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解説集 ザクロ の池 (最新版 /印刷版 /ウェブ版 /最新版
印刷版は印刷物として生徒に配布されているものと同じです。ウェブ版は書き込み用です。 https://www.mori7.com/mine/ike.php
最新版には印刷日(2024-03-14 00:00:00)以降に追加されたもの(グレーで表示)も掲載されています。

4.1週 
●触れ合い、心
 書き方の流れ
 第一段落(150〜200字)
 状況実例と予測される将来の問題を提起する。「今日の社会は人と人との触れ合いがなくなっていると言われる。しかし、駅の自動改札を昔の手作業に戻そうと言う人はいまい。触れ合いの大切さを強調することによって、ものごとの合理的な運営を軽視するような風潮が生まれるとしたら問題だ」。
 第二段落(150〜200字)
 原因。「このような問題が生まれる原因としては、機械化があまりに急速に進んだということが挙げられる。例えば……」。
 第三段落(150〜200字)
 対策。「今後の対策としては、機械化や合理化によって落ちこぼれる人を救済するような政策、いわゆるデジタルデバイドを埋めるような政策が必要だ。例えば……」。
 第四段落(150〜200字)
 反対理解とまとめ。「確かに、人間どうしの触れ合いが少なくなり、それが社会にさまざまなひずみを引き起こしていることも否定できない。しかし、将来の問題となるものは、むしろ……」。

 小論文の課題は、自分の問題であるとともに日本の社会の問題としても考えていきましょう。

 名言集に載っている名言は全部覚えておきましょう。また、本を読んでいい表現を見つけたら、自分でこの名言集に書き加えておいてください。

●「予測問題の主題」は、「将来……が問題になると予想される」という書き方です。
●触れ合い、心
 構成図は、小3以上の生徒が書きます。小2以下の生徒は、絵をかいてから作文を始めるという課題になっているので、構成図は書かなくて結構です。
 構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
 たくさん書くことによって、考えが深まっていきます。したがって、構成図は、できるだけ枠(わく)を全部うめるようにしてください。しかし、全部埋まらなくてもかまいません。
 枠と枠の間は→などで結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
 構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
 

構成用紙を使って構成図を書きます。
頭の中にあるものをそのまま書くとき。
構成図で書くとき。
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
思いついたことを矢印でつなげていきます。
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
枠からはみだしてもかまいません。全部うまったらできあがり。

 


▽構成図は、原稿用紙や普通の白紙に書いても結構です。

Re: ●触れ合い、心
 機械化が進んでいるという例を考えてみましょう。たとえば、駅の券売機。都心部ではほぼタッチパネル方式となっています。友人の窓口はどんどん減り、電車に乗り慣れない人や年配の方は使い辛い状況ですね。また、改札もスイカやパスモなど、カードでしか通れないところも増えています。切符を通すところがなく、困っている人を見かけたことも何度かあります。
 また、音楽を聴く手段として、今はipodが主流となっていますが、これはパソコンが必要。パソコンが使えなければ、音楽も持ち運べません。昔はウォークマンに入れるテープやCD、MDをカバンに入れて持ち運んだものでしたが……。こういう流れについていけない人もたくさんいるのではないでしょうか。
Re: Re: ●触れ合い、心
 「デジタルデバイド」……「情報格差」を解消するにはどうすればいいか具体的に考えてみましょう。例えば、学校教育での情報教育のカリキュラムを整備すること。また、情報機器(パソコン)に触れる機会を増やすため、学校で一人一台パソコンが持てるようにしていくということも考えられるでしょう。
 また、どんなところでも情報を受け取ったり、発信したりできるように、通信環境を整備するということも一つの方法ですね。日本中、また、世界中どこにいても、情報を活用できる環境を整備していかなくてはならないということです。
触れ合い、心
 主題はどちらでもいいと思います。「合理的なコミュニケーションの大切さ」でも書けると思いますし、「直接的な触れ合いの大切さ」でも書けます。後者の場合は、もう何度か書いてきたので、今回はあえて「合理的なコミュニケーションの大切さ」で。第一の対策として考えられることは、「幅広い世代にとって使い勝手の良いSNSを確立すること」。SNSは確かに便利ですが、なんとなく若い世代のものという感じがします。ある程度の年代にとっては、ネットショッピングはおろか、スマホでさえ使うのが怖いということもあるようです。そういう人がSNSを使った合理的なコミュニケーションをとろうと思うでしょうか。幅広い年代に使いやすいSNSが確立できれば、合理的なコミュニケーションの敷居は低くなりそうですね。
 第二の対策は「インターネットトラブルを防ぐ仕組みづくり」。インターネットを介したコミュニケーションは便利ですが、色々なトラブルがつきもの。SNSでのいじめなどは、昔では考えられませんでした。新しい技術が生まれれば、それに付随して問題も起こってきます。それを防ぐ手だてを考えることが大事ですね。

