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題名:近代社会は前近代の(感)
感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。
課題の長文
【1】近代社会は前近代の安定したピラミッド型の社会構造を破壊し、そこに流動状態をもちこんだわけだが、だからといって階層秩序そのもの、すなわちピラミッド型の枠組そのものまで放棄したわけではなかった。【2】そこには、さまざまなかたちで階層秩序的構造が残っているし、またそれがあるからこそ、それらの段階を上昇すること(立身出世、人間的完成、経済成長、福祉の整備、軍事的優勢、貧困の撲滅、平等な社会の実現など)が理念的に可能であると信じられてきたのである。【3】これらはひとつの理念を中心に構築された大きな物語(歴史やさまざまなイデオロギー)によって方向づけられていた。人々は多様な事実をこうした物語の秩序に従って配列し、また自分自身の生の意味づけも、この物語から受け取っていたのである。
【4】だが、現在ではこうした物語は軒並みその信頼を失っている。つまり、そうした秩序はもはや人々が自分自身の生を投影する鏡としての機能を果たせなくなったのだ。【5】大宗教、イデオロギー、高級文化、公的な文化などは、すでに人々と世界を結びつける機能を失ってしまっている。そのことの原因としては、異なった文化を根こそぎに均質化し、効率のみがすべてを支配する情報化社会の出現が考えられるだろう。
【6】問題はカルト的文化が、こうした文化的階層秩序の不在の上に成り立っていることである。つまり、そこでは各要素を構造づけていた価値秩序が崩壊し、各部分文化が断片的に自立したものとして据えられているのだ。【7】たとえば、漫画と文学、ロックとクラシックなどの間にかつては残っていた暗黙の上下関係はもはや存在しない。それらはただ単に同じ平面の上に漂っている、お互いに無関係の孤島にすぎないのだ。(中略)
【8】もちろん従来からの階層的な価値秩序はまだまだ残っているし、現実にはそうした「建て前」によって社会は維持されているように見える。人々はいい大学をめざし、いい会社をめざし、まわりから祝福される結婚をめざし、出世をめざす。【9】だが、それらの理念までが残っているわけではないのだ。いい大学はけっして学問を修め、自己を成長させるためにめざされるわけではないし、会社はその理念によって選ばれるわけではない。それらは、ただ単に∵「得」だから、すなわち金銭的、社会的な利益をもたらすから守られているにすぎないのだ。【0】いわば、それら自身の価値はほとんど信じられておらず、ただ信じているかのように振る舞うことだけがこれらの制度を守っているのである。
このような意味での価値からの疎外はいたるところで見いだすことができるだろう。たとえば、家族や土地との関係、歴史的連続性やコミュニティの喪失などのかたちでそれは表われている。
物語への実質的な信頼を失い、さまざまな情報の過剰の中で、それらの情報を秩序づけることができなくなった人々は、均質で平凡な生き方に逃げ込もうとする。なぜなら、物語がもはや信頼できないとしたら、自己の位置を決定するものは他人との相互関係だけだからである。他人と均質であること、他人と話題や関心を共有することが存在に相対的な安定をもたらす。建て前はこうした演技にとって不可欠な虚構なのである。
しかしながら一方で、こうした根拠を欠いた表層的な身振りは、それだけでは真の安定や自己の意味づけをもたらすことはない。なぜなら、言うまでもなく自己を意味づけるのは他人との差異でなくてはならないからだ。つまり完全に他人と同質では差異は生まれてこないからである。
そこで人は、社会化された私とはちがう「本当の私」をもとうとするのだ。いわば「失われた内面」を求めて果てしのない「旅」が始まるのである。言いかえれば、「個性」という、同質性の土台の上に作られた相対的な異質性を防衛しようとするのだ。限定された価値領域に自分をつなぎとめようとするカルト化(あるいは専門領域主義化)はこのような反動として現われてくる。つまり、それは同質性を損なわぬかぎりでの異質性として現われてくるのである。異質な価値の乱立が戦争状態をもたらさないのはそういうわけなのだ。だれも本当は全体への従属関係を失いたくないのである。
室井尚「メディアの戦争機械」より
項目表
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項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森
項目表 グミ の苗 高2年 10~12月
目標:社会科学のテーマを書く書き方を身につける
★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
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課題のヒント
input-buffer overflow. The line is split. use -b #SIZE option. テレビは世界がこれまで知った中で最高に強力な言語を変化させる作用をするものである。この機能において、テレビは、発明されて数年のうちに読み書きの能力と世にあまねく行きわたっている義務教育をすでに凌駕してしまった。
