質問を繰り返し(く かえ )ていた。
 ところが、村びとは子供の年齢(ねんれい)をよく知らない。「一番下の子は何という名前でしたか」「サオ・ボーアです」「サオ・ボーアは何歳(さい)ですか」「サアー、お前、サオ・ボーアは幾つ(いく )だったかナー」と傍ら(かたわ )の奥さん(おく  )に聞く始末である。しかし、それでもわからない。そうすると遊んでいた子供を呼びもどす。「先生、サオ・ボーアはこの子ですよ。何歳(さい)だと思いますか」
 私はびっくりしてしまう。何歳(さい)と思うかと私に聞かれてもどうしようもない。親が娘(むすめ)の年齢(ねんれい)を知らないのだから、私が知るはずはないではないか。そう思った。文化の低いところは困ったものだ。そう思ったこともある。しかし、その後、考え直してみると、問われている本人を呼びにやって質問者の眼の前に連れてきたのである。本人が私の前に立っているのである。これほど確かなことがあろうか。(中略)
 時は、あるいは時間は、われわれの人生がその上に展開する座標ではない。最近、宇宙船地球号というイメージが普及(ふきゅう)している。そういうイメージからすると、この地球に住む約三十八億の人間がそれぞれ腕(うで)に腕時計(うでどけい)をはめて宇宙空間をただよっているような気分になるが、実はそんなことはない。日本の時間とボルネオの時間とは違う(ちが )し、現代の時間と古代の時間はちがう。私の時とあなたの時はちがう。時間は決して一つになってはいない。

項目表

項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。 項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森 
項目表 ガジュマロ の苗 高2年 4~6月
目標:社会科学のテーマを書く書き方を身につける
 ★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
第 1 段落項目キーワード説明
構成 ○ 題名の工夫題名の工夫 <<構成>>「○○な○○」「○○の○○」のように工夫
構成 ○ 四段落構成 大きく四つぐらいの部分に分けて書く
構成 【】★ 書き出しの工夫書き出しの工夫 <<構成>>会話・色・音・情景で書き出す
主題 【】★ 社会問題の主題問題 社会問題 <<主題>>私はAが問題だと思う
             ↓
第 2 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の原因一原因 背景 <<構成>>…の原因としては第一に
題材 【】★ 体験実例体験 私 わたし 僕 ぼく <<題材>>自分らしい体験実例を書く
表現 ○ たとえまるで みたい よう <<表現>>まるで…のよう
主題 ○ 途中の感想 途中で主題に関連した感想を書く
             ↓
第 3 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の原因二原因 背景 <<構成>>…の原因としては第二に
題材 ◎ 自然科学実例・長文実例自然 科学 長文 <<題材>>自然界の例・長文実例
表現 【】★ ユーモア表現笑 爆 ユーモア <<表現>>ユーモアのある表現(笑)
表現 ◎ ことわざの加工ことわざ <<表現>>ことわざや名言や流行語を加工する
             ↓
第 4 段落項目キーワード説明
主題 【】★ 反対意見への理解確かに <<主題>>確かにBもよいが、しかしAが
表現 【】★ 自作名言ではなく でなく 自作名言 <<表現>>「○○とはAではなくBである。」という形の文
主題 【】★ 社会問題の主題問題 社会問題 <<主題>>私はAが問題だと思う
構成 ◎ 書き出しの結び書き出しの結び <<構成>>書き出しのキーワードを使って結ぶ

字数 ★ 600字以上
表記 ○ 決めてくる、読みかえす書くことを決めてくる、書いたあと読み返す
表記 ★ 制限時間75分書き始めから書き終わりまで75分で
表記 ○ 構成メモ作文を書く前に構成メモを書く
表記 ○ 漢字を使う、ていねいに書く習った漢字を使いていねいに書く
表記 ○ 段落三文段落の目安は三文ぐらい
表記 ○ 一文一点読点は1文に1〜2点を目安に
表記 ○ 常体で書くした・だった・であるなどで書く練習
表記 ○ 誤字一ヶ所以内一つの作品に誤字は一つまで


