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解説集 ズミ2 の池 (最新版 /印刷版 /ウェブ版 /最新版
印刷版は印刷物として生徒に配布されているものと同じです。ウェブ版は書き込み用です。 https://www.mori7.com/mine/ike.php
最新版には印刷日(2024-03-14 00:00:00)以降に追加されたもの(グレーで表示)も掲載されています。

10.1週 
●自由と平等、学問の意義
 自由を求めれば平等でなくなり平等を志向すれば自由に制限が加わります。世の中にはいろいろな人がいます。「もっと自由にやらせてほしい」という人もいれば「もっと制限をしてみんなが平等になるようにしてほしい」という人もいます。
 自由の行き過ぎも、平等の行き過ぎも、人間の幸福な生き方に反します。今後の日本の社会でどういうことが問題になるかを予測し、その原因と対策を考えていきましょう。
●構成図の書き方
 構成図は、小3以上の生徒が書きます。小2以下の生徒は、絵をかいてから作文を始めるという課題になっているので、構成図は書かなくて結構です。
 構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
 たくさん書くことによって、考えが深まっていきます。したがって、構成図は、できるだけ枠(わく)を全部うめるようにしてください。しかし、全部埋まらなくてもかまいません。
 枠と枠の間は→などで結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
 

構成図は、原稿用紙や普通の白紙に書いて結構です。
構成図を書きます。
頭の中にあるものをそのまま書くとき。
構成図で書くとき。
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
思いついたことを矢印でつなげていきます。
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
はみだしてもかまいません。大体うまったらできあがり。


 


10.2週 
●化粧することや(感)
 第一段落は、状況実例と将来予測される問題。「今、……という状態がある。……。見られることで自分の存在を確認する人ばかりになったら、他人に操作されやすい社会になるのではないかというという問題がある。」
 第二段落は、その原因と実例。「その原因は、社会全体に、大きな価値観がなくなってしまったことにある。私も、将来のことを友達と話していると、お互いに目的が持てないということがよくわかる。」
 第三段落は、対策と実例。「対策としては、まず小さなことから、自分らしく行動することの大切さを学んでいくことではないか。自分のすることに自身が持てれば、他人の目は次第に癸にしなくなる。」
 第四段落は、まとめ。「確かに、他人の目に対する配慮は、安定した社会を作る基盤となる。しかし、自分の存在は、他人によってではなく、自分自身で確認していく必要がある。」

10.3週 
●極東の島国日本(感)
 まず筆者がどのような問題意識を提示しているのかを読み取ろう。「島国日本」という「常識」は作られたもの、歴史の流れの中で様々に解釈され政治的に利用されてきたという課題文の主旨から、「日本」「日本人」「日本文化」とは何かというという問題意識が読みとれるだろう。それは「単一民族論」が抱く問題にも共通するものである。
 白飯を食べて「やっぱり日本人はご飯よね」、年末の忠臣蔵ドラマを見て「日本人魂」に感動、きらびやかな和服を見て「日本文化のすばらしさ」にため息をつく。「やっぱり日本(人)は‥‥」はだれしも一度は口にしたことがあるだろう。しかし「日本」、「日本人」とはいったい何なのか。
 近代国家成立以前は日本列島及びその周辺では人々は自らが生活を営む共同体の枠内でしか自己を認識しなかった。ゆえにもちろん「日本人」などという自覚はない。しかしペリーが日本列島に上陸し、新政府により近代国家としての「日本」という概念が作られ、それは教育によって人々へ浸透していった。この時、北海道や沖縄も「日本」へ組み込まれたという歴史をしっかり把握しなくてはならない。
 近現代においても植民地侵略の産物である在日朝鮮人及び中国人の存在は看過できない。はたして「島国日本」「単一民族国家日本」は存在しうるのだろうか。近代国家とはなにか、国籍や国境とはなにか。はじめから「日本」「日本人」があったわけではないのだ。
 この問題意識を現代社会の問題と重ねあわせて論じよう。外国人の流入と不景気がかさなり、日本社会では排他的な雰囲気が強い。「日本」を守るため「日本人」は結束しなくてはならないという感情が政治の右傾化に拍車をかけ、憲法改正や自衛隊の海外派遣、有事法制成立、過剰な外国人差別にまで事態はすすんでいる。自分のすぐ身の回りに「島国日本」という「常識」の政治利用があることを発見できるだろう。以上のことを論じた上で日本社会の現実を冷静にみつめなおすことを提言していこう。