これははなはだしい誇張に思われるかもしれない。しかし、読み書きの能力や世にあまねく行きわたっている義務教育は文字言語に主として関係があるのであり、この文字言語というものは読み書きの広く行きわたっている今日においてさえ、我々の全意思伝達の10%以下の手段になっているにすぎないということを考えなさい。テレビは音声言語に主としてかかわっており、音声言語は意思伝達の主な手段であり、全意思伝達のほぼ10%が音声言語を伝達の手段として用いるほどである。声音言語を用いた意思伝達に対比して、文字言語による意思伝達の内容の相対的重要性について無理に理屈をつけて言い張ることができる。真に重要であり、したがって、永遠の記録として具現化される意思伝達の種類は主として書かれるものだ。ラテン語の諺が2000年前に述べているように、「談話は飛び去る。しかし書かれた伝言は存続する」。身分の高い人であれ、低い人であれ、あらゆる種類の人の間で行われる話し言葉によるやりとりの少なくとも50%には、基本的に重要なものは何もない、ということを主張として無理なく提起することさえできる。しかし、同じように説得力のある反論がある。今日、永遠の記録は、保存され、自由に反復され、テレビのように生の映像と組み合わされさえするために、レコードやテープに刻みこまれることができる。このことは、もはや談話は「飛び去る」ことがないことを意味している。つまり、談話はその話し手と話し手が述べた内容の永続する記録として存続するために、談話の話し手の映像と混合されうるのである。
しかし、このことは枝葉末節の問題にすぎない。(専門の言語学者はすでにそのことについては数十年間知っていたことだが、)個人の記録された声は、もし分光写真で見えるように写し出されれば、その人の指紋と同じようにはっきりしており、積極的に特定できる確実な手段となるものであるという専門外の世界の他の最近の発見と同じように。我々にとって重要である点は、テレビとその特色のいくつかを共有する他の2つの最近の発明物であるラジオと映画と並んで、テレビによって今日もたらされる手段ほど強力で、迅速に作用する言語を変化させる手段は現代に先立つ歴史上どの時代にも存在しなかったということである。
あらゆる国の若い世代は、映画俳優、ラジオのアナウンサー、そしてとりわけテレビのニュースキャスター、ニュース放送の総合司会者、広告者、特別番組の役者たちによって分与される標準国語の絶え間のない、容赦のない砲撃にさらされているので、彼らの両親たちの言葉のすべての方言的特色をなくし、彼らの目には最高の権威をもっていると映る人々によって話される彼らが好きな番組で耳にする標準語を採用する方向に向かっているのである。
例をあげてみよう。イタリアは数も多く、しかも永続性のある方言の国である。イタリア人の話し手が最高に教育され、文法と語いを完全に使いこなす力をもって話す所でも、その話し手の出身地方の口調がはっきり現れ、彼がどの地方の出身であるかを確実に示すものとして作用することがたいていあるのである。私は1908年、7歳のときに故国イタリアを後にした。1921年、20歳のときに初めてもどり、ジェノバに上陸したとき、ジェノバの学生に、「あなたはローマ人ではありませんか」と言われてちょっとびっくりしたものである。私の生まれつきの口調が私がどの地方の出身であるかを暴露したのである。
しかしそれはテレビが出現する前の時代であった。1959年、ナポリの友人とナポリのバスに乗っていたとき、一団の若者たちがそのバスで正しい、なまりのない標準イタリア話を話すのを聞いて驚いた。彼らの話す標準イタリア語からは地方のイントネーションを特徴づけるものはすべて消えていた。私は友人に彼らは中央イタリアからの旅行者ではあるまいかと尋ねた。
「全然違いますよ」と友人は答えた。「この地方の少年少女ですよ」
「しかし、あのナポリなまりはどうなってしまったんだ。どんなに教育を受けても、ナポリ人なら絶対になくならないと思われていたのに」
「そうかね」というのが返事だった。「家につくまで待ちなさいよ。そうすればわかるでしょう」
友人のアパートについたとき、私は友人の8歳、10歳、12歳の3人の子供と知り合いになった。お父さんとお母さんは、それまでいつもそうであったように、彼ら自身の教養あるナポリ方言で話し続けているのに、3人の子供たちはみな私がバスで耳にしたのと同じなまりのない標準イタリア語で話した。
私の友人は言った。「これはイタリア全国士で起こっていることです。若者たちはもはや自分たちの両親や親せきの人から言葉を取り入れません。学校からは一部取り入れますが。我々の時代にも学校はありましたがね。本当に差を生じしめているのは映画とラジオ、それにとりわけテレビなのです。それらは若者たちの目に権威をもって映る話し手であり、若者たちは意識的にせよ、無意識的にせよ、模倣するのです。もしこうした事態がさらに50年間も続けば、イタリアには方言の痕跡もなくなるでしょう。全イタリア人が同じ、平板な、単調な、特徴のない国語を話しているでしょう。それは幸いであるかもしれないし、災いであるかもしれません。地方的特色はなくなるが、すべての人が他のすべての人の言っていることがわかるでしょう。それは我々の世代について言える以上のものでしょう」