課題のヒント

input-buffer overflow. The line is split. use -b #SIZE option. 夫と妻の間での家事の厳密な区分は、西洋の国々では薄れ(うすれ)つつあると主張する社会学者がいる。家族構造は、女性の役割と男性の役割が、より均等なものになっていくように発達しているというのである。家庭での従来の役割を果たすことに加えて、家庭外で働く女性が以前より多くなっている。そして、男性は家庭への関与(かんよ)を増す一方で勤労の義務は保っている。この均等な家族形態は、将来の家族組織のうちで最も多い形態だと考えられている。家事と賃金労働という2つの分野への夫と妻の関与(かんよ)の均等化への動きを暗示しているのである。
 このような見解は、マスメディアでみられるように現在の家族生活像の中で一般(いっぱん)的にあるものである。この家族像は、社会経済のある2つの傾向(けいこう)の解釈(かいしゃく)に基づいている。まず、賃金労働をする女性の数は大幅(おおはば)に増加したので、ある程度家事を分担することは、今ではまったく普通(ふつう)のことだといわれている。次に、家庭内に科学技術が増大したことによって、女性の家事から退屈(たいくつ)な労働が取り除かれ、家事を遂行(すいこう)する時間が大幅(おおはば)に短縮され、ほとんどの仕事が、家族の誰(だれ)でもできるほど簡単なものになったと考えられている。このような説明は、家族形態が均等化し、性別に基づく労働の家庭内での分業が次第に崩壊(ほうかい)していくための条件を提示しているようにみえる。
 しかし、この意見は広く受け入れられてきたものの、膨大(ぼうだい)な量の具体的実態調査によると、それとは異なった見解が示唆(しさ)されてくる。この調査実態には2種類ある。アメリカ人の生活時間配分の調査と、主としてイギリスに始まった、家事と主婦についての社会学的調査および研究である。
 近年、生活時間配分についてのいくつかの研究で、家事と、賃金労働や余暇(よか)などのその他の活動に費やされる時間が計測された。そういった調査には・一般(いっぱん)に、調査の対象者に何日間かにわたって特定の時間帯の活動を記録するよう頼ん(たのん)だり、日記をつけて行った仕事の数と性質、およびそれぞれに費やした時間の総計を記録してもらう、といったことが含ま(ふくま)れている。その結果得た結論には、際立った一貫(いっかん)性があった。
 例えば、1960年代後半に完了(かんりょう)した調査によると、家庭外に仕事のない女性は、食事の準備をしたり食後の後片付けをしたり、洗濯(せんたく)をしたり、家を掃除(そうじ)して整頓(せいとん)したり、子供や家族の世話をしたり、買い物をしたりといった活動で、毎週平均57時間働くということがわかる。もっと新しい調査では、主婦は給料をもらって雇わ(やとわ)れていると仮定したら、必ずフルタイム労働とみなされるだろうと思われるのと同じ程度の時間を家事に費やしているとわかる。
 勤めに出ている女性の場合、給料をもらう労働が増えるにつれて、家事に費やす時間は減るが、全体としての週当たり労働時間は長くなるようである。週30時間以上の勤めに出ている女性は、合計で76時間働いているが、これには家事に費やされる平均33時間が含ま(ふくま)れている。にもかかわらず、週当たり労働時間の最も長い妻をもつ夫は、自らは最も短い週当たり労働時間の持ち主なのである。勤めに出ている妻をもつ夫は、専業主婦の夫たちと同じく、家事に時間を費やさない。女性の賃金労働に対する夫側の関心が一見このように欠如(けつじょ)しているようにみえることは、アメリカの3500組の夫婦についての調査を含む(ふくむ)他の調査によって裏づけられている。勤めに出ている妻は、夫あるいは専業主婦のいずれよりも労働時間が長かった。彼女(かのじょ)たちはまた、平日に家事に当てる時間の倍の時間を、自分の休みの日に家事をするのに費やした。その一方、夫は、さらには専業主婦ですらも、週末の余暇(よか)は増加した。
 家族の中に非常に幼い子供や多くの子供がいると、この負担は増す。いずれの場合にも、妻の週当たり労働時間は、家族の要求を満たすために伸びる(のびる)。調査によれば、1歳(さい)末満の子供をかかえる家庭の場合、専業主婦は週70時間近くを家事に費やしており、このうち30時間近くが子供の世話に費やされている。典型的な夫は、週に5時間を子供の世話に費やしているが、家の修繕(しゅうぜん)や窓の外側の飾り(かざり)つけや清掃(せいそう)といった家の内外の仕事に費やす時間を減らして、家事への関与(かんよ)の総量が増えないようにしている。妻が週15時間以上の勤めに出ているとき、平均的な天は週にさらに2時間を子供の世話に費やし、家事の総時間は20時間に増える。その妻は家事に50時間以上を費やすが、このことは、勤めに出ている女性が家事に費やす時間の総計は、幼い子供がいると大幅(おおはば)に増えることを示している。
