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題名:われわれが日常(感)
感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。
課題の長文
【1】われわれが日常しばしば経験する事実として、次のようなものがある。われわれが本を貸した場合に、借りた人が用ずみの後直ちに自発的に返してこないことが少なくない。それは、どのような意識によって裏づけられているのであろうか。【2】その意識は、次の事実から推測され得るように思われる。すなわち、そのような場合に貸した人が本の返還を要求するしかたが、はなはだ特色的である。【3】私は何回か外人から本を借りたことがあるが、返還がおくれると、貸した人(外人)は、きわめて「事務的」に、「先日あなたに貸した何々の本は、もし用ずみなら返してもらいたい」と言ってくる。【4】われわれ日本人――少なくとも、私の知っている範囲の、私と同じくらいの年齢の人々――は、こういうふうに言うことに抵抗を感じ、若干悪びれて口実をもうけ言いわけをして(たとえば、「僕の友達であの本を見たいという者があるのだが。……」というふうに)でないと、返してもらいたいとは言えない。【5】あたかも貸主のこのような行動のしかたに対応するかのごとく、借主は、用ずみの後に直ちに返さないことについて何ら罪の意識をもたないのが普通であり、むしろ、返還の要求があるまで返さないでもっているのが当たりまえででもあるかのごとくであり、むしろ、返還の要求をうけても、悪びれることもなく、また言いわけをすることもないのが普通のようである。【6】私自身、本を貸してそのまま返してもらえないままになっている例は決して少なくない。極端な例としては、こんな経験がある。私は学生から或る本を貸してくれとたのまれ、快く貸したところ、二年ばかりたっても返してくれないので催促した。【7】彼はその本の各所にペンや鉛筆ですじをひいたままで、何の悪びれるところもなく返してきたのである。【8】……私の所有物である本を他人に貸したときは、私の現実支配の事実が終ったことによって、その本に対する私の所有権は弱いものになり、これに対応してその反面で、借主があらたにはじめた現実支配の事実は、私の所有権から独立した一種の正当性をもちはじめ、だんだん所有権に近いものになってくるように思われるのである。
【9】このような例は無数につづくが、最近までも減ることなく新聞をにぎわしている問題としていわゆる役得という現象がある。役得というのは、或る地位についていることによって得られる利益で、∵しかも公式には承認されていないもの、を指すことばである。【0】役得には種々のものがあるが、ここでの問題に関係があるものとしては、他人の財産の管理にあたる者が、その管理財産で私的に飲食ないし宴会をしたり旅行に行ったりする場合をあげることができる。もちろん、その管理者がその地位にもとづく職務として他人を接待する必要があって、管理財産で飲食ないし宴会をしたり温泉に行ったりすることは、正当である。しかし、その範囲をこえて私的な目的でそのような行為をすることは、民事上は他人の財産に対する侵害であり、刑事上は「他人ノ為メ其事務ヲ処理スル者自己若クハ第三者ノ利益ヲ図り又ハ本人二損害ヲ加フル目的ヲ以テ其任務二背キタル行為ヲ為シ本人ニ財産上ノ損害ヲ加エタルトキ」(刑法二四七条)というのに該当して背任罪となるのである。会社の重役が会社の費用で、自分の私宅を建築或いは修理したり、私宅用の美術品を買入れたり……して、会社の財産状態を悪化させ、取引先ないし債権者ひいては経済界一般に大きな迷惑をかけた話が、最近の新聞の紙面をにぎわせたが、会社財産の実質上の所有者である株主に迷惑をかけたという最も重要なことが、新聞では必ずしも大きく取りあげられていないように思われる。(中略)いちばん面白いのは、第二次大戦中、「公物と思う心が既に敵」という標語が郵便局の壁にはってあった、という事実である。民法の所有権の考え方を前提するなら、「公物」――国民個人の所有物でなくて「公け」すなわち政府や府県市町村の所有物――と思うことは、それを国民個人の私的利益のために使ってはならない(他人の所有権を侵害してはならない)ということを意味するはずであるのに、この標語は逆に、公物と思うだけで「既に敵」だと言うのである。言うまでもなくその理由は、「公物」だと思うとむだに使う、という傾向があるからで、「むだ使いは敵だ」という戦争中の標語を特に「他人の所有物」たる公物について言ったまでのことである。
(川島武宜「日本人の法意識」より)
項目表
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項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森
項目表 ズミ の苗 高3年 10~12月
目標:自然科学や時事問題のテーマを書く書き方を身につける
★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
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課題のヒント
