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級:★   山:wa   年:★   月:05   週:1  苗:wa
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題名:たとえば、折り紙を(感)

感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。

課題の長文
【一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の長文は課題の長文です。】
 【1】普段(ふだん)は人気のない夜の公園に、明るいちょうちんがいくつもともっている。思い思いのゆかたを着た子供たちがお喋り( しゃべ )をしながら夜店を回る。地域のお祭りには、どこも同じような懐かしい(なつ   )光景が広がる。【2】しかし、このようなお祭りのにぎやかさも、翌日になると再びもとの静かな住宅街の中に消えてしまう。孤独(こどく)な老人、家庭にひきこもる子供たち、夜休むためだけに帰ってくる勤め人の親たちが、もっと日常的に地域に出て仲よく談笑できる社会は来るのだろうか。【3】今の日本では、子供が成長しても同じ地域に住むという定住化傾向(けいこう)が強まっている。しかし、地域社会の機能はまだ不十分だ。
 その原因は第一に、これまでの私たちの生活基盤(きばん)が地域や家族という地縁(ちえん)血縁(けつえん)共同体ではなく、学校や会社という機能利益共同体にあったためである。【4】明治の開国以来、日本は工業生産の労働力を農村から調達してきた。この百年間、多くの日本人は新しい職場を求めて住み慣れた地域を離れ(はな )全国の都市に広がっていった。新興住宅地と呼ばれる地域では、昔からそこに住んでいる住民はむしろ少数派で、全国各地から集まった新しい住民が地域の多数派を形成している。【5】ここで必要なのは、意識改革だ。過去の地縁(ちえん)に頼る(たよ )のではなく、未来の地縁(ちえん)を自分たちの手で作っていくという意識が求められている。
 地域社会が十分には機能していない第二の原因は、権限と予算の不足である。【6】かつて日本が欧米(おうべい)の植民地主義に対抗(たいこう)するために形成した中央集権国家は、現在では非効率が目立つようになっている。昔、日本がいくつもの藩(はん)に分かれていた時代には、その藩(はん)を象徴(しょうちょう)するような強力なリーダーが登場することがあった。武田信玄(しんげん)や加藤(かとう)清正は、地域の振興(しんこう)に大きな業績を残した。
 【7】話を広げて考えると、地球が今のように多様な生命体を宿す惑星(わくせい)になったのは、さまざまな環境(かんきょう)にそれぞれの個性で適応する生物がいたからであって、決して最も進化した生物である人間が地球を支配するようになったからではない。∵
 【8】確かに、グローバル化は今後も続く。情報も、資源も、人間も、国境を越え(こ )て行き来できることが世界の進歩につながっている。しかし、グローバル化は、その基盤(きばん)に安定したローカル化があってこそ人間の幸福に結びつく。【9】人類のこれまでの歴史は、小さな集落から小国家へ、小国家からより大きな統合国家へという流れであった。その大きな統合国家から地球全体をひとつの国とするような流れは当然考えられる。しかし、同時にそのベクトルとは反対の地域や家族に向けての関心が生まれ出したのが現代の特徴(とくちょう)だ。地域社会は、地球国家の進展とともに進むものである。【0】どんな小さな町や村にも、日常的にお祭りのにぎやかさが戻っ(もど )てくるときが、地球と地域が結びついた新しい時代の始まりになる。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)∵
 【1】たとえば、折り紙をわたされて、「この折り紙の3分の2の4分の3を切り取ってくれません?」と頼ま(たの )れたとしてみましょう。あなたは何をするでしょう?
 分数の計算?
 やってみていただくと分かりますが、答えは、2分の1になります。【2】2分の1を切り取るのであれば、計算すれば話は簡単、と思われるかもしれませんが、実際この問いをあちこちで人にしてみたところ、計算する人は一〇人に一人くらいしかいませんでした。たいていの人は、直接紙を折って答えを出そうとします。【3】三等分は折りにくいですが、何とか折ります。そしてできた3分の2の部分について、またこれもそこを四等分するような折り方を工夫し4分の3を求めてくれるのです。【4】つまり、小学校で十分練習問題をやっていても、折り紙があれば人は計算しなくてもいい、そうやって外の世界にあるものを、その場の目的に合わせて上手に使うことがむしろ人間の知性の現れなのではないかと考えてみることができるでしょう。【5】人間の知とは何かについての考え方が、頭の中ですばやく計算できることといったものから、経験を生かし、外の世界にある道具(折り紙など)をうまく使って求められている答えを引き出すこと、といった見方に変わりつつあります。
 【6】人間の認知能力にこういう側面があることを強力に主張してきたのは、人を、その人が毎日普通(ふつう)に生活している場のなかで観察し、そこから人間の能力について考えてきた研究者の人たちで、その多くは文化人類学などのバックグラウンドをもっています。【7】上の3分の2の4分の3の話も、ジーン・レイヴ()などを中心としたそういった研究者が台所でした観察がもとになっています。
 その人たちによると、学校という生活場所はそれ自体が一つの文化であって、学校でよい成績を収めるということは、その文化への適応の程度がよくてその文化のなかで十分有能にふるまえることを意味します。【8】だから、学校を卒業した後も、学校でやったように新しいことを次々覚える必要があったり、教えられたとおりのやり方で仕事をきちんとこなすことが求められたり、定期的に昇進(しょうしん)試験があったりする社会でなら、学校で有能だった人がいきいきと生きられるでしょう。
 【9】ただ、そういう人たちが、学校ではあまり教えられないこと、奨励(しょうれい)されないこともうまくやる、という保証はありません。むしろそういうことはできない、と考えたほうがいいような証拠(しょうこ)があげられてきています。【0】∵
 学校で奨励(しょうれい)しないようなこと、暴力だとか、セックスだとか、ドラッグだとか、そんなものに若い人が染まらないほうがいいに決まっている、という範囲(はんい)でなら、この話はこれでいいのかもしれません。けれど、今学校であまり教えないことのなかに、たとえば与え(あた )られた枠(わく)をはずれるとか、これまで誰(だれ)も試したことのない問題に取り組むとか、これまでのやり方を大幅(おおはば)に作り替え(つく か )てみるとか、もうけっこう成果があがると言われている定評のある方法をわざわざ壊し(こわ )て作り替えよ(つく か  )うとしてみるとか、そういうたぐいの、これからの世の中でいままでよりもっと大切になるだろうと感じられていることが含ま(ふく )れていないでしょうか。含ま(ふく )れているのだとすると、レイヴ()たちの言うことは「学校ではそういうたとえば創造性と呼ばれるような能力はあんまり身につかないよ」という警告ともとれるのです。(中略)
 「言われたとおりにすること」でテストにいい点が取れるなら、いい点を取るプログラムを作ることはむずかしくないでしょう。困るのは、人の有能さが、言われたとおりにできるかどうかでは決まらないというところです。人は、3分の2の4分の3を計算用紙の上で計算するのが適切だと判断すればそうするし、折り紙の上で折ってしまうほうがきれいで速いと思えば計算しないですませます。
 こういう、場への適応力が、人間の有能さの本質でしょう。学校は、人の有能さを育てるところですから、子どもの頭の中に「いつでも分数の掛け算(か ざん)を絶対間違え(まちが )ずに速くできる」プログラムを作りたいのではなくて、その場に与え(あた )られた状況(じょうきょう)を最大限に利用するにはどうしたらいいかが苦労せずに分かる適応力を目指したいはずだと思います。

