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級:★   山:wa   年:★   月:04   週:2  苗:wa
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題名:ふつう死は、心臓が(感)

感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。

課題の長文
 【1】ふつう死は、心臓が停止して血流がとだえ、それに続く全身の生命活動の停止として起こる。ところが脳が先に機能停止におちいることがある。この場合、中枢(ちゅうすう)神経をまとめる脳の死によって全身もやがて死ぬことになるが、人工呼吸器の力でしばらくの間は(そして現在ではかなり長期にわたって)脳死状態の身体を「生かして」おくことができる。【2】つまり死を抑止(よくし)するテクノロジーの介入(かいにゅう)によって、生を手放しながらなお死を中断された、ある種の中間的身体が作り出されるのである。
 【3】脳死が心臓死と決定的に違う(ちが )のは、死が全身に及ぶ(およ )プロセスやそのタイムラグのためでなく、このきわめて現代的な上に述べた「中間的身体」を生み出すからである。脳の機能を失ったこの身体は、もはや人格としての発現をいっさい欠いて、いわば誰(だれ)でもない身体として横たわっている。(中略)
 【4】脳死をめぐる現在の論議の中で問われているのは、実は脳死と心臓死といずれが厳密な意味で「人の死」かということではない。それは向こうから訪れる死を「みなしの死」と置き換える(お か  )ということなのだ。
 【5】移植治療(ちりょう)にとっては、訪れる死を確認していたのでは遅い(おそ )のだ。そこで脳死を人の死とみなし、その段階で身体を人格性の拘束(こうそく)から解放することにする。それでなければせっかく死を抑止(よくし)しても、いずれ死にすべてを引き渡す(ひ わた )ことになってしまう。【6】だが、この「みなしの死」(「みなし法人」というときのように)によって、「誰(だれ)でもない身体」はもはや「人ではない身体」となり、脳死身体の「資材」化への道が開けることになる。言ってみればそれは、役立たない自明の死を、人間の利益にそくして人間が規定する「役立つ死」へと転化することである。
 【7】人間は、これまでありのままの世界を否定し、それを人間にとっての世界へと転化して、自己の可能性の領域を拡張してきた。その人間にとっても、死だけは最近まで、無意味な喪失(そうしつ)であり続けてきた。【8】だがテクノロジーは死を壁際(かべぎわ)まで追いつめ、ついにその領分から生に回収しうる部分を取り戻す(と もど )にいたった。この「みなしの死」によって、今や死は新しい「資材」を分泌(ぶんぴつ)する生産的な死、人∵間自身の規定する「人間的な死」となった……文明の武勲(ぶくん)詩はこの死の征服(せいふく)をそんなふうに語るのかもしれない。
 【9】だが、この論理は事態の「不気味さ」に目をつむっている。医療(いりょう)のテクノロジーがもたらしたのは、「人ではない身体」とか、人体の「資材」化とかいう、人間のまったく「非人間的」な可能性なのだ。核兵器(かくへいき)や遺伝子工学が象徴(しょうちょう)するように、現代のテクノロジーはもはや人間の道具におさまる範囲(はんい)を超え(こ )て進んでいる。【0】そこでは人間に「役立つ」はずのことが、人間を「非人間化」するようにさえ働くことになる。人間はテクノロジーの主人ではなく、テクノロジーが変えてゆく世界の中で、いつのまにか自分もいっしょに変えられているのだ。だから、人間はこの「不気味」な状況(じょうきょう)を欺瞞(ぎまん)なしに受けとめ、そこに身を開きながらありうべき関係を探ってゆくほかはない。それが「非人間化」する世界の中で、唯一(ゆいいつ)保ちうる「人間的」態度だと言えるだろう。
 あの身体には、もはやそれを「私だ」と主張する人はいない。では、それは「人」ではないのか? ここで本当に問われているのはそのことである。実はその種の問いを人間はすでに発したことがある。世界戦争に象徴(しょうちょう)される今世紀の人間の、栄光と同じように悲惨(ひさん)だった体験は、征服(せいふく)のテクノロジーの中で非人格化した身体的存在を、「それでも人だ」と言うことから出発する実存の思想を鍛え(きた )てきた。それがこの問題に大きな示唆(しさ)を与え(あた )ている。
 移植治療(ちりょう)によって人が生きられるのは、人間が身体的存在だからである。それに、移植される臓器は「生きて」いなければ役に立たない。その「生きている」身体から、それでも臓器の摘出(てきしゅつ)が許されるのは、なかば死に委ねられたこの臓器も、他者の身体に引き取られてしか生きえないからである。つまり死ぬべき臓器は他者において復活するのだ。一方それを引き受けた他者も、委ねられた臓器をけっして自分のものとして同化するわけではない。その人の身体は免疫(めんえき)抑制(よくせい)剤(ざい)によって自己の固有性を弱めながら、他者の臓器を受け入れているのだ。そのようなリレーのうちに身体的生命はそれ自身の論理を貫い(つらぬ )ており、部分身体の受容と復活をとおして、不老長寿(ちょうじゅ)とは別の「不死性」のきらめきさえのぞかせている。