4.2週 
●さて十九世紀の(感)
内容:自然科学の発達は、歴史も細分化された客観的な知識の積み重ねで完成するという楽観主義を生み出した。しかし、資料の統一には歴史観という主観的なものが必要だ。物理学の分野でも客観主義や決定論を捨てる必要が生まれている。歴史は、歴史に参与することによって意味を持つ。

似た例:本文中の関ヶ原の例は具体的。史料がいくら増えても、そこに歴史観や価値観がなければ、その史料は単なる知識の寄せ集めに過ぎないということです。

意見:知識に裏付けられていないと、単なるひとりよがりになってしまいますが、知識だけでは正しい判断はできません。大学での勉強も、勉強のための勉強でなく、どういう社会や人間を理想としているのかという自分の価値観に基づいた勉強にしていく必要があるでしょう。
●さて十九世紀の(感)
 一段落、状況実例と予測問題の主題。知識を詰め込むことだけにとらわれ、判断力や行動力が低下してくるとしたら問題だ。
 二段落、原因。知識の有無だけを問うような教育環境に原因がある。
 三段落、対策。知識をいかに応用するか、ということをもっと評価する環境を構築することだ。
 四段落、反対意見への理解とまとめ。確かにある程度の知識がなければ、思考能力を高めることもできない。しかし、知識を得ることだけが、すなわち「学ぶ」ということにはならない。〜略
★さて十九世紀の(感)
 「主体性が低下していってしまうこと」がこれからの問題として考えられる……、という主題の場合。対策として考えられるのは「知識を詰め込むだけの教育をやめ、受け身の教育をなくし、主体性を重んじるようにしていくこと」。教育の現場で「アクティブラーニング」が大事だとされていることと通じていきますね。実際に自分の学校で行われているアクティブラーニングの例を挙げてみるといいですね。
 第二の対策は「社会が知識の豊富さを評価するのではなく、応用力や人間性を評価していくこと」。受験でも知識の豊富さを問うのではなく、面接や論文などで応用力を問うような評価形式にしていけばいいというようなことが書けそうですね。

4.3週 
●分析とは外から見る立場(感)
 内容:分析とは、ものごとをある一つの面からとらえる方法である。また、分析とは、要素への還元でもある。しかし、ユニークなものや刻々と変化するものは分析できない。

 意見:今日の社会問題に結びつけて意見を考えましょう。分析的方法は、科学を発展させるのに大きな効果がありました。しかし、今、その分析的な方法の弊害が指摘されるようになってきています。特に、人間にかかわる分野ではトータルに見る見方の必要性が叫ばれるようになりました。

 私たちも人間を判断するときに、いろいろな分析方法を使います。血液型はAB型で、星座は水瓶座で、動物占いは豚で(そんなのないか)、身長は180センチで、体重は60キロで、出身地は横浜で(なんだか、自分のことを書いているみたいだなあ)、と分析をいくらたくさん積み重ねてもその人の個性というものは出てきません。人間というものは個性的でかつ全体的なものですから、要素に還元してその要素を組み合わせてもいちばん肝心な本質は見えてこないのです。

 また、空中に放り投げた石でしたら、初速度と角度から到達距離を計算できますが、人間として生まれた子供を初速度と角度から(おいおい放り投げるなよ)どういう人生を歩むか計算することはできません。それは人間が生きた主体性を持ったものだからです。

 現代の科学は、しかし、要素に還元する方法によって、生きた人間の本質に迫ろうとしています。ヒトの遺伝子の塩基配列をすべて解明することによってこれまで漠然としかわからなかったものが科学的に説明できるようになりつつあります。

