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級:★   山:nnzu   年:★   月:10   週:2  苗:nnzu
氏名:
題名:
本文:



題名:回収された牛乳パック(感)

感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。

課題の長文
【1】 (回収された牛乳パックからトイレットペーパーが作られるさまざまな工程を説明して)このような苦労の末に牛乳パックからつくられたトイレットペーパーが、最近では売れなくなってきたという問題が起こっています。【2】実際、M製紙でも、未使用の牛乳パックが山積みになっていました。なぜ売れないかというと木からつくった「ヴァージンパルプ」を使ったトイレットペーパーのほうが値段が安いからです。(中略)【3】市民団体のみなさんは、「せっかく回収した牛乳パックが使われないのでは困る。なんとかたくさん使ってもらわないと」と言って、市役所や小学校のトイレットペーパーを牛乳パックからつくったものに替え(か )て下さいとお願いする運動をしています。【4】パック入りの牛乳をどんどん買って、どんどん回収して、それからつくったトイレットペーパーをどんどん使おうという運動をしているのです。
 【5】ここでもう一度、質問したいと思います。「なぜ牛乳パックをリサイクルするのですか?」
 牛乳パックをリサイクルさせることは、「ゴミを減らすため」にはなっているのですが、「環境(かんきょう)を守るため」にはなっていません。【6】パック入りの牛乳をどんどん買ってどうするのでしょうか。アメリカやカナダの動物や自然のことは何も考えていないのでしょうか。(中略)
 【7】「環境(かんきょう)を守るため」にと牛乳パックからはがきを作っている市民団体があります。(中略)
 この市民団体は、このはがきをつくるためにミキサーを10台以上こわしてしまったそうです。それに、ドライヤーを数十分使う電気量はどうでしょうか。【8】電気の多くは火力発電所でつくられます。火力発電のエネルギーは石油です。石油を燃やして排ガス(はい  )を出して電気をつくっているのです。これもりっぱな大気汚染(おせん)です。ミキサーを使うための電気も同じです。(中略)
 【9】牛乳パックのリサイクルはすばらしいことです。ただ、ここで僕(ぼく)が言いたいのは、地球にやさしくするために、自分にやさしくするために、そして友達や家族みんなにやさしくするために、さらにもう一歩進んでみようということなのです。【0】
 
 (伊藤吉徳()「間違い(まちが )だらけのリサイクル」)

項目表

項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。 項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森 
項目表 ズミ の苗 高3年 10~12月
目標:自然科学や時事問題のテーマを書く書き方を身につける
 ★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
第 1 段落項目キーワード説明
構成 ○ 題名の工夫題名の工夫 <<構成>>「○○な○○」「○○の○○」のように工夫
構成 ○ 四段落構成 大きく四つぐらいの部分に分けて書く
構成 ◎ 書き出しの工夫書き出しの工夫 <<構成>>会話・色・音・情景で書き出す
主題 【】★ 予測問題の主題問題 予想 予測 <<主題>>将来Aが問題になる
             ↓
第 2 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の対策一対策 <<構成>>対策としては
題材 ◎ 体験実例体験 私 わたし 僕 ぼく <<題材>>自分らしい体験実例を書く
表現 ○ たとえまるで みたい よう <<表現>>まるで…のよう
主題 ○ 途中の感想 途中で主題に関連した感想を書く
             ↓
第 3 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の対策二対策 <<構成>>対策としては
題材 【】★ 読書実例・長文実例読書 時事 長文 <<題材>>著したように、著書「○○」で
表現 ◎ ユーモア表現笑 爆 ユーモア <<表現>>ユーモアのある表現(笑)
表現 【】★ ことわざの加工ことわざ <<表現>>ことわざや名言や流行語を加工する
             ↓
第 4 段落項目キーワード説明
主題 【】★ 反対意見への理解確かに <<主題>>確かにBもよいが、しかしAが
表現 【】★ 自作名言ではなく でなく 自作名言 <<表現>>「○○とはAではなくBである。」という形の文
主題 【】★ 予測問題の主題問題 予想 予測 <<主題>>将来Aが問題になる
構成 【】★ 書き出しの結び書き出しの結び <<構成>>書き出しのキーワードを使って結ぶ