項目表

項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。 項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森 
項目表 ワタスゲ の苗 高1年 4~6月
目標:人文科学のテーマを書く書き方を身につける
 ★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
第 1 段落項目キーワード説明
構成 ○ 題名の工夫題名の工夫 <<構成>>「○○な○○」「○○の○○」のように工夫
構成 ○ 四段落構成 大きく四つぐらいの部分に分けて書く
構成 【】★ 書き出しの工夫書き出しの工夫 <<構成>>会話・色・音・情景で書き出す
主題 【】★ 当為の主題べき 当為 <<主題>>私はAべきだと思う
             ↓
第 2 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の方法一方法 <<構成>>…の方法としては第一に
題材 【】★ 体験実例体験 私 わたし 僕 ぼく <<題材>>自分らしい体験実例を書く
表現 ○ たとえまるで みたい よう <<表現>>まるで…のよう
主題 ○ 途中の感想 途中で主題に関連した感想を書く
             ↓
第 3 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の方法二方法 <<構成>>…の方法としては第二に
題材 ◎ 歴史実例・長文実例歴史 長文 <<題材>>歴史の実例・長文集の実例
表現 【】★ ユーモア表現笑 爆 ユーモア <<表現>>ユーモアのある表現(笑)
表現 ◎ ことわざの加工ことわざ <<表現>>ことわざや名言や流行語を加工する
             ↓
第 4 段落項目キーワード説明
主題 【】★ 反対意見への理解確かに <<主題>>確かにBもよいが、しかしAが
表現 【】★ 自作名言ではなく でなく 自作名言 <<表現>>「○○とはAではなくBである。」という形の文
主題 【】★ 当為の主題べき 当為 <<主題>>私はAべきだと思う
構成 ◎ 書き出しの結び書き出しの結び <<構成>>書き出しのキーワードを使って結ぶ

字数 ★ 600字以上
表記 ○ 決めてくる、読みかえす書くことを決めてくる、書いたあと読み返す
表記 ★ 制限時間75分書き始めから書き終わりまで75分で
表記 ○ 構成メモ作文を書く前に構成メモを書く
表記 ○ 漢字を使う、ていねいに書く習った漢字を使いていねいに書く
表記 ○ 段落三文段落の目安は三文ぐらい
表記 ○ 一文一点読点は1文に1〜2点を目安に
表記 ○ 常体で書くした・だった・であるなどで書く練習
表記 ○ 誤字一ヶ所以内一つの作品に誤字は一つまで