input-buffer overflow. The line is split. use -b #SIZE option. ジークムント=フロイトはウィーンの女性たちのノイローゼを治そうとし、コンラット=ロレンツは鳥の研究で名声を博したが、この二人の男は、今日、人々の意識の中に入りこんでいるある信念をともにもっていた。その信念とは、人間は生まれつき自然発生的に攻撃的エネルギーの貯水池をその内部にもっているというものである。この力は自然に蓄積していってしまうので、爆発して暴力へ走らないようにするには、闘争的なスポーツに参加するなどして、定期的に発散させなけれはいけないのである。
これはイメージを描きやすいので、魅力的なモデルである。それはまた誤ったものでもある。ある動物行動学者が書いているように、「現在入手しうるデータすべてによると、人間を含む高等哺乳動物の戦闘的行動は外部からの刺激から起こるのであって、自然発生的な内的刺激であるという証拠は何もないのである」。明らかに、多くの人々、そして実際多くの文化は、攻撃的な行動なしでも何とかうまくやっており、この「水力学的な」モデルが予言するように、抑えようもなく圧力が高まるということが起こる証拠はない。
1986年に、著名な行動科学者たちの一団がスペインのセヴィリアに集まって、人間の攻撃の原因について討議を行い、水力学的なモデルは不正確なばかりでなく、もっと一般的に言って、人間が本来攻撃的で好戦的であるという信念を裏づける科学的根拠はないと結論を出した。しかし、その信念は今でも容易に揺らぎなどはしていない。ときどき耳にする議論には次のようなものがある。動物は攻撃的であり、われわれ人間は進化の上での祖先の遺産から逃れられない。人間の歴史は戦争と残虐行為の物語に支配されている。そして脳のある部分や、特別なホルモンが攻撃と結びついていて、攻撃的行動は生物学的な根拠に基づくことを証明している。
動物についてまず言わねばならないのは、われわれ人間の行動を説明するのに、動物から教訓を引き出すときには用心しなくてはいけないということである。なぜなら、人間には和平を成立させる文化の力と、反省する能力があるからである。「人間が他の動物と親戚関係にあるからといって、たとえ動物の行動がしばしは本能の影響を受けているようにみえても、このことが必然的に人間にもあてはまるということにはならない」とある人類学者は言う。彼は次のような大家の言葉を引用する。「こうもりに翼があるからといって人間も空を飛べると考えるのが道理にあわないように、魚やビーバーがなわばり争いをするからといって、人間も戦争をするのだと信じることは道理にあわない」
動物はある人々が考えるほど攻撃的ですらない――もし「攻撃」という言葉が、食べるために殺すことを含むまで拡張されなければの話だが。組織的な集団攻撃は人間以外の種にはまれであり、実際に存在する攻撃は、典型的なものは、動物をとりまく環境の作用である。科学者は、動物の環境や育て方を変えると、ほとんどどの動物にもみられる攻撃の度合いは強い影響を受けうることを発見した。さらに、動物は同種の内部においても異種間でも、われわれの多くが自然のドキュメンタリーを見て考えるよりもはるかに協力し合っているのである。
人間の歴史に目をやると、驚くほど多くの攻撃的行動があるが、問題は先天的なものだと信じる理由はない。ここに生物学的決定論の批判者による論点がいくつかある。
たとえある行動が広くみられるとしても、必然的にそれが人間の生物学的な本性の一部分であると結論することはできない。今までに知られているすべての文化は陶器を生産しているが、だからといって陶器作りの遺伝子があるということにはならない。かつては当然だと思われていたが、今日ではなかなかみつけることもできない他の制度もある。1、2世紀後には「人々は、今日われわれが奴隷制の慣習を振り返るのとほとんど同じように、戦争を振り返ってみるようになるのかもしれない」とある社会学者は言っている。
ともかく、攻撃はどこにでも広くみられるなどというものではない。前述の人類学者は1冊の本を編集し、平和な文化の記事を特集している。なるほど、これらの平和な文化とは狩猟採集社会ではあるが、どんな人間であっても暴力なしで生活する人がいるという事実は、人間が生まれつき攻撃的であるという非難を論破するであろう。実際、もし戦争癖が本当に人間の本性の一部であれは、「より自然に近い」文化は最も好戦的だということになるだろう。事実は全く逆のようだ。エーリッヒ=フロムは次のように書いている。「最も原始的な人々は最も好戦的でない。そして好戦性は文明化するのに比例して強まっていく。もし破壊的性質が人間のもって生まれたものだとしたら、その傾向は逆でなくてはならないだろう」
平和を愛する文化と同じくらいわれわれの心を打つのは、戦争をやめて平和を愛するようになった文化なのである。200〜300年でスウェーデンは猛烈に好戦的な社会から、工業国の中でも最も好戦的でない国の一つに変わった。この変化は戦争そのものの存在と同様、生物学に説明を求めるよりも、社会的・政治的要因によって説明するほうがより妥当であろう。
戦争は今まで何度も戦われてきたことは論をまたないが、戦争が人間の歴史を支配しているようにみえるという事実は、実際に何が起こったかよりも、歴史がどのように表されるかについて、多くのことを物語っているようにみえる。「われわれは暴力的な出来事によって歴史を書いたり教えたりしており、戦争で時代を画している」とある心理学者は言う。「戦争がないときは『戦争と戦争の間の時期』と呼ばれる。それは記録が選択的に行われているという問題である」