字数 ★ 1000字以上
表記 ○ 決めてくる、読みかえす書くことを決めてくる、書いたあと読み返す
表記 ★ 制限時間75分書き始めから書き終わりまで75分で
表記 ○ 構成メモ作文を書く前に構成メモを書く
表記 ○ 漢字を使う、ていねいに書く習った漢字を使いていねいに書く
表記 ○ 段落三文段落の目安は三文ぐらい
表記 ○ 一文一点読点は1文に1〜2点を目安に
表記 ○ 常体で書くした・だった・であるなどで書く練習
表記 ○ 誤字一ヶ所以内一つの作品に誤字は一つまで


課題のヒント

input-buffer overflow. The line is split. use -b #SIZE option. テレビは世界がこれまで知った中で最高に強力な言語を変化させる作用をするものである。この機能において、テレビは、発明されて数年のうちに読み書きの能力と世にあまねく行きわたっている義務教育をすでに凌駕してしまった。
 これははなはだしい誇張(こちょう)に思われるかもしれない。しかし、読み書きの能力や世にあまねく行きわたっている義務教育は文字言語に主として関係があるのであり、この文字言語というものは読み書きの広く行きわたっている今日においてさえ、我々の全意思伝達の10%以下の手段になっているにすぎないということを考えなさい。テレビは音声言語に主としてかかわっており、音声言語は意思伝達の主な手段であり、全意思伝達のほぼ10%が音声言語を伝達の手段として用いるほどである。声音言語を用いた意思伝達に対比して、文字言語による意思伝達の内容の相対的重要性について無理に理屈(りくつ)をつけて言い張ることができる。真に重要であり、したがって、永遠の記録として具現化される意思伝達の種類は主として書かれるものだ。ラテン語の諺が2000年前に述べているように、「談話は飛び去る。しかし書かれた伝言は存続する」。身分の高い人であれ、低い人であれ、あらゆる種類の人の間で行われる話し言葉によるやりとりの少なくとも50%には、基本的に重要なものは何もない、ということを主張として無理なく提起することさえできる。しかし、同じように説得力のある反論がある。今日、永遠の記録は、保存され、自由に反復され、テレビのように生の映像と組み合わされさえするために、レコードやテープに刻みこまれることができる。このことは、もはや談話は「飛び去る」ことがないことを意味している。つまり、談話はその話し手と話し手が述べた内容の永続する記録として存続するために、談話の話し手の映像と混合されうるのである。
 しかし、このことは枝葉末節の問題にすぎない。(専門の言語学者はすでにそのことについては数十年間知っていたことだが、)個人の記録された声は、もし分光写真で見えるように写し出されれば、その人の指紋(しもん)と同じようにはっきりしており、積極的に特定できる確実な手段となるものであるという専門外の世界の他の最近の発見と同じように。我々にとって重要である点は、テレビとその特色のいくつかを共有する他の2つの最近の発明物であるラジオと映画と並んで、テレビによって今日もたらされる手段ほど強力で、迅速(じんそく)に作用する言語を変化させる手段は現代に先立つ歴史上どの時代にも存在しなかったということである。
 あらゆる国の若い世代は、映画俳優、ラジオのアナウンサー、そしてとりわけテレビのニュースキャスター、ニュース放送の総合司会者、広告者、特別番組の役者たちによって分与(ぶんよ)される標準国語の絶え間のない、容赦(ようしゃ)のない砲撃(ほうげき)にさらされているので、彼ら(かれら)の両親たちの言葉のすべての方言的特色をなくし、彼ら(かれら)の目には最高の権威(けんい)をもっていると映る人々によって話される彼ら(かれら)が好きな番組で耳にする標準語を採用する方向に向かっているのである。
 例をあげてみよう。イタリアは数も多く、しかも永続性のある方言の国である。イタリア人の話し手が最高に教育され、文法と語いを完全に使いこなす力をもって話す所でも、その話し手の出身地方の口調がはっきり現れ、彼(かれ)がどの地方の出身であるかを確実に示すものとして作用することがたいていあるのである。私は1908年、7歳(さい)のときに故国イタリアを後にした。1921年、20歳(さい)のときに初めてもどり、ジェノバに上陸したとき、ジェノバの学生に、「あなたはローマ人ではありませんか」と言われてちょっとびっくりしたものである。私の生まれつきの口調が私がどの地方の出身であるかを暴露(ばくろ)したのである。
 しかしそれはテレビが出現する前の時代であった。1959年、ナポリの友人とナポリのバスに乗っていたとき、一団の若者たちがそのバスで正しい、なまりのない標準イタリア話を話すのを聞いて驚い(おどろい)た。彼ら(かれら)の話す標準イタリア語からは地方のイントネーションを特徴(とくちょう)づけるものはすべて消えていた。私は友人に彼ら(かれら)は中央イタリアからの旅行者ではあるまいかと尋ね(たずね)た。
 「全然違い(ちがい)ますよ」と友人は答えた。「この地方の少年少女ですよ」
