短期記憶と長期記憶
8、5、7、3、1、2。もしこれらの数字を今もう一度くり返していって下さいといえば、きっとほとんどの人がそうできるだろう。長時間話をした後でもう一度同じことを要求すれば、今度はおそらくできないであろう。記憶を残しておけるのはほんの短い間だけである。 記憶を蓄積する際、脳の中で短期記憶用――すなわち約15分から1時間――と長期記憶用の2つのまったく異なった処理が施されるというのが実情のようである。多くの項目にわたる情報が一時的に短期記憶用の記憶貯蔵室に伝わる。大部分がここで切り捨てられ、ほんのわずかなものだけが長期記憶用の記憶貯蔵室にまで達する。記憶がこの短期記憶用の貯蔵室にある間は簡単に失われてしまう。例えば注意がそらされるとか――本文の最初にあげた数字の連続を覚えておられるだろうか?――例えばてんかんの発作や脳震盪などのために脳に干渉が入ることによって。なぐりあいでノックアウトされた後に目が覚めて「ここはどこだ?」と尋ねる映画の主人公は冗談をいっているのではない。もし彼をノックアウトさせた一撃が本物であったとすれば、それは脳内部の電気的な処理に影響を及ぼし、彼の短期記憶の蓄積をこわしてしまったことであろう。しかし、永続的な長期記憶の蓄積を失ってしまうことはないだろう。いや実際、これを消し去ることはきわめて難しいのである。よく精神医学の治療で、精神分析医が麻薬や電気ショック療法あるいはインシュリン療法や精神分析の技術を施してそうした記憶を取り除こうとすることがあるが、ほとんど成功しないのが普通である。
実際考えてみると、記憶はことによると人間の個人としての最も永続性のある特徴であるのかもしれない。私が手足を失ったり、本物の臓器を合成樹脂のものに替えられたり、あるいは形成外科手術によって顔の容貌を変えたとしても、私はやはり「私」――つまり、私の脳の内部でしっかりと堅固に保持されている過去の経験、過去の記憶の複合体――である。これらを失ったときにはじめて私は私でなくなるのだ。 ( n )
解説:世界でもまれなほど自由が保障されている日本の言論環境と、それにも関わらず驚くほど画一化されているマスコミの商業主義的な報道というのがテーマです。ベマ・ギャルポ氏のこの短い文章の中に、日本のマスコミをめぐる問題点の本質がわかりやすく説明されています。
テレビの番組を見ていると、「どうしてこんなにくだらない番組をやっているのかなあ」と怒りたくなることがあるでしょう。なら、見るなって。品の悪い番組ほど人気があるというのは、作る人ばかりでなく見る人にも原因がありそうですね。 ( n )
第一段落は、要約と当為の主題。「日本のマスコミは過剰な商業主義とステレオタイプな報道を克服すべきだ。」
第四段落は、反対理解と自作名言。「確かに、マスコミにはみんなの関心のあるものを大きく取り上げるという面も必要だ。しかし、言論の使命というものを忘れてはならないと思う。マスコミに野次馬精神は必要だが、野次馬精神しかないマスコミであってはならない。『人の噂も七十五日』という言葉があるが、マスコミの影響力は七十五日で終わるわけではない。」
( n )