 分析主義の限界と分析の行き過ぎの両方に将来の問題が考えられそうです。
●分析とは外から見る立場(感)
 第一段落は、要約と意見(予測問題)。
 「分析主義の限界から、物事をトータルに見ることが強調されるあまり、分析的な考え方を否定する風潮が新たに生じることが予想される。例えば、入学試験でも、個々の教科の成績を軽視して、人間をトータルに見るという建前で小論文や面接だけの試験が増えている。(笑。……笑う立場ではないが)」
 第二段落は、対策1と体験実例。
 「第一の対策は、分析主義、総合主義という頭で観念的に考えたことをもとにするのではなく、現場の意見を反映して考えることだ。私も部活で、相手のチームを数値によって細かく分析するとともに、それに加えてその日の直感を大事にしている。(体験)」
 第三段落は、対策2とユーモア表現。
 「第二には、多くの人の意見を反映していくことだ。世の中には分析の得意な人もいれば、総合の得意な人もいる。相手の弱点を批判し合うのではなく、互いの長所を認めることが、分析と総合を両立させる道である。それは単なる分析でも、単なる総合でもない、言わば分析的総合とでも言うべきものだろう。何のこっちゃ(笑)。」
 第四段落は、自作名言と意見(予測問題)。
 「人間が主義の中に生きているのではなく、人間の中に主義が生きているのである。」

5.1週 
●劇は、つねに宗教的な(感)
 内容:シェークスピアの劇は、外見上宗教的な要素が見られないので、私たちは、シェークスピアを近代の劇と同じ次元で評価し、リアリティを欠いていると批判することがある。しかし、シェークスピアの劇は、作者の主張を訴えようとしているのではなく、ひとつの世界に私たちを招き入れようとする試みである。それは、宗教的な秘儀が目指すものと同じである。同じように、私たちは路傍の花に眺めいるとき、自然という全体に復帰する喜びを感じる。しかし、それらは実は逃避なのである。

 解説:劇というものは、作者の訴えているテーマを批評的に受け取るようなものではなく、もっと全身で感じ取るものだ、というところでひとつの意見を考えることができます。もうひとつは、全身で感じ取り、対象と一体化するような喜びは、現実からの逃避だというところで意見を考えることもできます。

 映画を見て、感動して、「ああ、よかった。心が洗われるようで、なんだか勇気が出てくるようだ」といくら思っても、実際にはどこも洗われていませんし、その人の勇気も実力もどこも変わっていません。大切なのは、観念的な一体感ではなく、実際に対象を冷静に見て、それを少しずつ変革していく行動でしょう。劇や映画の喜びは、人間にとって大切なものですが、それが現実からの逃避になってはならないということです。
★劇は、つねに宗教的な(感)
第一段落は、要約と意見(予測問題)。
 「思想と現実の分析を優先するあまり、自然や劇の中に示される生きた現実から遠ざかってしまうことが予想される。一方で、 全身で感じ取り、対象と一体化するような喜びに埋没すると、現実から逃避してしまうことが予想される。」

第二段落は、対策1と体験実例。
 「第一の対策は、全身で感じ取り、対象と一体化するような喜びを十分に味わうことだ。」海や山など自然の中で大きな感動を味わったことがあるかもしれません。また、長文にあるように、名も知らぬ路傍の小さな花も、季節の変化を感じさせたり生命の神秘を感じさせてくれたりします。また、劇や映画やスポーツなどを観ることも、大きな感動を与えてくれます。ソチ五輪では、フィギュアスケートの浅田真央選手や羽生弓弦選手の演技に感動した人も、たくさんいるのではないでしょうか。感動は、人間に生きる力を与えてくれます。
 
第三段落は、対策2と実例。
 「第二には、生きていく上で自分なりの思想を持ち、分析的な視点を失わないことだ。」感動の体験に酔い、浸っているだけでは、それを自分の人生に活かしていくことはできません。自分自身に立ち返り、覚めた目を持って自分なりに考えて生きていくことが必要です。お芝居でも、良い役者は役に没入するのではなく、演じている自分を見ている自分を意識しているものだと聞いたことがあります。