 さらに、調査者は、夫の家事や子育ての活動を特に重要なものだとは考えていないようである。こういった活動を、男性は夕食後に行う場合が多いと調査者は指摘(してき)している。このときの子供の世話は、主として子供と遊んだり話をしたりすることから成っており、特に難しいことではない。さらに、夫がこれに従事している間、妻はちっとも面白くない食後の後片づけで忙しい(いそがしい)のだ。男性が他の家事に携わっ(たずさわっ)ているとすれば、妻が夕食後に勤めに出かけなければならないために、妻自身がその家事ができないためである場合が多いのである。
 このように、夫の活動は、相変わらず主として女性の責務である一連の仕事の代替(だいたい)要員あるいは予備労働という形態のものなのだ。大部分の既婚(きこん)女性はいまだに、家庭内の必要かつ最も時間のかかる仕事をして、毎日のかなりの部分を過ごしている。家事労働者の週当たり労働時間は、被(ひ)雇用(こよう)者集団の平均国人物の週当たり労働時間よりも良いということも注目に値する。したがって、賃金をもらっている女性は、もらっていない女性よりも家事の量は少ないものの、そのことは家庭での特定の仕事の配分には
 ほとんど影響(えいきょう)を与え(あたえ)ないということがはっきりと示されている。家事はまだ性別に沿って厳密に分離(ぶんり)しており、この区分は地域や国が違っ(ちがっ)ても変わらないようである。生活時間配分の資料によると、性別による家庭内労働の区分に大きな変化はないことがわかる。
 ある重要な発見から示唆(しさ)されるのは、行われている家事の内容が、19世紀に変わったということである。もっとも、量は変わらなかったが。科学技術の変化が家庭に届くのは、職場よりも遅かっ(おそかっ)たが、19世紀の終わりごろに比較的(ひかくてき)豊かな家庭に入り始めた。とはいっても、大きな科学技術の発達は、第一次世界大戦直後になって初めて、ほとんどの住民の家庭に影響(えいきょう)を及ぼす(およぼす)ことになった。これらの発達の意義は無視できない。ある社会学者がいっているように、「3つのものが、主婦の不潔できつい労働を劇的に減らした」のである。彼(かれ)がいうにはそれは、「料理・暖房(だんぼう)・照明のためのガス・電気、家庭用水道、そして洗濯(せんたく)機」だった。冷蔵庫や掃除(そうじ)機、そして冷凍庫(れいとうこ)、さらにまたインスタント食品にみられる家庭用科学技術の利用によってもまた、料理や掃除(そうじ)といった活動が、以前よりも簡単になった。このため、ある調査者などは、家庭内の技術変化は産業革命の技術変化に匹敵(ひってき)し、それと同じくらい重要であると提言するに至った。
 このように、1920年代には、主婦の時間の大部分は、物を取りに行ってきたり、手で物を洗ったり掃除(そうじ)したりといった、きつい日課や退屈(たいくつ)な仕事に費やされていたことだろう。今日では、いろいろな活動、特に子供の世話をしたり、買い物に出かける計画を決めることに時間が費やされることの方が多いだろう。幼年期、身体・精神・情緒(じょうちょ)の安定をはかることが育児の重要な側面であると強調され続けてきたため、このことが、女性が子育てに費やす時間の総計に明らかに影響(えいきょう)を与え(あたえ)てきた。しかし、家庭で利用できる科学技術がますます増えているにもかかわらず、家庭用の設備機器を購入(こうにゅう)しても、必ずしも女性の家庭内での役割は安楽なものにはならない。むしろ、家庭により多くの技術製品があるほど、それを自分のものにし、利用し、維持(いじ)するのに費やす時間は多くなることが示唆(しさ)されている。例えば、ミキサーがあればもっと手のかかった食事を作ってみようという気になるし、洗濯(せんたく)機は、整頓(せいとん)のレベルが向上したこととも相伴っ(あいともなっ)て、より多くの洗濯(せんたく)がより頻繁(ひんぱん)になされることを意味する。実際、パーキンソンの法則がはたらいて、女性の家事は家庭内の科学技術が向上したにもかかわらず、一定のレベルに保たれているように思われる。この80年ほどで、状況(じょうきょう)はほとんど変わっていないようにみえる。というのは、専業主婦が家事に専念する時間の総計は、この期間、著しく安定しているからだ。さらに、家庭の科学技術は個人そして家族レベルで発達してきたので、女性が行う家事の、特定の性質を増強することとなった。この分野での多くの発達にもかかわらず、家事は相変わらず組織的でなく、孤立(こりつ)した比較的(ひかくてき)非能率的な単位でなされている。これらすべての理由により、次のことが主張されてきた。現代の科学技術は、性別による家事の区別をなくすのではなく、従来の家事の役割配分を支援(しえん)し、強めることにすらなったのである。 ( n )
 解説:時は時計の針で表される単なる座標なのではなく、それ自体が生きたひとつの「もの」なのだ、というのがテーマです。かけがえのない時は、人によって違い(ちがい)ます。現代の社会では、決められた定刻どおりに事を進ませるのでなければ文明人とは呼べません。もし電車やバスの運転手が、「夕焼けがあまりにもきれいだから今日の運転はやめよう」などと言ったら乗客は怒り(おこり)出すでしょう。(インドでは、牛が動くまでバスを停めておくこともあるらしいのですが)