 「しかし、あのナポリなまりはどうなってしまったんだ。どんなに教育を受けても、ナポリ人なら絶対になくならないと思われていたのに」
 「そうかね」というのが返事だった。「家につくまで待ちなさいよ。そうすればわかるでしょう」
 友人のアパートについたとき、私は友人の8歳(さい)、10歳(さい)、12歳(さい)の3人の子供と知り合いになった。お父さんとお母さんは、それまでいつもそうであったように、彼ら(かれら)自身の教養あるナポリ方言で話し続けているのに、3人の子供たちはみな私がバスで耳にしたのと同じなまりのない標準イタリア語で話した。
 私の友人は言った。「これはイタリア全国士で起こっていることです。若者たちはもはや自分たちの両親や親せきの人から言葉を取り入れません。学校からは一部取り入れますが。我々の時代にも学校はありましたがね。本当に差を生じしめているのは映画とラジオ、それにとりわけテレビなのです。それらは若者たちの目に権威(けんい)をもって映る話し手であり、若者たちは意識的にせよ、無意識的にせよ、模倣(もほう)するのです。もしこうした事態がさらに50年間も続けば、イタリアには方言の痕跡(こんせき)もなくなるでしょう。全イタリア人が同じ、平板な、単調な、特徴(とくちょう)のない国語を話しているでしょう。それは幸いであるかもしれないし、災いであるかもしれません。地方的特色はなくなるが、すべての人が他のすべての人の言っていることがわかるでしょう。それは我々の世代について言える以上のものでしょう」
 この意外な新事実を知る以前においてさえ、英語が話されている世界における同様な現象のことを意識していた。私は英国英語が話される初期の映画について、話されたことのいかに多くがアメリカ人の耳に分かりにくいかに気づいていた。それから我々は英国なまりに慣れたのであった。ちょうどイギリス人が疑いなく米国なまりに慣れたのと同じように。しかし、それはみなただ単なる受動的な受容であったと少しも思ってはならない。両国の発音が感知できないうちに積極的に混ざり合ったこともあるのである。イギリス人の話し方がより米国的になるのと同じように我々の話し方がより英国的になるのである。もし今から1世紀かそこいら後のある日、英語の2つの主流が、それはジェームズタウンとプリマス湾(わん)の植民地の創設とともに分かれ始めたのであったが、再び1つの強力な流れに収束することがあれば、その効力と栄光は映画、ラジオ、特にテレビのものとなるであろう。
 国際間で起こっていることは国内でも起こっている。もし君が、ハリウッドとテレビスタジオに基づく、未来の標準米語を聞きたいと思うなら、カリフォルニアに行き、カリフォルニア生まれの若い世代の話し方に耳を傾け(かたむけ)なさい(もちろん、他の州からカリフォルニアに移住してきた人の話し方ではいけない。彼ら(かれら)は生涯(しょうがい)を終わるまで自分の地方のなまりを身につけているのだ)。1960年の大統領選挙戦で、ニクソンが驚き(おどろき)、軽蔑(けいべつ)、疑念などの表情を全然させなかったのに、ケネディのアメリカ東部なまりの話し方が何とくせのある発音として目立ったかを覚えているか。ニクソンは地方なまりを全く失った米語、未来の標準米語を話したのである。2、3年前、ミスアーカンソーがミスアメリカになった。映画、ラジオ、テレビと1、2の東部の大学という規定食で育てられたので、彼女(かのじょ)は南部の影響(えいきょう)の全く感じられない標準米語でテレビの視聴(しちょう)者に話しかけたのである。その後お父さんとお母さんが少し話すように求められた。二人が話したとき、素晴らしいアーカンソー方言が二人の口からしたたり落ちた。確かなことが1つある。ミスアーカンソーの未来の子供たちは、近代的状況(じょうきょう)で育てられれば、彼ら(かれら)の祖父母の南部の口調ではなく、彼ら(かれら)の母親の標準米語を使うだろうということである。
 以上の前兆から、個人の使う米語がどうなるかははっきりしている。米語は近代の伝達手段によって標準化され、統一化されつつあり、そうされていくであろうということである。地方方言のすべての名残りが最後には取り除かれるかどうかを予言することは困難である。しかし、もっともっと目立たない位置に追いやられるであろうことは確実だ。オザークス地方の話し方を記録にとるために、アパラチア山脈の奥地(おくち)に本当に探険隊を派遣(はけん)する必要が出てくる時代がやってくるであろう。また、前世紀末にべグリア方言の最後の話し手が、記録する目的で言語学者によってアドリア海で探し求められたのと同じように、ブルックリン地区の方言を話す最後の生存者がグリーンポイントやフラットブッシュの荒野(あらの)で探し求められる時代がやってくるであろう。 ( n )
 回収された牛乳パックから作られるトイレットペーパーが売れなくなっている。木から作ったパルプを使ったほうが値段が安いからだ。リサイクルはすばらしいことだが、もう一歩進んで考える必要がある。