課題のヒント

input-buffer overflow. The line is split. use -b #SIZE option. A氏が提言に反論する。
 いいですか。国家が互いに(たがいに)道義的に行動できるかどうかという問題は、無視されてきた問題でもないし、未解決の問題でもないのです。多くの偉大(いだい)な思想家がこの問題に取り組み、道徳や倫理(りんり)といった概念(がいねん)は、やむをえぬ理由で国家間の行動にはどうしても含ま(ふくま)れない、との結論を出しています。もしあらゆる国家が進んで好感のもてる国になり、またすべての国家が同じような価値観をもっており、似たような発達段階にあれば、遵守(じゅんしゅ)することに万国が同意できる法律を諸国家が集まって案出する方法はあるかもしれません。しかしそれは現段階では明らかに不可能なのです。まさに今世紀にそれは国際連盟で試みられたのですが、結果はどうしようもない失敗――まったくの冗談(じょうだん)に終わってしまったことをよくお考え下さい。
 国家はその定義上、利己的なものであるということを理解しなければなりません。国家の行動が正当と認められるようにみえる場合もあります。死活問題として、他国の資源を手に入れる必要がある場合もあるでしょう。あるいは、単なる領土拡張至上主義者である場合もあるでしょう。これは人間の特性、おそらく繁栄(はんえい)の追求に根差している特性であるように思われます。ナポレオンのような(徹底的(てっていてき)に支配しようとする)タイプが台頭してくるのは避け(さけ)られませんし、それに対抗(たいこう)するために各国家は勢力の均衡(きんこう)状態を昔から作り上げてきました。そこでは1つの大国が、有力な敵対国に対抗(たいこう)して、自国の周囲に自分よりも小さな国家を集めて同盟を作る場合もあるでしょう。
 強い国は、程度の差はあれ自分のやりたいことを弱い国に対してできるということも認めなければなりません。歴史上何度も、強国は弱国を搾取(さくしゅ)し、また滅ぼし(ほろぼし)さえしてきました。これが現実であり、それは人間の利己性および世界の構造と関係があるのです。そのために、ついでに述べさせてもらいますが、平和主義者の立場を取る指導者は、この道徳的意思表示に対するいかなる賞賛も得ないのです。もし平和主義の指導者が自分の国に軍備をしておかなければ、侵略(しんりゃく)者に攻撃(こうげき)させるよう積極的にきそっているようなものです。
 以上述べてきた事柄(ことがら)は、程度の差はあれ道義性のはっきりしないものですが、国家が互いに(たがいに)道義的関係をもたないことがどうして明らかによいことなのかという理由はこれ以外にもいくつかあります。第1の理由は、国家あるいは文化として独立することが重要だということです。他国に干渉(かんしょう)しないことが最重要ルールであるという点をすべての独立国家が認めて初めて、各独立国家はその機能を思いどおりに果たし始めることができるのです。自分こそが一番よく知っているのだと思っている国家が他国の問題に干渉(かんしょう)するのを許してしまえば、大混乱が生じるでしょう。干渉(かんしょう)している強国の利己的な動機を覆い(おおい)隠す(かくす)ために、善意をよそおった美辞麗句(びじれいく)が多用されているのも耳にすることでしょう。
 ですから、互い(たがい)の国内情勢を批判しないという、拘束(こうそく)力をもった協定をすべての政治家が結ぶことは、理にかなった策なのです。ときには、このことは残虐(ざんぎゃく)行為(こうい)、あるいは極端(きょくたん)な場合、集団殺戮に苦しんでいる人々が外の世界によって救われることはないということになるでしょう。しかし人間というものは、都合が悪ければ仲間を救いたがらないようにみえます。個人の場合、1人の人間が苦しんでいるのを目にすると助けなければならないと感じるのは、経験から明らかでありますが、国家の場合はそうではないのです。集団は何といっても、個人ほど道徳的ではないのです。その集団が個人で構成されていてもです。どうしてそうなのかは謎(なぞ)ですが、事実はそうなのです。
 国家間の問題に「道徳」を介入(かいにゅう)させないもうひとつの大きな理由は、国家の中には悪を一掃(いっそう)しようとして道徳的にだんだん興奮するあまり、決して戦い続けることを止めない国があるということです。あるいは敵の無条件降伏(ごうぶく)を主張するかもしれません。国家が自分たちの文化が他よりも優れていると考えることもまた周知のとおりです。2つの超(ちょう)大国のそれぞれが自国のイデオロギーは純粋(じゅんすい)で正しく、相手国のイデオロギーは邪悪(じゃあく)なものと考えています。もしこの2つの超(ちょう)大国がこのことをめぐって戦争を始めていたら、人類は壊滅(かいめつ)していたでしょう。実際は、アメリカとソ連双方(そうほう)の指導者は、世界の舞台(ぶたい)で、イデオロギーに従って行動するというよりもむしろ、個々の出来事に対応していることに注意して下さい。指導者たちはゲームのやり方を知っており、このゲームには理想は関係ないのだということを知っています。政権の座についていれば、あなただってすぐにこのことがわかるでしょう。そして国際関係の道義など考えなくなるでしょう。