11.1週 
●スポーツを観る経験の仕方は(感)
<課題文の問題意識>
 単なるスポーツ観戦についての文章ではない。メディアを介したスポーツ観戦を消費行動ととらえ、「スポーツは記号として消費される身体のパフォーマンスになる」と論じる。ここからは重要な多くのことを読み取ることができ、我々社会の土台についての文章であることを前もって理解したい。
 メインは最終段落「現代社会では今後ますますメディアの力はひろがり(中略)放映権料がスポーツを支え、巨大な資本の力は浸透度をさらに強めていくだろう。そのディジタルな競争の無限の反復は、反対に資本主義のモデルに見えるようになっていくだろう。」
<具体的には>
 例えばオリンピックを考えてみよう。オリンピックを生で観たことがある人は多いとはいえない。ほとんどはテレビというメディアを通しての観戦だろう。「最初からある距離をとっているから、決して臨場的なエクスタシーを感じることはない」はずであるのに、「臨場的なエクスタシー」を感じたことは果たしてないと言えるだろうか。スポーツカフェなどでのあの異様な盛り上がり、自宅のテレビ画面に釘付けになり真夜中に絶叫する人、開会式や閉会式の派手なパフォーマンスに感動のあまり体を震わせて涙する人。これらも形をかえた「臨場的なエクスタシー」とは言えないだろうか。「ある距離」を感じているのであれば、こういった現象は見られないだろう。サッカーのワールドカップでも同じである。
 確かにじかに観戦することのほうが絶大なエクスタシーをもたらすことは否定できない。高校野球の感動は甲子園球場を目の前にしたときから感じる。しかしメディアの力の拡大と記号化技術の向上は、テレビを通じた観戦で得られるエクスタシーをまた違った形のエクスタシーとしてさらに高めているのではないか。
<資本主義社会下のスポーツ>
 あえて言うまでもなく、オリンピック開催地の選択に金がからんでいることはしばしば問題になる。また、開催地になった国家はインフラ整備や開閉会式典の演出に莫大な金をかける。なんといっても世界中からの「お客」が投資した金額よりもはるかに多い金をおとしていってくれるのだ。また、オリンピック開催地として世界で知名度があがれば、輸出入の増大や観光客の誘致などの副産物もついてくる。
 では人気の低いスポーツの場合はどうだろう。たとえば日本で言えばバレーボール。かつては盛り上がりを見せたが、実力の低下とともに観客動員数は減少する一方だ。しかしこれは実力の低下だけが原因ではない。スター選手が生まれないことや、他の競技に人々の関心を奪われてしまった点も原因である。そして重要なのは、観客動員数の減少でスポンサーもつかず、バレーボール協会に入る金は減る一方だ。協会は人気を再獲得するために選んだ手段はワールドカップの派手な宣伝で一目瞭然。放映権をえさにメディアを利用し、実力よりもパフォーマンスや容姿で選手を選抜する。しかしその結果は世界選手権での日本チームの連敗。そしてさらに人気の低下、そして‥‥。スポーツが消費される商品となることで、悪循環を続ける好例である。
 これらが「資本主義のモデルに見える」という筆者の意味するところではないか。ようするに甲子園球児の選手宣誓など白々しいのだ、と。
<何が問題か>
 資本主義というクモの巣にからめとられたスポーツは、私たちに何をもたらすのか。その一つはエクスタシーの喪失である。課題文にあるように、エクスタシーはファシズムと結びつく。これはファシズムとは反対の政治的集団行動にもあてはまる。すると、市民の主張としての行動(たとえばデモや集会やボランティア活動など)は衰退していくのではないか。我々は何か不満があっても他人事のようにしか感じないか、黙って無気力に従うかという状態になる。テレビ大国日本はまさにその状態に移行しつつあるのではないか。
 また、政治家をイメージで選ぶ行動も同じである。現首相の異様な人気を支えるものはなにか。メディアを利用したイメージ作りが功を奏したのだろう。この例は他の政治家、かつての政治家にも見られる。首相が頻繁に身に付ける水玉模様のネクタイが流行したことは記憶に新しい。
 私たちは資本主義の奴隷のような存在になり、多角的に客観的に物事を考え、行動する力を奪われていくのだ。