(三宅なほみ『インターネットの子どもたち』による)
(注)ジーン・レイヴー()=認知心理学者

項目表

項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。 項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森 
項目表 ワタスゲ の苗 高1年 4~6月
目標:人文科学のテーマを書く書き方を身につける
 ★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
第 1 段落項目キーワード説明
構成 ○ 題名の工夫題名の工夫 <<構成>>「○○な○○」「○○の○○」のように工夫
構成 ○ 四段落構成 大きく四つぐらいの部分に分けて書く
構成 【】★ 書き出しの工夫書き出しの工夫 <<構成>>会話・色・音・情景で書き出す
主題 【】★ 当為の主題べき 当為 <<主題>>私はAべきだと思う
             ↓
第 2 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の方法一方法 <<構成>>…の方法としては第一に
題材 【】★ 体験実例体験 私 わたし 僕 ぼく <<題材>>自分らしい体験実例を書く
表現 ○ たとえまるで みたい よう <<表現>>まるで…のよう
主題 ○ 途中の感想 途中で主題に関連した感想を書く
             ↓
第 3 段落項目キーワード説明
構成 【】★ 複数の方法二方法 <<構成>>…の方法としては第二に
題材 ◎ 歴史実例・長文実例歴史 長文 <<題材>>歴史の実例・長文集の実例
表現 【】★ ユーモア表現笑 爆 ユーモア <<表現>>ユーモアのある表現(笑)
表現 ◎ ことわざの加工ことわざ <<表現>>ことわざや名言や流行語を加工する
             ↓
第 4 段落項目キーワード説明
主題 【】★ 反対意見への理解確かに <<主題>>確かにBもよいが、しかしAが
表現 【】★ 自作名言ではなく でなく 自作名言 <<表現>>「○○とはAではなくBである。」という形の文
主題 【】★ 当為の主題べき 当為 <<主題>>私はAべきだと思う
構成 ◎ 書き出しの結び書き出しの結び <<構成>>書き出しのキーワードを使って結ぶ

字数 ★ 600字以上
表記 ○ 決めてくる、読みかえす書くことを決めてくる、書いたあと読み返す
表記 ★ 制限時間75分書き始めから書き終わりまで75分で
表記 ○ 構成メモ作文を書く前に構成メモを書く
表記 ○ 漢字を使う、ていねいに書く習った漢字を使いていねいに書く
表記 ○ 段落三文段落の目安は三文ぐらい
表記 ○ 一文一点読点は1文に1〜2点を目安に
表記 ○ 常体で書くした・だった・であるなどで書く練習
表記 ○ 誤字一ヶ所以内一つの作品に誤字は一つまで