第四段落は、自作名言と意見。
 「思想と現実の分析が生きることではなく、また喜びへの逃避も生きることではない。大切なのは、二つのありかたを行き来し、両者のバランスを保ちつつ生きることだ。」 (「総合化の主題」や「生き方の主題」のようになってしまいましたが。)

5.2週 
●就業人口の半分以上が(感)
 内容:社会の発展段階は、就業人口の半数以上が従事する産業に時代を代表させ、狩猟社会、農業社会、工業社会、情報社会と分けることができる。情報社会の次の社会に要求されるものは、労力でも知識でもなく感動や感激を創造する能力である。この感性社会では技術は芸術的なものになる。

 解説:時代は既に感性社会に進みつつあるのに、私たちの意識はいまだに労働集約的な農業社会や設備集約的な工業社会や知識集約的な情報社会の意識のままであり、それが社会の各方面に矛盾を引き起こしている、という主題で書いていくといいでしょう。学校などは特に、感性を伸ばすよりも知識を詰め込むような勉強の仕方が多いようです。
●就業人口の半分以上が(感)
 芸術関係の学校を受験する人は、次のような発想で。
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 これまでは、産業の中での音楽の位置を考えてきた。
 しかし、社会全体が芸術社会に移行しつつある今、芸術の役割は単なる産業の一部ではなく、むしろ未来の産業の指針のようなものにさえなってきている。
 つまり、産業⊃芸術から、産業⊂芸術への転換である。

 音楽をはじめとする芸術が産業の指針となるという場合、特に二つの分野で大きな影響があると考えられる。
 一つは、評価である。これまでの産業社会では、数値化できる機械的な評価が主流であった。しかし、優れた音楽又は優れた音楽家は、数値で評価されるものではない。優れた感性を持った聴き手によって評価される。これまで音楽の分野で行われてきた評価の方法が、産業社会における評価の主流になるのである。
 もう一つは、修得の方法である。産業社会では、基礎となる知識を蓄えるという学習の仕方が中心であった。芸術の分野でも基礎的な知識は必要であるが、ある水準から上では、優れた手本に接することと、絶え間ない努力の連続が修得の仕方の中心となる。音楽の分野で行われてきた学習方法が、社会全体の学習方法の模範となることが今後考えられる。
 確かに、農業生産、工業生産は滅びるわけではない。しかし、それらは社会の基盤に後退し、その後退した分を、感性や芸術の産業が埋めていくようになる。
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●就業人口の半分以上が(感)
 一段落は、予測問題の主題。「芸術の役割を軽視するようになってしまったら問題だ。」
 二段落では、対策一。「人間の評価の基準を数値的なものに偏りすぎないようにしていくことだ」。
 三段落は、対策二。「一人一人の感性をより大切にする教育環境の構築が必要だ。」
 四段落、まとめ。「確かに、近代の産業の発展は、生産性や効率性を重視したことに負う部分が大きい。しかし、物質的に豊かになった昨今、私たちはもっと精神的に豊かであることに幸福を見出すべきなのではないだろうか。」
★就業人口の半分以上が(感)
 第一段落 予測問題の主題。「感性社会に進みつつある時代の中で、知識偏重・詰め込み型の教育が続けられるとしたら問題だ。」
 第二段落 対策一。「一人一人の個性を大切にし、感性の面でも育てていけるような教育をすることだ。」オランダやデンマーク(子どもの幸福度が高いそう)での公教育の実践から、日本が学ぶべきことも多いのではないでしょうか。
 第三段落 対策二。「感性を通して学ぶ、身体で学び覚えることを大切にすることだ。」たとえば、スポーツで技を習得しさらに磨きをかけていくためには、理想の形を知ることとともに、身体が覚えるまでそれを繰り返し練習したり、勘が鈍らないように鍛錬を怠らないようにしたりする必要があります。サッカーやバスケットボールなどで、それを体感した人もいるのではないでしょうか。
 第四段落 まとめ。「確かにこれまでの教育システムは、多くの生徒を対象に知識を効率的に伝えるには適していたかもしれない。」けれども、今はそれが時代の要請に合わなくなっていることを述べ、変革の必要を述べましょう。自作名言を作るのが難しい場合は、「名言の木」の名言を参考にして、応用してみましょう。