11.2週 

11.3週 
●ガイドブック等で(感)
<課題文の問題意識と構成>
問題意識:創作者にとって「既知感」は重要であるが、それを一旦脇に置くことができなければ創作とはいえない。「既知感」から離れることができれば、初めて未知の世界が現れ、その中から自分で必要な因子を拾いあげ構築することが創作(創造)である。その意味では「既知感」は自分自身の創造性を問うリトマス紙のようなものである。
構成:「既知感」の役割、意義を旅や創作活動を例に論じている。
<具体例から問題提起へ>
 創造性やオリジナリティーとはなんだろうか。たとえば芸術の世界ではしばしば「盗作」が問題となり、著作権をめぐって裁判さえ行われる。けれども音楽のケースで言えば、和音やメロディーの転回はどうしても似通ってしまうことになる。流行している音楽がどこかで聞いたことがある、もしくはクラシックのある曲に似ていると感じたことはないだろうか。物語やテレビドラマ、映画もしかり。人間の追究するテーマは永遠に変わらないのである。それゆえにどこまでが「盗作」であるのかという線引きをすることは大変難しいものだ。
 それでは自分の創造性、創造したものをどうやってリトマス紙はあらわしてくれるのだろうか。上記の具体例を考えると、非常に曖昧なリトマス紙であり、問うたびに結果がばらばらになってしまうのではないか。
<ではどうすれば>
 これらは課題文の旅の例からヒントを得られる。
 芸術でも文学作品でも流行歌でも、唯一の「目安」は感動があるかどうかなのだろう。最近、日本の歌謡曲界ではかつての流行曲を現代の人気歌手が歌うことがはやっている。題名やかつての歌い手も公表されている。そうして聞いたときに、心にじんと、あるいはがつんとくるものがあればそこには創造性があると判断できる。
 またファッションの場合も同じだ。六十年代ファッションが再流行したとき、六十年代ファッションそのままではなく、現代の感性を取り入れてこそ評価され流行していく。このときもまた単に「懐かしい」ではなく「懐かしい、でもおしゃれ!」という受け取り方がなされれば、それは再構築と言えるのだろう。
<反対意見への理解>
 模倣から創造が生まれるという意見もあり、そのテーマについての議論や著作物は多い。たしかに模倣なくして創造はありえないが、課題文にもあるように、自分自身の感性で再構築する作業を経なければ創造にはなりえないのだ。

12.1週 

12.2週 
●何歳から人は(感)
<第一段落〜問題提起>
書き出し:「子供っぽい大人」がおこした最近の事件の感想から書き出してみるのもおもしろい。
将来の問題:課題文中「大人たちが(中略)更にその下の世代である今の若者、それに続く子供から、試行錯誤や他者への依存の自由を奪っている。」を受けて、問題提起する。→若者世代の生き方についての考え方は世相に影響される。世相を形成している主なものは、社会経済的状況と大人たちの生き方。
(例)十年前の若者の希望=フリーター、またはアルバイトしながら夢をおいかける→現在の若者の希望=定職に就きたい
 大人たちの生き様は、夢や希望をもつことはむなしくて無意味だと教え、早く経済的に自立することを促し、その結果若者の可能性やチャンスをつぶしてしまう。現実にきみのまわりにもやる気のない人、みょうに現実的な人はいないだろうか。この行き着く先は日本社会全体の活気の喪失だ。
<第二段落〜第一の対策>
 たとえば、教育現場などで「労働とはなにか」「生きることとはなにか」という根本的な問題から考える機会をつくる。また、目標や夢を達成した人たちの話をきく機会をもうける、など。きみは目標を達成した人を見て勇気づけられたり、希望をもったりした経験はないか。またその反対はないだろうか。NHK「プロジェクトX」という番組は人々を元気づけてくれる話題を多く提供している。(体験実例)
<第三段落〜第二の対策>
 自分を客観的に見る力をつける。夢をおうものにとって、どこで見切りをつけるかは重大な問題である。最悪の事態(経済的破たん、肉体的精神的な病、職探しができなくなる年齢に達した、など)になってから断念せざるをえない人も多い。現実を見つめること、つまりそのためには自分を客観的に見つめる力が必要だ。そうすれば最悪の事態は避けられるだろうし、他者や親などの自己をとりまく環境へ責任転嫁することもできなくなるだろう。
<第四段落〜反対意見への理解>
 たしかに課題文にあるように「現代という時代が、『迷える子供的大人』を必然的に生んでいる」かもしれないし、親の愛情不足で自分自身を信じることができずに夢をあきらめたり、生き方を決められなかったりすることもあるだろう。しかし、いくら責任転嫁しても苦しむのは自分自身であるということを知れば解決は可能ではないかと結んでみよう。