 要するに、人のもって生まれた本能は、何か間違っ(まちがっ)た不正なことが国際的に進行していると教えてくれるかもしれませんが、それに関してできることは実際はあまりないのです。国内の社会の一員が犯罪行為(こうい)に関与(かんよ)すれば、隣人(りんじん)は警察を呼ぶことができますが、国際舞台(ぶたい)では、訴え(うったえ)ていく先の権力がありません。それぞれの国は自分で自分の面倒(めんどう)をみなければならないのです。各国家とその相対的力関係が、どの国が何をうまくやってのけられるかを最終的に決定する要素となるのです。まちがいなくこれが現実なのです。B氏が提言に賛成意見を述べる。ばかげています。あなたは国家間の活動に道徳概念(がいねん)をあてはめることは適切でないとおっしゃいますが、そういった行動――何百万もの人の幸福に影響(えいきょう)を及ぼす(およぼす)かもしれない行動――が何であれ、道徳的配慮(はいりょ)から除外することがどうしてできるのかお尋ね(おたずね)したい。あなたと私がここで立ち話をしている2人の穴居人なら、道徳というものをなくてもすませられる何か珍しい(めずらしい)ものと考えることもできましょう。しかし私たちはともに西洋文明の産物ですから、人間の問題はすべて道徳的判断を受けるものと考える傾向(けいこう)にあります。さらに私たちは、政府の行動が国民の願いと承認に従うものと考えられている現代世界の産物なのです。実際、私たちは個人の権利、つまり人権の意味を明確にしたことを自身の主要な文化業績と考えているのです。
 少なくともある程度は、人権に対する私たちの信念は、人間は平等だという信念から生まれています。人は皆(みな)、いくつかのものを共有しているのです。なるほど行動面では、多くの文化的差異があるでしょうが、基本的には人は同じものを好み同じものを嫌う(きらう)のです。例えば、人は自分の子供を健康に育てたいと思い、財産が盗ま(ぬすま)れるのを好みません。こういった類似性によって、かなり普遍(ふへん)的な法律が生まれます。このために、私には、共通の法律が広まり、個人だけでなく国家もそれに従うように思われます。一例ですが、ある国が他国から物を盗む(ぬすむ)のが悪いのは、1個人が他人から物を盗む(ぬすむ)のが悪いのとちょうど同じことなのです。
 もちろん、人間は個人としてだけではなく、集団の一員としても行動するのだということを私は認識しています。集団生活は重要な現実であり、集団には何らかの権利、例えば生きようとしたり自分たちの文化を実践(じっせん)しようとしたりする権利があることは私は認めます。しかし集団の数は多く、その利害関係は対立する場合もあるので、妥協(だきょう)するためには努力しなければなりません。理性によって導き出される結論が行動規範(きはん)ではないかと思われます。集団は、他の集団が自分たちと同じ人間的願望と要求、そして「権利」をももっていると考えることができます。これはそれほど非現実的な提言ではありません。ジュネーブ条約を考えてみてください。そこではそれぞれの国が、例えばすべての負傷兵士がみんな同じ境遇(きょうぐう)にあると考えてきました。ですから、戦場での医療(いりょう)基地を保護するための仕組みが確立されてきました。これは懐疑(かいぎ)論者なら、絶対に起こりえないといったかもしれない仕組みなのです。
 歴史には方向性があるということを認める必要があると思います。国際道義が必要な原因と理由は、世界の静的構造の機能によるものでも、一定の人間性によるものでもないのです。私たちは現実に起こっていることをみつめなければなりません。一方、利益は富と技術的知識の集中にみられるように、時を経るにつれてより強力にまとめることができます。同時に、価値観はよりいっそうまとめられ、「正当化」することができます。この30年間に生態学者が、どのようにしてきれいな空気と水の重要性を、一般(いっぱん)大衆に認識させたかに注目してください。これは、もし利益が国家を支配する唯一(ゆいいつ)の要因だとしたら、無視されたかもしれないものなのです。今行われている議論の多くは、一見、個人の利益に対立する国家の利益、あるいは人類全体の利益に対立する国家の利益を扱っ(あつかっ)ているようにみえますが、そうではなくて、価値に対立する利益を扱っ(あつかっ)ているにすぎないと思います。
 つまるところ、国際道義は話題にはならないというあなたの言い分を、私は受け入れません。私にはあなたの意見はどうしても真実だとは思えません。道義的考察を拒む(こばむ)分野が人間の問題にあるはずがないのです。 ( n )
 脳死の問題は、技術的な問題ではなくむしろ倫理(りんり)的な問題です。それも、人類がこれまで遭遇(そうぐう)したことのない新しい倫理(りんり)の問題を提起していると言ってよいでしょう。よい悪いをすっきりと割り切ることのできない問題にどう対処していくか、一人ひとりの人間観が問われているとも言えそうです。 ( n )
 第1段落は、要約と「当為(とうい)の主題」。「我々は、技術の進歩に見合うだけの精神を持つべきだ。」「技術の進歩につれ、倫理(りんり)観も変革していくべきだ。」など。

 第2段落は、方法の1。「そのための方法としては第1に、現実から目をそらさず、問題点を明らかにすることである。」など。「体験実例」は、困ったことがあったとき、冷静に対処できたかどうか。ピンチの時に、動揺(どうよう)してしまって失敗したことはないでしょうか。

 第3段落は、方法の2。「また、方法の第2としては、問題に対しては、大勢でよく議論を尽くす(つくす)ことだ。」など。「体験実例」か、できれば「社会実例」を。「平成21年5月21日から実施(じっし)される裁判員制度は、実際の刑事(けいじ)裁判に一般(いっぱん)の市民が関わり、裁判官と一緒(いっしょ)に刑(けい)を決めるというものだ。他の人間の罪を裁き、その人生をも左右する裁判員には、将来、誰(だれ)もがならなければならなくなる。皆(みな)で議論を重ねることが、ますます重要になってくるだろう。」

 第4段落は、「反対意見への理解」と「自作名言」を入れて「当為(とうい)の主題」に戻り(もどり)ます。「確かに、技術の進歩は目覚ましく、人間の意識の方がついていけなくなりがちである。しかし、○○は……ではなく、……である。(「自作名言」)だから我々は、……すべきだ。」 ( h )