いくつかのホルモンの存在、あるいは脳のある部分の刺激は実験に基づいて攻撃と結びつけられてきた。しかしある生理心理学者は、このメカニズムを幾分詳しく述べたあとで、攻撃的行動は常に外からの刺激と結びついていることを強調している。「すなわち、ある種の攻撃に特有な神経系が活発になっても、適当な攻撃の対象がなければ行動は起こらない。攻撃の対象がある場合でさえも、攻撃行動は抑えることができる」と彼は言う。
環境の役割はとても重要なので、「もって生まれた」攻撃的な傾向ということを論ずることは、人間にとってはもちろん、動物にとってもほとんど意味がない。それはまるで、酸素なしでは火事は起こりえないのであり、また地球は酸素におおわれているからという理由で建物が焼失するのは地球の本性だと主張するようなものである。
以上述べたことはすべて、人間の攻撃性一般の問題に関わっている。とりわけ戦争が生物学的に決定されるという考えは、さらに一層こじつけである。「ある国が別の国を攻撃するのは、その国の人々が相手の国の人々に対して敵意を感じるから起こるのではない」とある生物学者は説明する。「もしそうだとすれば、宣伝運動や徴兵は必要ないだろう。攻撃的な人々はすべて直ちに参加するであろう。国家の『攻撃』は政策の問題であって、感情の問題ではないのである」
要点となるものは200年以上前にジャン=ジャック=ルソーによって的確に書かれている。「戦争は人と人の関係ではなくて、国家間の関係であり、個々の人々はたまたま敵となるだけなのである」国家が人々を戦わせるために「奮い立た」せなければならないということは、人間の本性と、戦争の事実との間に関係があることを証明するのを一層難しくする。核兵器競争について言うと、この関係はさらに希薄である。1985年にノーベル平和賞を受けた核戦争防止国際医師会の共同議長の一人バーナード=ラウンは次のように言っている。「個人の行動は、たとえその人が攻撃的であれ、寛大であれ、受動的であれ、ジェノサイドに対する自分の見解を形成する要因とはならない。攻撃的な人でさえもすすんで人類の絶滅を容認するようなことはないだろう」 ( n )
内容:本を貸すとなかなか返ってこないことがある。現実にその本を持っていることが、本当の所有権とに近いものになってしまうのである。役得という現象も、公けのものを私的な利益に用いるという点で似ている。しかし新聞などでは、所有権の侵害という最も重要なことがあまり取り上げられていない。
解説:日本ではまだ役得やコネという不透明なものが社会のあちこちに残っています。最近起きた警察の不祥事も同じ文脈で考えることができそうです。国民に委託されている警察の権限を、自分の身内には甘く適用したということです。外からの批判が届かない組織は、いくら内部浄化と言ってもやはり浄化しきれないところが残るのでしょう。警察に限らず、日本の会社や組織は風通しの悪いところが少なくありません。風通しの悪さと役得の多さは比例すると言えるかもしれません。
日本の社会の問題として考え、その原因と対策を論じていきましょう。 ( n )
日本に根強い役得文化は、ある意味では近代化の後れと考えられます。途上国では、警察官による賄賂の要求などが日常茶飯事であると聞くことがありますが、この場合は、公私の区別という近代的観念が育っていないためでしょう。しかし、日本の役得文化の背後にあるものは、人間関係で物事が運営される日本独自のシステムと考えられないこともありません。n 社会問題として、この長文のまま「役得文化が問題だ」と書いてもいいですし、将来の予測問題として、「ドライな人間関係が逆に日本の社会をぎすぎすしたものにするのが問題だ」と書いてもいいでしょう。例えば、「すまん。今日は見逃してくれ」「なんだ。○○か。しょうがないなあ。今日だけだぞ」「サンキュー。今度おごるからな」などという会話は、みなさんもよくしているでしょう。しかし、「テストの点数を10点上げておくぞ」「ありがとうございます。今度お礼を持ってきます」となると、贈収賄です。n 第一段落は要約と予測問題。「確かに役得文化は問題だ。しかし、人間関係中心に動いている日本のシステムがなくなることにも問題がある。」n 第二段落は、対策と体験実例。「第一の対策としては、役得の範囲を公開することだ。例えば、コネによる入学は不正だが、『定員の何パーセントまでは次のような基準でコネによる入学を認める』となれば、世間は納得するだろう。」n 第三段落は、対策と読書実例。「第二に、役得が固定化しないような人材の流動化が対策として考えられる。勝海舟はその著書「氷川清話」の中で、アメリカに行って驚いたことの一つに、建国の父であるワシントンの子孫がどうなっているかアメリカ人のだれもが関心を持っていなかったことを挙げている。人材の流動化が当時からそれほど進んでいたのである。」n 第四段落は、反対理解と自作名言。「確かに、不明朗な役得文化は腐敗の温床となる。しかし、その文化の根本にある人間関係中心のシステムのよさはまた別に評価するべきではないだろうか。役得とは……ではなく……である。」n ( n )

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