 小学校の勉強などを見ていても、せっかく熱中している図工を一時間で仕上げて、次は算数などという勉強の仕方が多いと思います。子供は、座標としての時ではなく生きた時を生きているので、こういうこまぎれの時間割に慣れるまでが大変です。

 時計を持たない動物は、おなかがすいたら食べて眠く(ねむく)なったら寝(ね)ています。ロビンソンクルーソーは、漂流(ひょうりゅう)してたどり着いた島で、まず日付がわかるようにカレンダーを作りました。ここが人間の大人と動物の違う(ちがう)ところです。子供はまだ動物に似ているので、大人からいつも「早くしなさい」「次はこれをしなさい」「その次はさっさとあれをしなさい」と言われ続けています。ピーターパンやドラえもんなどは、時間を座標としてとらえず生きたものとしてとらえる子供の世界の感覚をよく表しています。 ( n )
 長文中に出てきた持衰に象徴(しょうちょう)される「時の持続、出発地の時間の持続」は、現代でも「験(げん)かつぎ」という形で、我々の心の中に生きているのかもしれません。よくある例では、高校野球で、勝ち続けるように汚れ(よごれ)たユニホームを洗わない、などというのは、まさに持衰の例に近いものでしょうか。他にも、必ず左足から靴(くつ)を履く(はく)とか、もっと平たくはおまじないなども、時計で計れる時を越え(こえ)て、思いや願いの持続を求める心の表れでしょう。 ( h )
 時を生きたひとつの「もの」と捉える(とらえる)感覚は、高度に文明化・情報化された現代の社会では、見失われがちなのではないでしょうか。現代人は、時間というのは過去から現在、そして未来へと直線的に流れる均質なものであるかのように感じています。けれども、そのような捉え(とらえ)方感じ方では、時間は無味乾燥(かんそう)なものになってしまい、生きたものが本来持っている豊かさや深さを失ってしまいます。近現代的な時間の捉え(とらえ)方の問題の原因を考え、失われた「時」の感覚を取り戻す(とりもどす)ことで、人間ももっと生き生きと生きられるのではないでしょうか。

第一段落 要約と社会問題の主題
「時間を、いつもどこでも同じ速さで流れるものであり、人生を展開するための単一の座標と捉える(とらえる)のは問題だと思う。」

第二段落 複数の原因一と体験実例
「原因は第一に、現代の社会は定刻通りに物事を進めていくことで成り立っているからだ。」体験の例としては、学校のある日(平日)と、お休みの日の過ごし方を比べてみましょう。平日の朝は慌しく(あわただしく)、時計とにらめっこし、朝ご飯もそこそこに駆け出す(かけだす)、という経験をしたことはありませんか。お休みの日なら、特に予定を決めずに、その日の気分でしたい時にしたいことができますね。朝昼一緒(いっしょ)のご飯、ブランチを楽しんだり、時間のたつのを忘れて好きなことに没頭(ぼっとう)したり。そういう時、時間の流れは普段(ふだん)とは違う(ちがう)ように感じられるでしょう。夢中になって時間のたつのを忘れた例を挙げてみましょう。

第三段落 複数の原因二と自然科学実例
「「原因は第二に、文明が進んだいわゆる先進諸国の時間感覚以外の時間の流れがあることを忘れているからだ。」自然科学実例として「ゾウの時間ネズミの時間」(本川達雄(たつお)著)では、「動物によって『時間』というものもそれぞれ違う(ちがう)」ことが述べられています。著者は対談の中で「時間が体重の4分の1乗に比例する」といい、「体重が10倍になると時間は1.8倍になるんです。例えば、30gのハツカネズミと3tのゾウでは体重が10万倍違い(ちがい)ますから、時間は18倍違い(ちがい)、ゾウはネズミに比べ時間が18倍ゆっくりだということになります。」と語っています。また、「八日目の蝉」というドラマ化・映画化された小説がありますが、蝉の生きて感じる八日間は、人間の感じる八日間では、時間の流れがまったく違っ(ちがっ)ていそうですね。


第四段落 反対意見への理解と自作名言、社会問題の主題 「確かに、現代の社会では、定刻通りに事を進ませるのでなければ社会は機能しない。」「しかし、時間は単一の座標ではなく、生きるものである。(自作名言)」「時を生きたひとつの『もの』と捉える(とらえる)感覚を取り戻す(とりもどす)ことで、生の多様なあり方に開眼し、生き生きとした生を取り戻す(とりもどす)べきだ。」 ( s )