課題のヒント

input-buffer overflow. The line is split. use -b #SIZE option. 「医師は告知すべきか」という、しばしば議論される問いは、患者(かんじゃ)が死に近づいていることについて医師はすべて知っているが患者(かんじゃ)は何も知らない、という誤った含み(ふくみ)を伝えてしまいやすい。したがってその結果生じる討論や論争は、ピントがずれていたり現実の問題には少ししか触れ(ふれ)ていない場合が多い。医師が何でも知っているなんてとんでもない。患者(かんじゃ)の容体は死を待つばかりだと確信していても、間近にならないかぎり、死亡時期を正確に予想できることはめったにない。その上、患者(かんじゃ)も何が起ころうとしているのか気づいていないわけではない。多くの患者(かんじゃ)が、自分の死が近いことをはっきりとわかっているのである。
 告知をするかしないかを選ぶというよりもむしろ、ほかのことを問いかける方が有益だろう。われわれは患者(かんじゃ)を励ます(はげます)べきか、それとも死についての話題に至るような事柄(ことがら)を話し始めた患者(かんじゃ)から真実を隠す(かくす)べきなのか。死についてどの程度率直に話すべきなのか。患者(かんじゃ)は万事順調にいっているということだけを言ってもらいたいのじゃないかとわれわれが感づいたならば、嘘をつくべきだろうか。病気が致命(ちめい)的なものなのかそうでないのかを真剣(しんけん)に知りたがっている場合、患者(かんじゃ)の推測が間違い(まちがい)ないことをはっきりさせるべきなのか。単刀直入な質問がない場合、真実を語る義務がわれわれにあるのか。問いかけてくる者たちに、死が近いことを否定するのは正しいことなのか、あるいは知りたいという意向を示さない者に告知するのは間違っ(まちがっ)ていることなのか。死の自覚が徐々に(じょじょに)増すようにすべきなのか、あるいは死の病に冒さ(おかさ)れているものは、死をより甘んじ(あまんじ)て受け入れられるように、このことを早期に知るべきなのか。もっと率直に告げるというのなら、それをどう知らせたらいいのか。知らされたらどんな反応をするだろうか。これらの問いはすべて、「医師は告知すべきか」という簡略化しすぎた冒頭(ぼうとう)の問いの一部なのだが、こうした問いに対し万人に受け入れられる回答はあり得ない。人はそれぞれ異なるし、道徳的信条や通説が判断に影響(えいきょう)を及ぼす(およぼす)からである。
 助かる見込み(みこみ)のない患者(かんじゃ)たちに死の可能性について率直に話す十分な理由がある。死が近づいていると強く疑っているのだが、そのことを問いかけたり話し合ったりする機会を全く与え(あたえ)られない病人は、周りの者が口をつぐんだままであればひどい孤立(こりつ)感を味わうことがある。こうした患者(かんじゃ)は、死が近いという事実を患者(かんじゃ)から隠し(かくし)たり、事実に触れ(ふれ)ないでおこうという意図のもと、すべて見せかけの言動をする人たちに囲まれているかもしれない。その結果患者(かんじゃ)は、だまされているという意識をもつのだ。もしみんなが、患者(かんじゃ)の間近に迫っ(せまっ)た生からの旅立ち、つまり、自分たちにとっての永遠の別れが絶対に起こらないというふりを続ければ、患者(かんじゃ)は他人との全く心からの会話から生じる精神的な安らぎをどうして得ることができようか。われわれは死を迎え(むかえ)つつある者たちに告知する義務があるという意見には、物質的根拠(こんきょ)と精神的根拠(こんきょ)がある。医師が患者(かんじゃ)に死が近いという事実を隠せ(かくせ)ば、患者(かんじゃ)は家庭の身辺整理をしそびれるだろうし、死が近いかもしれないとわかっていれば考えもしないような投機的事業を始めるかもしれない。