input-buffer overflow. The line is split. use -b #SIZE option. トマス=ハーンは石工で、レストハロウ生まれの男だった。血気盛んな時期を州の遠隔地にある建築業者のある会社で働いて過ごした後、年をとって少年時代を過ごした家に舞い戻ってきたのだった。ハーンはその全盛時代、経験、技術、それに審美眼と想像力をまぜ合わせた、技術以上のあるものをもった一級の職人であった。彼の会社は、会社に対する彼の貢献を高く評価していた。何か難しい慎重な取り扱いを要する仕事がなされなければならないときは、当然のこととしてその仕事はハーンにまわされた。彼の製作品の見本はその地方のいたるところ、復元された教会の修復した石造物、橋のアーチ、入口の門柱や大邸宅の正面にあったし、今でもいくつかのものはそれらの場所にあるに違いない。彼は全盛時代には、2世代にわたって徒弟たちを教えたのであった。
しかし、1880年代までにハーンの時代は終わった。依然としてかくしゃくとしており、仕事場の自分の作業台で丸1日仕事ができ、肩に道具袋をかついで外回りの仕事に3なしし4マイルあるいはそれ以上の距離を歩いて行くことはできたのだけれども、肉体的に彼は盛りをすぎていた。時代や考え方が変化してしまい、彼の凝った、労を惜しまず丹誠をこめて作るやり方は時代おくれのものとなった。スピードが職人の技能よりも重要視されるようになってしまい、まさしく完璧を目指す芸術的仕事はほとんど尊重されなかった。より重要な仕事は、時間と材料を節約するためのいろいろな最新の巧妙なごまかしの手段を知っているこすいやからの若手にいつもまわされた。ほんの昨日まで徒弟であった若い職人が彼の仕事を指図する役を引き受けるようになった。このようにけずり落としをしたり仕上げをしたりするのに打ち込むのは彼の時代にはすべてとてもすばらしいことだったが、今ではそれを待ってくれたうえにお金を支払おうとする人なんか誰もいませんよと若い職人たちは彼に教えた。思いやりを気取った出しゃばり屋は自分たちの木づちやのみをハーンの作業台のところへもってきて、自分たち流の仕事のコツとやらを彼にやって見せることもよくあった。
しかしハーンはコツが大嫌いだった。彼は以前に教わったとおりにゆっくりと愛情をこめて、自分で描いた完全な理想像にできるだけ近づけるように努力をしながら仕事をする方が気に入っていた。さらに2、3年間、彼は与えられた仕事を着実に片づけ、以前よりも他から相談をもちかけられる回数が減ったり、尊敬されなくなったりはしたものの、自尊心は決して衰えることなく、「ハーンのもの」として20年以上も知られた作業台を彼は使い続けた。彼の生まれ故郷の村では彼は手によい職をもっており、すばらしい女房と楽しく快適な小さな家をもった男として愛され、尊敬された。彼に与えられたこのような神の恵みをなかにはうらやむ人もいた。なぜなら、近隣はかろうじて農業で暮らしを立てている貧しいところであったからだ。 彼の昔からの雇い王である会社の社長がなくなって、近代的な考え方と事業を拡張したいという決意をもった青年である社長の息子が社長に代わって会社の所有者となるということがなかったとしたら、このような状態が彼が職人としての生涯を自然のままに終えるまで続いたかもしれない。会社は組織を改められ最新の最も安上りの方法が制定され、新しい計画案には主要な石工としてのハーンの地位はなかった。彼は事務所に呼はれて、より若くて才気のある男が仕事場のハーンの作業台を使うことになったと告げられた。若い社長はハーンのような昔からの使用人を放り出す考えはまったくなく、仕事ができる限り老人の賃金での老人向きの仕事が彼のためにまだ作業場にあるだろうということをつけ加えようとした。しかし、社長がさらに話を進めょらとしたとき、ハーンは相手の言葉を鋭くさえぎった。「わしの仕事にどこか具合のわるいところでもあるというのですかい」と彼は詰問した。若い雇い主は口ごもった。彼はハ一ンの感情を傷つけたいとはまったく思っていなかったのだ。彼はいった。「それじゃ君が聞きたいというのならいわせてもらうと、君は少々凝り性がすぎるのだ。このごろのような競争のはげしい時代においては、君は自分のもらっている賃金を正当とするにはあまりに仕事に時間をかけすぎるよ」
「だけどわしの作品を見てみろ」とハーンは叫んだ。「ティズレイ教会のあの東窓の曲線模様の飾りや、ブラッドベリーのノルマン風のアーチにわしがはめこんだ新しい要石や、ビディングホールドでウーズ川に架けたあの橋を見てみろ。自分でいうのも変だが、すべて傑作といえるものばかりだ。ほかの仕事もだ。夕暮れの涼しいときにでも散歩をして両方の目でよく見てみればいい。いずれの方角でもどこへ行っても、わしの印のついた一見する価値のあるものがあるのがわかるだろう」このことを彼は訴えるというよりも一種の挑戦として述べた。彼はしゃべりながら両腕を伸ばした。それはまるで近くの人たちすべてに証人となってくれるよう呼びかけているようだった。