5.3週 
●われわれのからだは(感)
 内容:身体は解剖学的な構造を持った生理的身体であると同時に、運動や学習を内臓した文化的・歴史的な身体である。練習を繰り返すことによって、それまでできなかった動きのネットワークがある日突然構築される。しかし、いったんできあがったネットワークをさらに繰り返すと、習慣はやがて惰性になり、人は惰性に飽きている自分を発見する。

 意見:「人はユートピアにさえ飽きる存在だ」というところを今日の社会の問題と結び付けて考えてみることができそうです。理想の社会というと、私たちはつい聖書の天国の絵にでもあるような、毎日が春で花が咲き蝶が舞いいつも若くて年中公園でひなたぼっこをしているような図を頭に描きそうですが、逆にこういう毎日だったら退屈で仕方ないでしょう。と言っても、毎日が戦乱で明け暮れるような落ち着きのない日々を求める人はいません。安定と活力が共存し、平和と進歩が共存するような社会が本当の理想の社会なのですが、そういう社会を合意のもとに作り上げるのは実に難しいと言えます。

 主題は、長文前半の「身体は生理的であると同時に文化的でもある」のところを取り上げて考えてもよいと思います。私たちは外見の体格のよさについ目を奪われがちですが、大事なのは運動のスムーズさを獲得している身体なのでしょう。

6.1週 
●もしも「忘れる」という現象が(感)
 内容:私たちは、呼吸や消化を通じて大気や大地と交流し合って生きているが、そのことをふだんは忘れている。しかし、忘れるということは、それほど深く交流し合っていることでもある。私たちはもともと区別された個体なのではなく、世界との交わりの中で存在している。多くの人は、個体をこえた生命現象があるという直観を日常的に持っている。しかし、その考えは日常の用語でまだ十分に記述されていない。
 解説:私(森川林)が昔、海岸の波打ち際で、岩についている海草を見るともなく見ていたとき、ふと、こんなことに気がつきました。ある場所は日当たりもよく波も穏やかで、そこについた海草は青々と成長しているのに対して、別の場所は日陰で波も荒く、そこの海草は糸のように細いまま必死で岩にしがみついています。しかし、その日陰の海草は何も文句を言わずに黙々と波に揺られています。ここにあるのは、個々の生命ではなく、海草全体の生命で、一つひとつの海草は、その与えられた場所で最善を尽くすことに満足しているのです。それを見ていて、なんとなく感心してしまいました。
 人間の生命も、もとはこの海草と同じように、全体の調和が先にあるものだったのでしょう。
 近代の資本主義は、個人の利益追求が最初にありそれが「神の見えざる手」で全体に調和するという考え方に立脚して発達しました。確かに、資本主義の発展期には、この個と全体の調和は実現されていました。しかし、現在のように経済全体の発展が鈍化し、ゼロサム社会の様相が濃くなってくると、個人の利益は他者の不利益をもとにして成立するようになってきます。
 今、人類の生産力は、飛躍的に増大しています。この膨大な生産力を、マネーゲームに費やすのではなく、人類全体の幸福に生かすためには、全体との調和を優先した新しい原理が必要なのでしょう。
 個人の利益追求を優先した現代社会の問題ということで考えてみましょう。
Re: ●もしも「忘れる」という現象が(感)
 「融け合うという形で相手と交流し合っていたのである。「忘れる」とは「失う」ような関係ではなく、もっと積極的な相手との交流の実現の形だったのである。」という部分。いつも密接に関係しているのに普段は意識すらしていない、という例は、長文にある大気や大地という物質的なものだけではなく、みなさんの身の回りの人間関係を考えてみてもよく理解できると思います。
 家族、友人、クラス、それらはその存在を忘れていられるくらいの方が、より密接に、そして積極的に交流しているのではないでしょうか。何かトラブルがあって、疎遠になってくると、常に意識してうまくコントロールしようと努力しなければならなくなってきます。身の回りにトラブルや犯罪が増えてきた現代の社会は、そういう意味で積極的に他と交流しづらい世の中なのでしょう。
  「予測問題の主題」。現代社会では、個人の利益ばかりを優先し、全体の調和を考えない。このままでは、社会全体に歪みが出るだろうことが問題だ。
 第2段落。その原因として考えられるのは……。
・地域の連携が薄れてきたこと。
・核家族が増え、社会の最小単位の家族が個人に近くなっている。
・資本主義社会では、成果ばかりを求められる。
 これらにあてはまる「体験実例」を書いてみましょう。たとえば、「成果主義」ということでは、学校のテストは結果の点数が全てであることなど。
 第3段落。その対策としては……。(「対策」は今学期の必須項目です。)
例えば、「学校での集団生活、団体行動を通して、全体に目を向けられる子供を育てること」など。
 実例は、学校行事の登山、キャンプ、ボーイスカウトなどの活動。「社会実例」は、今また重要性が言われ始めた「地域子供会」の活動など。
 第4段落。「反対意見への理解」。「確かに、現代では個人的な目先の利益に目が行きがちである。しかし、……。」「自作名言」を入れてまとめましょう。