死が近い人物には警告しなければならないという医師の法的責任は、討論の問題となりそうだ。しかしたいていの医師は、死が間近な人に何を告げるべきかを考えるときに、人がどれほど先まで身辺整理をする必要があるのかを心に留めているだろう。死に対して準備をしておくのはよい考えです、と助言することは、この効用に役立つだけではない。慎重(しんちょう)にいえばそれは、もっと知りたければ病人は医師とさらに話し合いができるというほのめかしでもあるし、あるいは、それはただ額面通りに受け入れてもよい助言なのである。
 人が自分の死が近いことを知る精神的必要は、末期段階では物質的問題よりも重要だろう。死が近い人は、突然(とつぜん)、宗教信仰(しんこう)に走ったり、信仰(しんこう)を取り戻し(とりもどし)たりすることが多い。死が近い人は重病の中、ひょっとしたらいつもとはずいぶん違う(ちがう)声で、助けを求めて祈っ(いのっ)たかもしれない。回復が望めそうになければ、宗教界の大多数の人たちは、患者(かんじゃ)が永遠の生命の準備ができるようにこのことを知るべきだと強く感じている。
 時には、病気の結末に関する予想をめぐって、患者(かんじゃ)に率直に物を言う必要が増大する。というのも、興奮状態の短い希望の時期に続いて、絶望的にみじめな長い期間があるからである。患者(かんじゃ)は、不当な全く望みのない治療(ちりょう)に努力とお金を浪費(ろうひ)し、結局、有名な数々の万能薬が効かないときにひどく失望することになるだろう。患者(かんじゃ)が重病で、病状が悪化していると思われるのに、医師は効果のない治療(ちりょう)に満足しているように見えるときは、治癒(ちゆ)の機会が失われていくように感じられるかもしれない。このため患者(かんじゃ)は挫折(ざせつ)感を抱い(だい)たり、必死になってほかの医者巡り(めぐり)をするかもしれない。もちろん、評判の高い人物からのまた違っ(ちがっ)た意見(セカンドオピニオン)は、関係者全員に大いに役立つだろう。これによって、重要な可能性が無視されていないという確信が得られるだろう。むなしく治療(ちりょう)を求めている、悩み(なやみ)をかかえた患者(かんじゃ)が、病気の性質とどれくらいの希望が望めるのかということについて、医師とともによりよい理解に達すると、自信を取り戻し(とりもどし)、さらに大きな安らぎが得られるだろう。
 死が近い者には率直に物を言うほうがよいということを裏づけるこれらの主張にもかかわらず、死について患者(かんじゃ)と話したがらない医師は多い。そういった医師は、患者(かんじゃ)の大部分は安心を得るため以外ではその話題を出すことを望んでいないと感じているし、真実はおそらく患者(かんじゃ)の心を傷つけることになるだろうとも感じている。この一般(いっぱん)によく見受けられる医師の態度は、たとえ苦悩(くのう)を避ける(さける)ために「罪のない嘘」が意図された場合でも、意識的にその話題を避け(さけ)たり、医師に信をおいている患者(かんじゃ)をだましたりするのをかなりためらうということと、あまり愉快(ゆかい)なことではないが、結びついている。しかし率直に物を言う医師の中にも、死が近いと告げられることは患者(かんじゃ)にとってなんの役にも立たないという信念を明らかにしている者がいる。それは理論的根拠(こんきょ)により簡単に論破できる見解である。しかし、真実がかなりの苦痛を生む可能性があるとき、また、思いやりから出る一部分だけ真実の言葉が死に至る進行を実質的に変えないとき、そして死が近い人間が自分は回復するだろうということを聞きたいときには、嘘をつくことや時々だけでも作り事を教えることについて反対するのには、かなりの信念が必要となる。死が近い人たちの世話をする正直な人の多くも、そうするのは避け(さけ)たいと常に思っているやり方で、患者(かんじゃ)から真実を隠し(かくし)ていることに気づくのである。