若い社長は難しい立場に立っていた。彼はいった。「そのことはすべてわかっているよ。君は腕のよい石工であったし、君の時代には第一級の職人であったことを否定しないよ。しかし、それは私の父や祖父の時代のことで、もうそういった時代は終わったのだ。世の中は動いているのだ。こういっては申し訳ないか、本当のところ君は自分の仕事を立派にやりすぎるよ。仕事に時間をかけすぎるのだ。このごろではそうすると割が合わないのだよ。会社は長年君のために損をしてきたのだ」
ハーンの美しい黒い目が燃え上がり、彼の長いやせた年とった姿は怒りにふるえた。「仕事に時間をかけすぎるだと!」彼は叫んだ。「時間のかけすぎ!よい仕事というのはいつもどうやってなされたとお前さんは思っているのか。急いでやるからかね。手を抜いてやるからかね。ここでの一打、そこでの一時を骨惜しみするからかね。ここらあたりの教会を見てみろ。長さではブロクサム。強固さではアダベリー。美しさにかけてはキングズサトンだ。これらの教会はきのこみたいに地面から生えてきたとでも思っているのかね。お前さんたちのようなこざかしい若僧の手でぞんざいに手早く仕上げられたとでも思っているのかね。いっておくが、お若えの、わしは自分のわざを、口にパンのかけらを入れるためのその場しのぎの手を使うのでなく、技から技を生み出すような連中から教わったのだ。自分のやり方を変えるつもりはねえし、誰に対してもわしの受けてきた教育を恥かしいとも思わねえ。さっさと仕事を終えるからわしの作業台にこざかしい若僧の一人をおいてやるがいい。会社ともこれで縁切りだからな。だけどお前さんたちと永久に縁切りになる前にこれだけはいっておきてえ。わしの手になる仕事はわしのために証人として立っているだろうってことよ。お前さんやお前さんの仲間たちが、悪魔がひでえ職人のために特に熱くしといた所で焼けてジュージューいっているときによ」
年老いたハーンは餓死することもなければ、貧民院に入ることもなかった。さらに数年間、屋根のタイルをつけかえたり、豚小屋を建てたり、暖炉を設けたり、壁を修復したり、煙突を掃除したり、その他わずかながらであっても彼の職業のうちに含まれるとみなされるありあわせの仕事をしてかろうじて生計を立てた。女房に先立たれて、それまで働いていた町の近くの村を立ち去り、生まれ故郷のレストハロウに戻ってきた。そこには自分が生まれた小さな家がまだあり、そこで賃仕事の石工としてのつつましやかな仕事を営んだのだった。煙突掃除の日には彼はすすで汚れた。しかし、その他のときには昔からの彼の仕事の作業衣、すなわち、ごしごし洗われて白あるいは白っぽくなったコール天のズボン、歩くために腰のまわりに上げて巻きつけた白い前かけ、山高帽、それに石やしっくいのほこりをかぶった何ともいいようのない上衣を着て彼はせっせと仕事をした。彼は人々がいうようにまさにくま手のようにやせてしまい、彼の美しい黒い目は狂信の炎がしのびこんでいたが、すっかり落ちくぼんでしまい額かがい骨のそれのように見えた。私が初めて彼を知ったころにはいろいろな点で彼の行動は特異になっていた。夜明けに収穫のために畑に向かう農夫たちは家からはるか離れたところで、目を血走らせ、ぼさぼさの髪をし露にすっかりぬれた彼によく会うことがあった。どこに行ってきたのかたずねられれば、どこかの教会とか建造物を守って一晩中外にいたのだとひそかにつぶやいたものだったが、しかし誰が彼にそれらを守るようにさせたのか、あるいそれらは何に対して守られなければならないのかは彼はどうしてもいおうとしなかった。他の点に関しては昔よりずっと自由に話をした。そして何回も「あいつが〜といった」、「わしが〜といった」といいながら、引き留めて長話のできる人なら誰にでも彼の前の雇い主との最後の会見の様子を話したものだった。教区に住むものは誰でもがその話を聞いたが、ほとんと同情する人はいなかった。なぜなら聞く人のたいていの人にとってハーンの話はかんしゃくを起こしていい仕事を放り出した人の一例にすぎないように思われたからである。それで、3回も4回も同じ話を聞かされないよう、遠くにハーンを見かけると彼らは会わないようにわき道にそれてしまうのだった。思いやりのある人たちは彼のことを「あわれな年寄りのトム=ハーン」と呼んだが、あまり思いやりのない人たちは「あの退屈な年寄りのバカ」と呼んだ。子どもたちは「トム!お前はのろま!のろまの死にそこない!年寄りのろま!年寄りのろま!」と後から叫んで彼をからかったものだった。 ( n )
内容:昭和60年代以降の広告には、「モノ離れ」現象がおきたと言われている。しかし、広告の役割は依然として、新しい生き方と一体化した商品=モノへの欲求喚起である。