 善意の意図から行われるちぐはぐな結果というのは、リサイクル以外にもいろいろとありそうです。早期教育なども、子供のためにと思ってしたことがかえって子供にとってマイナスになるという場合があります。「巨人(きょじん)の星」に出てくる大リーガー養成ギブスなども、本当に子供にあんなことをしたら、骨折しちゃうだろうしね。

 最近問題が次々と出ている原子力発電所も、エネルギー問題を解決するよりも、かえって高コストについてしまうことがあるようです。

 シカを保護するために、シカの天敵であるオオカミを退治しすぎた結果、シカも絶滅(ぜつめつ)しそうになったという話は、どこかで聞いたことがあるでしょう。

 いいことをしようという動機は大切ですが、その方法を科学的に考えないとかえって動機に反することをしてしまうということです。しかし、人間の限られた知恵(ちえ)であらかじめすべてを見通すことは不可能です。むしろ大事なことは、試行錯誤(しこうさくご)の結果、間違い(まちがい)に気づいたらすぐに軌道(きどう)修正できるという柔軟(じゅうなん)性なのかもしれません。

  ( n )
 テーマは、一言で言えば、「善意の勘違い」というところか。
 第一段落で要約。続けて問題提起。「現代の情報社会では、牛乳パックに限らず、似たような善意の勘違いがもっと大きな問題として起こることが予想される」。
 第二段落で対策1。「第一の対策としては、情報の受け手が判断力を育てていくことである」。その実例。「先日北海道西友で、外国産食肉を国産と偽って販売しその代金をレシートなしで返金する事件があったが、判断力のない人が付和雷同的に友人に善意で……」。
 第三段落で対策2。「第二の対策としては、誤った情報だとわかったときに速やかに軌道修正できる仕組みを作っていくことである」。社会実例(読書実例←できるだけ有名な本で)。「福沢諭吉の著書『福翁自伝」によると、横浜に行って、外国語の主流はオランダ語ではなく英語だと知った諭吉は、即座にオランダ語を捨てて英語の勉強を開始した。このような軌道修正を……」。
 第四段落で反対理解と最初の意見。「確かに、よいことをしようという心がまえは大事である。しかし、その心構えが正しい結果として結びつくかどうかを判断することもそれ以上に大事である」。ことわざの加工。「善意の行動が、小さな親切大きな迷惑となってはならないのである(ちょっと変か^^ ( n )