 実際、回復の見込み(みこみ)がないと患者(かんじゃ)に言う医師は比較的(ひかくてき)少数なのである。例えば、医師の意見に関してのある調査で、勤務医と開業医の200名を越える(こえる)集団に、致命(ちめい)的だと判定される可能性が非常に高いガンにかかっているとわかった患者(かんじゃ)に告知するのは賛成かどうかと質問した。こう定義された患者(かんじゃ)の中にはもちろん、死はまだ先の話で、全体的にまずまずの健康状態にあった早期に、病気の徴候(ちょうこう)が診察(しんさつ)された者も含ま(ふくま)れているだろう。そういった患者(かんじゃ)は、この段階では自分の病気が致命(ちめい)的でないかと疑う理由はほとんどないだろうから、もし医師が実際に告知したとしたら、何か予期せぬ悪いことを知らせることになるだろう。これらの(調査に協力した)医師の88%は、患者(かんじゃ)に告知しないだろう(と答えた)。もっとも中には例外を設ける(と答えた医師もいる)。患者(かんじゃ)の質問は通常安心を求めてのものだとこれらの医師は感じている。残りの12%は、ガンにかかっていることを患者(かんじゃ)に通常告知する、特にもし患者(かんじゃ)が知的で情緒(じょうちょ)的に安定している場合はそうするだろう(と答えた)。大半の医師が、身内には告知すべきだと感じており、自分が知っていることの負担を分かち合えるとうれしいと答えている。ところで、この同じ医師の60%もが、もし自分が同じ致命(ちめい)的な種類のガンにかかっていたら、告知してもらいたいと言ったのである。情報を与える(あたえる)ことと受け取ることとの間にある意見のこの不一致(ふいっち)は、医師自身のより大きな精神力と責任感に基づくものだ、と医師は説明した。そうかもしれない。しかしその態度は専門外の人たちと医者に同様に見受けられる、感情面からそうすることに決めた態度である可能性の方が高いのである。このことは、これらの医師が他の医師のガンを治療(ちりょう)する際、一般(いっぱん)のガン患者(かんじゃ)の場合と同様、彼ら(かれら)にも率直に告知しないという事実によって示された。
 病気が致命(ちめい)的なものかもしれないことを病人に対して認めたがらないのは、医師に限らない。もしガンにかかっていたら告知してほしいという人々の希望調査によって、自分自身は告知を望むが、同じ状況(じょうきょう)にある他人に知らせるのはあまり勧め(すすめ)られないと思っていることがわかった。英国の末期患者(かんじゃ)治療(ちりょう)に関する詳しい(くわしい)調査によると、死亡した患者(かんじゃ)の親族や友人は、本当の病状について死にゆく本人よりも多くのことを知っているようであり、もっと多くのことを敢えて(あえて)もらうことを期待していた。これらの患者(かんじゃ)のおよそ半数が自分の病状を知っていた。この調査で質問を受けた者の多くが、死の床(ゆか)にある者が、自分の死をある程度知っている、あるいは知らないことを認めたが、患者(かんじゃ)は自分の死に気づくよりも、知らないままの方がよいという意見の方が強かった。結婚(けっこん)した人たちが配偶(はいぐう)者の致命(ちめい)的な病気に対処する方法について調べた最近の調査によると、たとえ暗黙(あんもく)の了解(りょうかい)はあるにせよ、お互い(おたがい)の病状について率直に話し合う者は4分の1もいないようである。 ( n )
 内容:3分の2の4分の3を、計算をしないで折り紙で答えを出す方法がある。知性とは頭の中で計算するものだけではなく、経験を生かすものという見方に変わりつつある。学校の文化の中で有能だった人が学校で教えられない分野でも有能であるとは限らない。場への適応力が有能さの本質である。

