●長文実例……長文集のほかのページから似た例を探して書く練習です。長文を何度もしっかり読んでいないとできません。データ実例、昔話実例などとセットになっていますから、どちらかができればいいです。例えば、「データ実例・長文実例」の場合は、データ実例が入っているか、長文実例が入っているかどちらかでいいです。どこの長文からの引用かわかるようにできるだけ「長文○○によると」のように書いておいてください。
現代の社会では、なんでもひととおりできるが得意技がないという問題と、逆に、専門化が進みすぎて全体が見わたせないという問題が、同時に進行しています。どちらを主な問題として考えてもいいと思います。具体的な実例を通して、その原因を考えてみましょう。
第一段落。「得意分野は何ですか」と問われたらなんと答えるでしょう。自信を持てるものはあるでしょうか。そういった身近な出来事を書いていく中から、問題点を挙げます。「私は、何でもできるゼネラリストをめざしているために、得意分野を持てない人が増えていることが問題だと思う。」
第二段落。その問題を生んだ第一の原因。「日本人特有のなんでも横並び意識である。」実例をあげます。自分の学校生活を見つめてみよう。友だちといっしょということが多くはないだろうか。勉強の量も時間も方法もみんなおそろいにしておけば怖くない。そのため広く浅くいろんなものをかじることになりますね。
第三段落。第二の理由。「日本の社会がこれまで欧米に追いつくことを主な目的としてきたことにある。」世界に誇る日本の公教育・義務教育の普及は、ひとりでも多くの子どもに均等な教育を施すことで国の力をつけていこうとして生まれたものです。その結果、まんべんない学力をもったゼネラリストは養成できましたが、何かに抜きん出た才能を発掘することはできませんでした。今の学校のカリキュラムも、個性を重視したものではありませんね。
第四段落。反対意見に理解を示し、もう一度問題点を確認します。「確かに、ゼネラリスト志向は日本の社会を均質化し効率のよい経済を作るのに役立ったとは言える。しかし、何でも出来るが得意分野を持たない人材があふれるこの現状は問題である。」自作名言も入れよう。キーワードを主語にして「○○とは・・・ではなく・・・である。」に当てはめてみましょう。「社会をかえていく力とは、平均的な力の総和ではなく、ある分野に卓越した能力である。」
構成図は、小3以上の生徒が書きます。小2以下の生徒は、絵をかいてから作文を始めるという課題になっているので、構成図は書かなくて結構です。
構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
たくさん書くことによって、考えが深まっていきます。したがって、構成図は、できるだけ枠(わく)を全部うめるようにしてください。しかし、全部埋まらなくてもかまいません。
枠と枠の間は→などで結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
構成用紙を使って構成図を書きます。
 | 頭の中にあるものをそのまま書くとき。
 | 構成図で書くとき。
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初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
 | 思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
 | 思いついたことを矢印でつなげていきます。
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関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
 | 枠からはみだしてもかまいません。 | 全部うまったらできあがり。
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△この見本の図は構成用紙を使っていますが、構成図は作文用紙などに自由に書いてください。
長文の内容:日本では、翻訳は独創性がないという理由で社会的地位が低い。しかし、あらゆる独創性は、それまでの文化の継承や模倣の上に成り立つ。翻訳には、その文化の継承という重要な役割がある。
第一段落は、要約と社会問題の主題。「表面的な独創性がもてはやされ、基礎が軽視されているのが問題だ。」
第二段落は、その原因と体験実例。「その原因は、これまでの記憶力中心の学習に対する反省の行き過ぎがあるからである。私も小学校時代の図工の時間の体験で、見本どおりていねいに作られた作品よりも奇抜なアイデアの作品の方が評価されていた思い出がある。」
第三段落は、原因2とユーモア表現。「第二の原因としては、日本人が日本の文化に対する自身を失っているからである。伝統芸能の分野には、『庭掃除3年、雑巾がけ5年』というような世界がある。なんの世界じゃ(笑)。そのように昔の日本人は文化の継承というものに価値を認めていた。」
第四段落は、反対理解と社会問題の主題と自作名言。「確かに、個性や独創性を評価することは大切だ。しかし、その独創性とは、天から降ってくるものではなく、伝統という地面から育つものなのである。」
まず要旨から状況をまとめて「医療において提供されるべき情報知識は、診断の内容、複数の治療方針の利点と危険性、治療しない場合の症状の予想などであると語られている。しかし専門家が、本当に情報知識を持っているのかと疑ってみる必要がある。余命告知やリスク予知はたんなる占いではないか。生きることの方をだれも思おうとしない。」
社会問題の主題を出す。現代社会では、安楽死や尊厳死という死の問題ばかりを論じるようになっているのは問題である。
第一の原因は、医療のあり方がかわってきたからだ。バイオ・エシックスの理念(生命の倫理)の登場、患者の自己決定の尊重。技術の進歩によって、死の取り扱いが議論されている。
第二の原因は、死がほとんど日常生活から隔離され、実感を持てないようになったからだ。病院での死。生と死が双方軽い存在に見えてくる。自然科学の反省からいろいろな宗教への興味もわいてくる。
たしかに、命の尊厳をまもるために死を真剣に考えてみることは必要である。しかし・・・。
要約「わたしたちは何ものかについて言葉で考え、語りだす。語られた事態がほんとうに存在する事態とおなじかどうかを問う。その問いをシステマティックに緻密にするのが「哲学」である。」「 わたしについてわたしが語るとき、その語りによってはじめのわたしは規定される。」「みずからについて語るというのは、変形に変形をくわえることなのである。そして、その変形のやり方自体を、ときに論理的に、ときに倫理的に問うのが「哲学」というものである。」
つづいて社会問題の主題「自分を定義することができなくてモラトリアムの状態が顕著になった現代は問題である。」
その第一の原因は、大きな価値観というものが社会に見当たらなくなったからだ。戦前戦中の日本にあったような精神的な大きな支えが、近代化合理化のなかで失われた。国際化で多様な価値観があふれ、確固たる信念が持てなくなった。
第二の原因は、社会が完成されたものになって力を出す場が見つからないからだ。社会がひとつのシステムのように機能し、そこで使われる技術も急速に進歩し続けている。そこで自分がどのように役割を果たすことができるか見つけることが困難になってきた。
たしかに、大人へと成長する過渡期として、自分自身と向きあう猶予期間は必要である。しかし・・・。