12.3週 
●一連の関連情報に(感)
<第一段落> 課題文の主旨をつかみ、身近な具体例を書く。
・ 課題文の問題提起:一見明るい情報社会の不気味な闇(情報格差、次々と抹殺される情報)。中でも放置してはならない問題=「われ」という殻にとじこみながらも、狭くて小さい「われわれ」と同じものを求め合い、密接に関わりあい、支えあうが、他の者には目をやらないという日本社会。同質性を重視し、似通った人材を再生産する社会。→より開かれた国際社会でよりひろい生き方を選ぶなら、異質な者とも協力し共生する道を模索すべき。
・ 具体例:同じ趣味や悩み、要望などを持つ者が匿名でネット上で集まりチャットや掲示板を介して交流する。非常に閉鎖されたコミュニティー。外部者の掲示板への書き込みは徹底的に攻撃される。匿名ゆえに人には言えない悩みを告白し合う。趣味サークルではいわゆる「公園デビュー」なみの努力が必要。匿名ゆえに自覚無しに犯罪に関わり、または巻き込まれる。全く架空の人物に成り代わって楽しむ。情報提供者が情報を一定の基準で選び提供する。*かつて流行した「オタク」という現象が情報社会なのでは?
   ↓
・ 問題a:開かれたようであるが実は狭い情報社会。多様な人間性の表現ではなく、意識的に選択された情報を通じた同質性の拡張。情報社会での情報流通は近代国民教育にとってかわるかもしれない。
・ 問題b:自分が誰であるのか、なにが真実なのか、自分では明確に定義できていても、それは独断にすぎず、実際は曖昧である。匿名でしか存在できない「われ」。アイデンティティーが曖昧なゆえに異質者を排除し、現実社会に適応できない「われ」。
<第二段落> 自分なりの対策を具体的に考える。
例えば問題aについて
・ 情報そのものや情報提供方法に常に問題意識をもつようにする
・ 情報社会の功罪を意識する
・ 情報提供媒体を複数選択する
・ さまざまな方法での自己表現の模索
<第三段落> 問題bについての対策
例えば
・匿名でネットを介したコミュニケーションだけではなく友人などと話すことを重視する
・ 異質なものへの理解として、ハンディキャップドなどについての学習を重視する。(ボランティア活動の教育現場への導入など)
・ 地域のイベント参加などによる世代間交流
・ 現場重視
<第四段落> 反対意見への理解
 たしかに情報社会では容易に即座に情報を得ることができる。しかしその情報は自らの関心というフィルターを通して無意識的ではあるが選択されたものである。そして情報提供者も同じである。つまりこのことによって我々の内的世界は均質化しているのである。かつてのマスメディアがそうであろう。
 もし我々が均質化していったら何が問題になるか。他者への関心の欠如がまず考えられる。マイノリティーは暮らしにくくなり、差別意識はあっという間に浸透していく。また政治的国民誘導も容易になる 
 自らの内的世界を広げるためには、こういったことをまず自覚することが大切であろう。仮想社会や匿名ではなく、生身の人間としてさまざまな体験をすることが情報社会とじょうずに付き合っていく方法ではないか。