 解説:「石橋を叩けば渡れ(わたれ)ない」の著者西堀(にしぼり)栄三郎(えいざぶろう)さんは第一次南極越冬(えっとう)隊長でした。南極に着いて宿舎を作るときに、日本から持ってくるはずの釘がないことに気がつきました。そこで、西堀(にしぼり)さんは、壁(かべ)を立てて重ねそこに水をかけ、南極の寒さで凍りつか(こおりつか)せることによって無事に宿舎を建てました。こういう機転は、知識の勉強をしているだけではなかなか生まれません。

 現代の社会では、知識があれば、それがその人の能力のほとんどであるかのように思われがちですが、知識は人間の能力の一部でしかありません。私たちは、知識ももちろん含め(ふくめ)た、場への適応力をもっと育てていくべきでしょう。

 歴史上の人物でも、とっさの機転で窮地(きゅうち)を脱し(だっし)たという例が数多くありそうです。そういう人がしばしば学校で劣等(れっとう)生であったり社会ではみだし者であったりするのがおもしろいところです ( n )
 第一段落は、状況(じょうきょう)実例と意見。「昔の友達に、成績はあまりよくないが、遊びにかけては天才という子がいた。ある日……。私は、適応力をもっと高く評価すべきだと思う。」
 第二段落は、その方法。「そのためには、第一に、臨機応変という発想をもっと高く評価することだ。例えば……」
 第三段落は、方法2。「また、学校教育でも、ペーパーテストだけでなく、実習や実験など応用力が試されるものを重視すべきだ。例えば……」
 第四段落は、まとめ。「確かに、体系的な知識を身につけることは大切だ。しかし……」
 ( n )