6.2週 
●ニュートンが集大成したような(感)
 内容:ニュートンが集大成したテクノロジー科学は、イデオロギーとして政治哲学にも取りいれられた。生きている自然を一種の機械として見ることがテクノロジー科学の方法論的合意である。ホッブズは、国家の成り立ちを個々人の安全を保障する政治システムと見た。
 説明:生きていて総合的で複雑なものを、死んだ単純な部品の単なる組み合わせと見なすという考え方が、科学を大きく進歩させた、ということです。デカルトは、人間を時計などにたとえています。いまならば自動車にたとえるかもしれません。「心臓がエンジンで、ごはんがガソリンで、足がタイヤで…」と考えると、なぜか、ヘッドライトが目でバックミラーが耳に見えてくるでしょう。そうしたら、排気ガスはおなら? なーんてことないよね。この、国家が機械であるという考えが、それまでの王権神授説のような神秘的な国家観を根底からくつがえしました。この点では、機械論的な国家観は進歩的なものでした。しかし、マキュアベリやホッブズがみんなから嫌われたことからもわかるように、人間や組織を機械の組み合わせと見る見方は、かすかに非人間的な要素も含んでいるようです。人間は遺伝子の乗り物だとか、先生は給料をもらっているから子供を教えているだとか(あたりまえだけど)、利害や得失だけでものごとを見ていくと、社会に役立たない人間は要らないというところにまで進みかねません。今ふたたび、全体を個々の要素にまで還元しきれない生きたひとまとまりの全体として見る見方が求められているようです。
Re: ●ニュートンが集大成したような(感)
 解説:「エートス」とは、「人間の持続的な性状。また社会集団における道徳的な慣習。」です。この文中の使われ方は、後者の説明が当てはまりますね。ちなみに、この「エートス」の反対語は「パトス」で、「理知的な精神に対して、感情的・熱情的な精神」のことだそうです。

 「予測問題の主題」。「現代のように、国家を個々の要素の集まりとして見ていくと、全体としての機能がうまく働かなくなることが問題だ。」など。

 第2段落、「原因」。「近代においては、論理的、科学的な考え方が偏重されてきたから。」など。現代では特定の宗教を信仰する人が減り、冠婚葬祭の時だけ、ある宗教にお世話になる、というのが一般的な日本人の姿になりつつあります。お葬式は仏式だが、クリスマスも祝う。結婚式は教会で。などという「社会実例」や「体験実例」(必須)を。

 第3段落、「対策」(必須項目)。「人間をパーツではなく全体的に見て治す東洋医学のように、国家全体の問題を総合的に捉えていくことだ。」など。「社会実例」。ニート、引きこもり、年金、犯罪の低年齢化、少子化、……様々な現代社会の問題は、それぞれに1つずつ対症療法のような対策をとっていただけでは解決できないのかもしれません。もしかしたら、すべて根っこのところでは同じ問題があって、いろいろな形で表面に出てきているだけなのかも。