この意外な新事実を知る以前においてさえ、英語が話されている世界における同様な現象のことを意識していた。私は英国英語が話される初期の映画について、話されたことのいかに多くがアメリカ人の耳に分かりにくいかに気づいていた。それから我々は英国なまりに慣れたのであった。ちょうどイギリス人が疑いなく米国なまりに慣れたのと同じように。しかし、それはみなただ単なる受動的な受容であったと少しも思ってはならない。両国の発音が感知できないうちに積極的に混ざり合ったこともあるのである。イギリス人の話し方がより米国的になるのと同じように我々の話し方がより英国的になるのである。もし今から1世紀かそこいら後のある日、英語の2つの主流が、それはジェームズタウンとプリマス湾の植民地の創設とともに分かれ始めたのであったが、再び1つの強力な流れに収束することがあれば、その効力と栄光は映画、ラジオ、特にテレビのものとなるであろう。
国際間で起こっていることは国内でも起こっている。もし君が、ハリウッドとテレビスタジオに基づく、未来の標準米語を聞きたいと思うなら、カリフォルニアに行き、カリフォルニア生まれの若い世代の話し方に耳を傾けなさい(もちろん、他の州からカリフォルニアに移住してきた人の話し方ではいけない。彼らは生涯を終わるまで自分の地方のなまりを身につけているのだ)。1960年の大統領選挙戦で、ニクソンが驚き、軽蔑、疑念などの表情を全然させなかったのに、ケネディのアメリカ東部なまりの話し方が何とくせのある発音として目立ったかを覚えているか。ニクソンは地方なまりを全く失った米語、未来の標準米語を話したのである。2、3年前、ミスアーカンソーがミスアメリカになった。映画、ラジオ、テレビと1、2の東部の大学という規定食で育てられたので、彼女は南部の影響の全く感じられない標準米語でテレビの視聴者に話しかけたのである。その後お父さんとお母さんが少し話すように求められた。二人が話したとき、素晴らしいアーカンソー方言が二人の口からしたたり落ちた。確かなことが1つある。ミスアーカンソーの未来の子供たちは、近代的状況で育てられれば、彼らの祖父母の南部の口調ではなく、彼らの母親の標準米語を使うだろうということである。
以上の前兆から、個人の使う米語がどうなるかははっきりしている。米語は近代の伝達手段によって標準化され、統一化されつつあり、そうされていくであろうということである。地方方言のすべての名残りが最後には取り除かれるかどうかを予言することは困難である。しかし、もっともっと目立たない位置に追いやられるであろうことは確実だ。オザークス地方の話し方を記録にとるために、アパラチア山脈の奥地に本当に探険隊を派遣する必要が出てくる時代がやってくるであろう。また、前世紀末にべグリア方言の最後の話し手が、記録する目的で言語学者によってアドリア海で探し求められたのと同じように、ブルックリン地区の方言を話す最後の生存者がグリーンポイントやフラットブッシュの荒野で探し求められる時代がやってくるであろう。 ( n )
近代社会は、前近代の安定したピラミッド型の社会構造を破壊し流動状態をもちこんだが、ピラミッドの枠組そのものは破壊しなかった。しかし、現代では、階層構造の秩序そのものが信頼を失っている。人々は全体への従属関係を持てなくなった不安を、カルトという同質性のうえに作られたささやかな異質性の中に求めようとしている。
高校生のうちは、受験という大きな目標があるので、まだ階層秩序がないことへの不安という心理はわかりにくいかもしれません。しかし、受験が終わると、果たしてこの社会に生きるに値する大きな目標があるのだろうかという気持ちを多くの人が感じるようです。この不安を解消する手段として特殊な小さなコミュニティというものが成り立つ、というのが著者の意見です。現代社会の問題として考えていきましょう。 ( n )
いろいろなことが重層的に書いてあるので、問題を一つに絞るのは難しい。敢えて一言で言えば、「価値からの疎外」か。
長文の内容をわかりやすく言うと、次のようなことである。
現代は昔のような、誰もが支持する大きな価値はなくなった。(昔は、「尊皇攘夷」とか「鬼畜米英」とか「所得倍増」のようなすべての人が支持する大価値があった)現代かろうじてあるように見える「受験勉強」などの大価値も、いつでも放棄できるような弱い価値である。大きな価値のない中で、人々は他人とのささやかな一致や相違に自分というものを見出そうとしている。
第一段落は要約。続けて、「社会を貫く大きな価値がないところに問題がある。」
第二段落は原因1。「大きな価値がない原因は第一に、日本の社会が『欧米に追いつけ追い越せ』という目標を一応達成してしまったからである」。続けて体験実例。「父母の時代は、テレビを買ったり自動車を買ったりすることに憧れがあったようだが、現代の高校生はせいぜい新しい携帯電話がほしいぐらいである」。
第三段落は原因2。「また、第二の原因としては、社会全体に大きな価値をいかがわしく思う風潮があることだ」。続けて社会実例(自然科学実例)。「巨大化した恐竜は6500万年前に滅びた。そのあとに多様な哺乳類が誕生した。大きな価値は恐竜のように滅びる運命にあるものと見られている。云々」。ことわざの加工。「大は小を兼ねられない」。
第四段落は、反対理解とまとめ。「確かに、たった一つの大きな価値に塗りつぶされた社会は不自由かもしれない。しかし、現代のような価値の不在と分散の時代もまた人間にとって不幸なのではないか」。続けて自作名言。「人間は、ただ肉体的に生きているのではなく、価値的に生きているのだ」。
( n )

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