 第4段落。「反対意見への理解」、「確かに、論理的に個の要素の対処法を考えていく方がわかりやすい。しかし、……」。「自作名言」を入れてまとめましょう。


 
●ニュートンが集大成したような(感)
 二段落の原因には、「欧米文化に影響を受け、個人の権利と自由を主張しすぎるようになったこと」も挙げられそう。「個人主義」ではなく、他者の利益を軽視する「利己主義」になってきているということが考えられますね。例えば、消費税の増税。目先のことを考えると、確かに反対したくもなりますが、これからの日本が高齢化していくことを考えると、それを支える財源がどうしても必要になります。例えば、スウェーデンの消費税率は25%。それでも文句が出ないのは、社会福祉のレベルが日本と比較にならないほど高いから。支払う税額が多くなったとしても、それが自分も含めて、全体のために使われるならば文句はありませんよね? そういうシステムを日本も構築できるよう考えていかなくてはなりません。

6.3週 
●このように、一七世紀から(感)
 解説:ダーウィンの進化論が社会思想に果たした役割はかなり大きなものでした。適者生存という考えは、わかりやすかったので、それをそのまま人間社会にもあてはめようとする傾向がさまざまな分野で見られました。しかし、適者生存という考えを推し進めると、牛や馬の品種改良のように、人間も品種改良していくということになりかねません。

 ダーウィンの進化論に対する批判としては、今西錦司の「すみわけ理論」が有名です。もし、最適者だけが生き残るのだとしたら、地球上にはいちばん優れた一種類の動物と植物だけが残ることになってしまいます。優れたものも劣ったものもさまざまな種類の生き物がお互いに助け合いながら(または食べ合いながら)生きているのが自然界の実態でしょう。今西錦司はまた、進化は優れたものが劣ったものを淘汰することによって起こるのではなく、種の存続の危機に遭遇した種全体が「いっせえーのせ!」で進化するという仮説も立てています。

 ダーウィニズムを社会に適用することの是非について考えてみましょう。
Re: ●このように、一七世紀から(感)
 「予測問題の主題」。「ダーウィニズムが社会思想にも影響を与え、このままでは競争社会にますます拍車がかかることが問題だ。」あるいは、「社会における勝者と敗者の格差がますます広がることが問題だ。」など。

 第2段落、「原因」もしくは「対策その1」。「対策その1」の例。「ダーウィニズムの考え方にとらわれすぎないことだ。」今現在、ダーウィンの進化論はたまたま広く受け入れられている、というだけで、真実であるわけではありません。「よくできた仮説の1つ」にすぎないのです。今西進化論を始め、ダーウィンの説に異論を唱えている人達もいます。たとえば、「なぜ中途半端な長さの首のキリンはいないのか?」高いところのエサをとろうとして首が長くなったのなら、いろいろな長さの首のキリンがいてもよさそうです。しかも、今現在進化しつつある、という形跡が見られないのは何故か。今、生物の形態は停滞しているように見えます。もちろん、よほど長いスパンで見なければ進化の形跡などはわからない、とも言えますが、やはりいつか「その時」がきたら、生物は一斉に進化するのかもしれません。
 「体験実例」は、学校で進化論を習った時のこと。あるいは、違う説を聞いた、読んだことがある。敬虔なキリスト教徒にとっては、「人類はアダムとイブから生まれた」のである。……など。

 第3段落、「対策その2」。社会的弱者を、皆でしっかりと支えていくことだ。「社会実例」は、何十億という金を動かしていたホリエモンや村上氏がいる一方で、ホームレスすなわちいわゆる野宿生活者は全国に約2万5000人いると言われています。この格差を、どのように考えていけばいいのでしょうか。

 第4段落。「反対意見への理解」。「確かに、資本主義社会ではある程度の競争・格差はやむを得ない。」小泉首相はそれを「景気回復のための痛み」と肯定しました。しかし、……。「自作名言」を入れてまとめましょう。
●このように、一七世紀から(感)
 二段落の原因としては、「ダーウィニズム」が経済にも影響したことによって起こった経済構造の変化が挙げられそう。「適者生存」の原理から、少数の勝ち組だけが生き残れる社会となっています。日本では、終身雇用がぐらつき、国民総中流という意識が薄らぎつつあり、富むものはますます富み、貧するものはますます貧する……。経済的に豊かであることを「勝者」とするならば、将来的には勝者と敗者の格差が広がることは目に見えていますね。